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2018.09.17 (Mon)

泉光院の足跡 322 薬師寺

唐招提寺は唐の國から来朝した鑑真の招提、すなわち佛のもとで修行をする場として創建されたといいます。
唐招提寺鑑真像
鑑真はもと唐の揚州大明寺の僧だったのだが、求めに応じて日本に戒律を伝えるために渡ることを決意し、五度の失敗を重ね、その間に失明をするなど困難を極めながらも屈せず、遂に天平勝宝六年(754)に平城京に到着するまで12年間をかけたのでした。左は鑑真の入寂後間もなく造られたものと考えられている像です。東大寺戒壇院石段
鑑真は東大寺大佛殿前で聖武天皇に戒を授けたり、東大寺に戒壇院を設けたりしました。右は東大寺の戒壇院。
この門は滅多に開いていないので、特別公開の情報をチェックしておかなくちゃなりません。堂内には天平時代の四天王像が安置してあります。ワタクシは2006年の開扉の時に入ることが出来ました。

鑑真は唐招提寺へ移ってから石造り三段の戒壇を設けました。
唐招提寺戒壇
境内の西のはずれにあるのでここまで行くチャンスというか、なかなか見に行くことが出来ないですねぇ。
唐招提寺開山堂紀久子
右は開山堂、前号No.321で紹介しておいた紀久子サンのスケッチブックからいただいたものです。
唐招提寺はとても好いお寺です。ワタクシの好きなお寺です。前号で書き入れなかったことをここで少しばかり入れておきました。


薬師寺講堂裏
このお寺の南大門から真っ直ぐに南へ歩くとやがて薬師寺の北門跡になります。
普通、お寺を見るときには正門である南大門から入るのだが、ワタクシが初めて奈良へ行ったとき、まだ物知らずだったので、こういう道順になってしまった。写真は裏口から入った薬師寺。薬師寺と書いた看板の向こうに見える建物は講堂の裏側。

この御寺は高田好胤師の努力のお陰で随分立派なお寺になった。ワタクシが初めて行った時も、この講堂の西側にあった寺務所の一隅で写経をやっていたように思う。今は別の所に「写経道場」という大きな建物があるようだからそこでみなさん写経に励んでいるのでしょう。勿論参加する人は応分のお金を払うのだから、薬師寺はこの「写経」という行事をすることで、のちの金堂や西塔など建築のための資金を集めたのだろうと思います。
薬師寺三重塔高田好胤師
この御寺は、天武天皇が皇后である持統天皇の病氣平癒を願って、飛鳥・藤原京に藥師如來を祀ったのが始まりで、平城京遷都に伴って今の地に移転したのだが、その時、佛像や建物を運んだのかどうか、未だに論争の的のようです。

このお寺の歴史も、火災と再建の連続で、唯一「東塔」(右)だけが残った。
高田好胤師は、荒れ果てたこのお寺を昔のように立派にしようと考えたのだろうか、
この東塔の写真の左隅に立って居られる人が高田好胤師。
そしてその熱意というか努力というか、それが実って次々と立派な堂塔が出来上がったようです。


薬師寺現在
左は復元された金堂、再建された西塔、創建当時のままの東塔、の順に並んでいます。
こんなに立派になった薬師寺を、ゆっくりしっかり見に行きたいと思っていたのだが、ある時やむを得ない事情でお寺に興味のない人と連れになって一度素通りしただけで終わったのが残念でした。
薬師寺南大門
こちらが昔の南大門。永正九年(1512)に建立された四脚門で國重文だった。門の向こうに見えるのが江戸時代に建てられた金堂で、門を入って見ると右の写真のような小さな金堂だった。

薬師寺金堂昔

右が門の所から見た昔の金堂。

薬師寺金堂復元設計図

そして今度新築した金堂の設計図


古色蒼然とした寺院も見慣れているのでいいものだと思っていますし、それが当たり前だと思っていたのですから、最初のうちは朱や緑に塗られた壮大な伽藍というものに若干の違和感をおぼえたのでしたが、やはりこうした努力が文化の継承のためには必要なのだと思うようになりました。
これでまたこの薬師寺が500年も600年も後の世にまでちゃんと伝わるのですから。そしてこの建造物というハードが残るよりもっと大切なのは、ソフト、つまり技術や材料や工法や、携わった人の名前が残ることだと思うのです。
薬師寺金堂復元
高田好胤師の名前とともに、西岡常一という宮大工や、その弟子たち、木や土や金物などを集める人、寄付をする人や写経をしたりして資金を援助する人、そんなおおぜいの人の力で「お寺」というものが出来上がる。ワタクシはお寺を見に行く時、このようなおおぜいの人が背景にあるのだと思うようになりました。
設計図通りに出来上がった金堂です(右)。


薬師寺西塔基壇心柱礎石

左、この写真はワタクシが大切にしている一枚。


西塔跡の心柱礎石に水がたまって、そこに東塔の相輪が影を映しているところ。西塔が立派に建ってしまった今、二度とこの写真は撮れない。


薬師寺西塔復元模型
左は西塔の模型で、
右が復元した西塔。
薬師寺西塔復元

薬師寺東塔カラー

薬師寺東塔紀久子

左は紀久子サンの東塔スケッチと、
右が東塔。
薬師寺相輪笛吹童子
そして東塔相輪の上に付いている水煙の笛吹童子。


薬師寺金堂藥師三尊像薬師寺藥師如來花會式

薬師寺金堂の藥師三尊と花会式の時の藥師如來。


薬師寺東塔西塔並立
おしまいに、東塔と西塔が並び立つ写真で薬師寺の項を終わります。
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2018.09.01 (Sat)

日記 2018年9月

1日 土 1009hPa 晴→雷雨→晴Chantillyの室内部分a
Chantillyで珈琲。右は室内の一部。
米麹を買ってきたので甘酒を造る。
2日 日 1009hPa 曇→晴
町内会の防災訓練。毎年9月の第1日曜。
防災訓練9月2日
ワタクシは毎年欠かさず出席。
そして消火器のノズルを押す。
他に大釜で炊きだしの方法とか三角巾で頭や腕などを包む方法、竹棒と毛布で担架を作る方法。みな例年と同じ。
もらい物塩崎桃
夕方塩崎サンからお庭の桃のお裾分け。無農薬ですよ。
見事な桃ですねぇ。ありがとうございます。

3日 月 1007hPa 曇→晴

久し振り、Paoで珈琲。
WARSZAWAみやげマグネット
しばらくの間Paoは閉店で、その間えり子サンは「バルト三国(+ポーランド)」の旅行だったそうです。お土産に戴いたのはポーランドの首都ヴァルシャヴァ(=ワルシャワ)の名所のマグネット。
バルト三国地図
バルト三国といってもワタクシは何も知らないので、右に地図を載せておきました。上からエストニア、ラトヴィア、リトアニアで、その下にポーランドがある。(間にロシアの飛び地もあるようだ)
ちょっとワタクシには見当もつかない地域なので、いずれお話しでも聞かせて頂きたいものです。中央にある大きな銅像は人魚姫だろうか?
4日 火 1006hPa 曇→台風21号が北上して大阪湾へ入った。
ここは少しばかりの雨と風で終わった。
5日 水 1004hPa 晴 Nobサンに「華やかにオペラデュオ」写真アルバムの訂正用をお渡しした。いつも丁寧にチェックして頂けるので有難い。
Paoで珈琲。この日、Pao ではBright Rose のコンサートがあるのだが、ワタクシ時間が足りなくて本番の写真を撮れないので、リハーサル風景を写した。
BrightRoseえり子サン二胡BrightRose笹竹新屋都田

GrightRose塩崎秋本
写真は二胡を弾くえり子サン。
Bright Rose の笹竹サンHarp、新屋サンSax、
都田サンFl、それから歌を歌う塩崎サンと伴奏の秋本サン。
塩崎サンからいつもの通り手製のケーキも戴いた。

夜、久し振りに浜名リコーダーアンサンブルの練習で佐藤サン宅へ行く。Nobサンから…たまに練習にいらっしゃいよ…、と言われてしまったので。練習した曲は、ヘンデルの水上の音楽第1・第2組曲、エリザベス朝時代のマドリガルなど、さらにはアイルランドなどのフォークソング、サリーガーデンといった曲。楽しかった。ワタクシを含めて10人も集まった。2018フェリ-チェ合奏団CD75
佐藤サンからこの前のフェリーチェ合奏団演奏会のCDを戴いた。
この時の曲は、BachのVnとObの協奏曲BWV1060、Vivaldiのグロリア、モーツアルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス、Handelのオンブラ・マイ・フなど数曲。


6日 木 1004hPa 晴 無事。
7日 金 1006hPa 晴 Nobサンに逢って先日訂正をお願いした写真アルバムの訂正を貰う。
写真3枚入れ替え、他、記号などの訂正、削除など多数。Nobサン恵みのしずく
そして右のお菓子、ROKUMEIKAN の「恵みのしずく」というフルーツジェリィをいた。いつもありがとうございます。
8日 土 白露 1010hPa 雨→晴
写真アルバム「華やかにオペラデュオ」の訂正をする。
ドイツ語の「¨」(ウムラウト)やフランス語の「`」(アクサングラーブ`)を挿入するのにちょっと手間が掛かった。

9日 日 重陽 1011hPa 晴一時雨 PaoのBright Rose Concert のアルバム作りの準備を始める。
10日 月 ● 1012hPa 雨 秋雨前線が南下して雨を降らせた。
涼しくなりました。
11日 火 1015hPa 晴 庭の樹の枝を切ったりその他家事雑用。
12日 水 1016hPa 曇→雨
Paoで珈琲。ヒマラヤ・コーヒーをゆっくり飲みました。カップは九谷焼。九谷焼のコーヒーカップ

先日のBright Rose コンサートの写真アルバムをプリントしたので届けた。
13日 木 1014hPa 曇 
ワルツへ行って珈琲豆キリマンジャロとフィルターペーパーを買う。
ポイントが¥1000たまったので、次回はポイントで豆が買える。

14日 金 1015hPa 雨/曇ハンカチ渥美君浜リコ
浜リコに来ていた渥美クンが3年程ポーランドへ留学するので、浜リコの皆さんに餞別ということでプレゼントを戴いた。Nbyサンからメールがあったので図書館へ行って右のハンカチを戴いた。
普通、旅立ちをする人に残った人間が餞別をお渡しするものだと思うのだが、Nbyサンもいきなりだったので驚きました、というのでした。お正月にでも帰国したとき皆さんでお餞別をすることにしましょう。大判の使いやすそうなハンカチ(右)でした。
chantillyで珈琲。
15日 土 1013hPa 曇/雨
雑事に振りまわされる一日。もう半月あまりにもなるのに泉光院を奈良の片隅に置き去りにしたままにしてあるので、近いうちになんとかして先に進めてやりたいと思っているのであります。
16日 日 1012hPa 晴
鴨江寺ペットのお墓娘が飼っていた柴犬が肺癌で死んだ。
葬式をして、骨は鴨江寺のペットのお墓に入れたという。左がそのペットのお墓。
中央に聖観音、四囲には四天王、前面に不動明王や千手観音。なかなか立派なお墓です。卒塔婆が立っている。上の段左から五番目。「嵐」という生前の愛称が「記されている。
鴨江珈琲で珈琲。Paoのえり子サンから、お近くでしょうからたまには行ってあげなさいよ、…と言われていたので寄りました。ワタクシの家から一番近い喫茶店。いろいろな珈琲豆が置いてある。敬老の日祝い品
敬老の日祝い品として赤飯とうなぎパイ(ミニ)が三組町自治会から出た(右)。晩飯にお赤飯を戴く。
お赤飯なんて久し振り。美味しかった。
17日 月 敬老の日
18日 火
19日 水
20日 木
21日 金
22日 土
23日 日 秋分の日
24日 月 振替休日
25日 火 ○
26日 水
27日 木
28日 金
29日 土
30日 日
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2018.08.23 (Thu)

泉光院の足跡 321 西の京

西大寺から南へ下って唐招提寺、薬師寺あたりを「西の京」と呼んでいます。
このあたりは随分見事に整備されてしまって昔日の面影はなくなってしまっているようです。ほんの半世紀ほど前の様子を思い出しながら書いておきましょう。
この項に載せてある白黒の写真はすべて60年以上昔に写したものですので、今はもうこの風景を見ることは出来ないでしょう。

近鉄西大寺駅から橿原線に乗って(たった一駅だが)尼ヶ辻駅で降りると、水壕に囲まれた垂仁天皇陵(右がその一部)が見える。全長227mの前方後円墳。垂仁天皇陵田道間守墓BW
この写真の真ん中あたりに枝の広がった樹が見えますが、その下の方に(この写真では判りにくいが)小島があって、田道間守(たじまもり)のお墓だといいます。この人は天皇の命で非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)というものを捜しに舟に乗ってはるか南の方の國へでかけるのです。そうしてようやくその果物を得て戻ったときにはすでに天皇はこの世にはいなかったのでした。悲嘆にくれた彼は間もなく死んでしまいます。彼の持ち帰ったその果物は「橘」でした。このエピソードは、古事記、日本書紀、、万葉集に出ていますし、泉光院もどこかで書いているのでこれだけにしておきます。
西の京の道土塀

唐招提寺と薬師寺の間を結んでいる道(左)は、平城京の大路の間に三筋通した小路の一つで、当時の道幅を残しているといいます。
西の京の道大和棟

右もその道筋に沿った風景。
右寄りに見えているちょっと尖った屋根は「大和棟」といってこの地方特有の民家の屋根の形ですが、最近はこのような屋根は建て替えられてしまって見ることが出来なくなってしまった。
唐招提寺門前
左、唐招提寺の南大門前です。
何とまぁ、人っ子一人、犬一匹見あたりませんねぇ。
ワタクシが初めて奈良へ行った年の光景です。
年末で、観光シーズンではありませんが、それでも学校や会社は年末年始の休暇に入っていますから、今だったら人が一杯いてもおかしくない頃です。
半世紀前の奈良の都はこのような風景でした。今様古き都を

室町時代の流行歌である「今様」にこんなのがあります。

♪ 古き都を来てみれば 
      浅茅ヶ原とぞ荒れにける

聞いて手帳に書き留めておいたものです。
手帳のそのページをそのまま載せました。聞いたのをそのまま書き留めたので間違えているかも知れません。
浅茅ヶ原というのは今の奈良公園、奈良国立博物館付近のことですがs、上の唐招提寺付近の風景もこの歌がしみじみ感じられる光景でした。
楽譜は書き直してお終いの方に載せておきます。

唐招提寺へ入ってみましょう。唐招提寺南大門BW

右はワタクシが初めてここへ来たときの南大門。その向こうに見えているのが金堂。

このお寺は聖武天皇に招かれて唐から苦難の末に渡ってきた僧鑑真によって建立されたお寺です。
井上靖の小説『天平の甍』で有名になりましたが、どこまでが史実でどこからがフィクションなのかという詮索はさておいて、やはりここへ来たら屋根を見上げて、天平の頃の鴟尾は右だったか左だったか、などと捜してみたくなります。
唐招提寺金堂BW

左は金堂。(この写真はワタクシが初めて行ったときのものです)
この建物は天平時代の唯一の遺構だそうです。
文永七年(1270)、元享三年(1323)、元禄七年(1694)に大修理をしていて、最近では平成12年(2000)に平成の大修理をいうのをしました。部材は創建当時の材料が多く残っているようです。唐招提寺鴟尾BW

右の写真は西側(向かって左)の鴟尾です。天平時代のものです。1970年代に岩波書店から発行された『奈良の寺(全21巻の内第18巻、唐招提寺・金堂と講堂』から頂きました。
東側(向かって右)のは元享三年の修理の時に既に新しいものに作りなおしたのですが、両方とも痛みが激しいらしくて、平成の大修理で作りなおしたのが載せられているそうです。
唐招提寺金堂佛像

左、金堂内部。
真ん中に盧舎那佛、向かって左に千手觀音、右に藥師如來が立っています。両脇に梵天・帝釈天が、四隅には四天王もいます。

盧舎那佛(ルシャナ、又はビルシャナ佛)は、佛教的世界の中心的存在で、三千世界の教主と説かれています。光背には千の化佛がびっしりとくっついています。
左の千手觀音もこれまた千の手をお持ち(40本程失われているようです)ですし、右の藥師如來は通常は藥壺を持つのだが代わりに光背が(見方によれば)藥壺の形に見えます。どれもみんな珍しい形の佛像です。
唐招提寺盧舎那佛唐招提寺千手観音

唐招提寺千手観音手

千手觀音の手先です。美しい手です。


左は金堂の柱。わずかに中央部にふくらみがあってエンタシスというギリシャ建築にあるのと同じようなもの、と教わっていたので、こんな写真を撮っておいたのだが、これではエンタシスかどうかよく判りませんねぇ。
唐招提寺丸柱一本


金堂の裏へ回ると鼓樓と講堂が見えてきます。
唐招提寺鼓樓BW唐招提寺鼓樓紀久子


左が鼓樓。左奥に見えている建物は講堂で、右側に長く伸びている建物は禮堂です。
講堂の正面には本尊の弥勒菩坐像が鎮座していますが、ほかに木彫りの佛像が数多く納められていてそれが面白い。
中でも素晴らしいと思ったのは如來形立像と呼ばれている首のない佛像。右にこの佛像のデッサンがあります。これは紀久子サンの絵。
唐招提寺講堂首なし木彫佛唐招提寺如來形立像紀久子
ワタクシが金澤から遠州の片隅にあった小さな工場に就職をしたとき、その工場にいたのが紀久子サンという絵を勉強している少女で、時々ワタクシを絵の勉強をしている場所、浜松市の普済寺というお寺へ連れて行ってくれたことがあります。
ワタクシはこの少女に、奈良のお寺へ行ってご覧なさい、と勧め、彼女はここ、唐招提寺の他、薬師寺、西大寺、秋篠寺、法華寺、興福寺、東大寺、法隆寺、…とかなり丹念に廻って、2册のスケッチブックをこのようなデッサンや淡彩の絵で埋めて帰って来たのでした。いまワタクシの手元にそのスケッチブックはあるのだが、それを見ながら熱っぽく佛像のことを語っていた若き日のことが想い出されるのです。このあたりの佛像のことを書くとき、紀久子サンのことも想い出されるのです。

唐招提寺列柱日吉館おほてらの秋艸道人再掲

唐招提寺の列柱と秋艸道人の歌(再掲)を載せておきます。
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2018.08.10 (Fri)

泉光院の足跡 320 西大寺

今の奈良の上に平城京を重ねると右のようになります。
平城京昔と今

写真の、中央よりちょっと左寄り上方が平城宮」で、そこから朱雀大路の広い道が南(画面下の方)に真っ直ぐにずっと伸びているのが見えるでしょう。朱雀大路の一番南には羅城門があって、平城京の区域は土塁で囲まれていたようです。今の奈良市内では土塁の痕跡はほとんど見られないようですが、京都には今もわずかに痕跡が残っているので書いておきましょう。


豊臣秀吉は、当時かなり荒れていたらしい京都の再生を目指して京都の周囲に城壁をめぐらしました。
御土居看板
左は北野天満宮に残る「御土居」の案内板。
赤い線で囲ったのが京都をとりまく御土居という土塁です。
北野天満宮御土居




真ん中あたりにある黒い■は二条城の位置。
右の方にある黒■が二つ重なったのが禁裏(天皇の御所)。一番下あたりが今の京都駅、一番上が北野天満宮、という位置関係になるでしょうか。
そして右の風景が北野天満宮の裏にある御土居の部分。
場所によって多少の違いはありますが、高さは7~10mほどもあるでしょうか。
京都の町をこのように土塁でグルリと囲って「悪者」の侵入を防いだのです。
御土居北野天満宮川
左のように土塁と川とで二重にシッカリと防禦をしている所もありました。
北野長命餅

北野天満宮の名物は長命餅。これを食べながら御土居の上をお散歩しましょう。





ヨーロッパの都市も、多くは周囲を石や煉瓦で築き上げた城壁で囲ってあります。攻め込むには大砲で門を打ち壊してから攻め入ります。門は多くの場合木製ではありますが、壊すためには大砲の弾でないと壊れない頑丈な門です。
サンマロ城壁市役所
左はフランス、サン・マロの町全体を囲っている城壁の入口部分。
入口はこの塔の左側にあって、この塔は見張りの塔です。右の方に城壁の一部が見えていますが、こんなのでずっと町全体を囲っているのです。

サンマロ大砲

海に面した場所でも城壁には大砲が据えつけてあって、敵艦隊の来襲に備えてあるのです。
城壁で囲まれた町の中には独立国家として必要なすべての施設、例えば政庁や議会・税務署・警察署・教会・学校・軍隊etc.…何でもあります。

右はモン・サン・ミシェルの入口です。
観光客はお寺だと思って見物に行き、歸りにはプラールおばさんのオムレツを食べて満足します。
だがイギリスとフランスの百年戦争の時はここで激しい戦争が行われました。
モンサンミシェル大砲のある広場

右の写真、一番右下に黒く丸い物が見えていますが、これはイギリス軍の大砲で、口径30㌢ほどの大きな大砲が2門並んでいます。ここでの戦闘ではイギリス軍が負けて、この大砲を置き去りにして退却しました。この城壁の壁の厚みは優に3mほどもあって入口は左に見えているここ一ヶ所しかありませんから、この入口の扉めがけて大砲の弾を撃ち込むのですが、ここを守っていた17人の騎士が遂にここを守りきってフランス軍を勝利に導いたのです。
モンサンミシェル大砲二門
左はその時置き去りにされたイギリス軍の大砲。

城壁の上にはノルマンディーの「国旗」がひらめいています。言い忘れましたが先のサン・マロは・サン・ミシェルのすぐ隣の町なのだがこっちはブルターニュだからブルターニュの「国旗」がひらめいています。そしてどっちにもフランスの「国旗」は上がっていないのです。フランスらしいと思いました。


ちょっと余分のことを書きすぎました。元へ戻ります。

平城京東院庭園
いま、「平城宮跡」という場所を単に観光客として見物に行くと、先号(N0.319)に載せておいた朱雀門のような立派な建造物や、貴族の邸宅を再現した右の「東院庭園」とか、左のように貴族の服装などに見られるように、「あおによし奈良の都は咲く花の匂うが如く…」という華やかな面だけが強調されますけれども、それは権力を持った一握りの人間たちだけのことです。平城京貴族の服装
右の写真の邸宅も、左のきれいな服を着た人たちも、二~三位くらいの高級貴族、ということは大納言・中納言くらいの冠位の人の例です。

では今度は租税を取られる側の状況を見ましょう。

律令国家になりますと日本中ほとんどの人間の「戸籍」が出来上がりまして、大人だとそれぞれに「租(田地にかかる租税、収穫の約3%)・庸(都での労役、年間約10日程度)・調(織物や地方の特産物による物納、絹布なら八尺五寸程度)」という税を負担することが定められました。その他にも住んでいる地域での土木工事などに年間60日程度の労役や、何年に一度かの兵役負担(例えば九州沿岸の防備に当たる防人=さきもり の場合だと3年間勤め上げればそれでお終い)というのが義務として課せられました。これだけ見ると、租税の量は大したことはないのですが、実は都までの運搬も租税の納入者側の負担だから、運搬にかかる経費、というか、往復の食料や寝泊まりのことも自前で調達しなくちゃならないので、それが大変だったと思います。都の近辺の播磨や美濃あたりなら大したことはないのだが、信濃や武蔵や陸奥からだと都まで往復30日やそれ以上の日数はかかります。租税の納入の途中で病に倒れる人も出たようです。今も昔も、税金を集めて思いのままに使う人間と、取り立てられる側の人間との間には大きな差別があるようです。18歳から働き出して今までずっと、税金を取られる側の人間であるワタクシにはこのことが胸に響くのであります。
西大寺本堂l

平城宮のずっと東に東大寺がありましたが、すぐ西には西大寺があります。左が今の本堂。
創建当時は南都七大寺の一つとして東大寺と比肩する程の大寺だった。創建当時のつもりで様子を見ましょう。

南大門をくぐると左右に高さ十五丈(45m)の東塔と西塔の二つの五重塔(左の写真手前の礎石が東塔の礎石)と、十一面堂院・四王堂があり、中央正面に中門、その両側に廻廊が連なり、その中に藥師金堂、その奥に彌勒金堂と、二つの金堂があり、その廻りに鐘樓・食堂・小塔院・正倉院などが配置された大伽藍で、東大寺に対する西の大寺に相応しい規模どの寺院でした。

しかし平安時代には再三の火災で諸堂はほとんど焼失して衰微の一途をたどりました。このお寺を特徴づけるのは何と言っても「大茶会式」。西大寺大茶盛式
正月15日の初釜と、4月と10月の第2日曜日に行われます。
鎌倉時代、年頭の佛事の後で、当時としては薬として珍重されていて、庶民には手の届かなかったお茶を、丼に入れて參詣人に振る舞ったのがその始まりだということになっているのだが、その丼ががんだん大きくなって、ついには左の写真のように5kgもある大茶碗で回し飲みをするようになりました。西大寺愛染明王坐像





このお寺には京都嵯峨清涼寺の釋迦如來立像を模刻したという釋迦如来立像や、文殊菩薩騎獅像などいい佛像もあるのだが、一つだけ選ぶとすれば右の愛染明王坐像(右) 。

いつも煩悩に悩まされているワタクシにとってとてもありがたい佛様です。   合掌。

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2018.08.03 (Fri)

日記 2018年8月

1日 水 1005hPa 晴 PCとプリンタの関係が悪化してしまって、PCのドキュメントをプリントすることが出来なくなってしまった。昨日までうまくいっていたのに何故???
2日 木 1005hPa 晴 プリンタメーカーに℡して、メーカーの言う通りにしているうちに直ってしまった。これからはパソコン関連でトラブルがあったらすぐメーカーに℡して聞いてみましょう。一人でイライラしながらPCを触っていても埒があかないことがよく判りました。
3日 金 1004hPa 晴 ワルツで珈琲豆を買う。いつものキリマンジャロと、今日はワルツブレンドというのを初めて買ってみた。3日はワルツの日で5%offで買える。
Paoで珈琲。気温は37.7℃
4日 土 1005hPa 曇/晴 テレビを見て過ごした一日だった。
5日 日 1003hPa 晴 無事。アシュケナージ指揮のN響でドビュッシーの音楽をいくつか聴く。牧神の午後など。
6日 月 また甘酒を造った。
7日 火 立秋 1002hPa 曇 Chantilly で珈琲。
古本屋で「四字熟語辞典」というのを買う。驚いたことに、ほとんどの四字熟語は良く知っているものばかりだった。精選収録900語とあるがワタクシはざっと98%程度は知っている。水道民営化反対チラシ
浜松市では下水道の一部の民営化に続いて上水道も民営化をしようと企んでいるようなので、浜松市長 鈴木康友様あてに、「上水道事業の民営化計画をとり止め、優れた浜松市水道を公営で発展させることを求める要請」の署名簿を持って、いつもお買い物などに行くお店の美女たちに署名をお願いして歩いた。
美味しいお饅頭のお店のオ母サン、美味しい珈琲を飲ませてくれるお店のオ姉サン、お買い物をしたとき笑顔でレジを叩くママ、クリーニング店でお喋りにつきあってくれるオバサン、etc.
ミナサン快く署名をして下さいました。有難うございます。
Paoのえり子サン、天竜コンサートホールの塩崎サンたちも頑張っているのです。
8日 水 水 999hPa 晴 台風13号が房総半島沖へ。970hPa
Paoで珈琲。水道民営化中止の誓願署名簿をえり子サンに届ける。
塩崎サンから鰻蒲焼(胆焼も付属)とキハダマグロノのお刺身用柵(の大きいの)を頂きました。
ウナギは別の機会にとっておいて、今夜はマグロのお刺身。お腹いっぱいマグロを食べた。有難うございました。
図書館へ行ってNob.サンに手作り甘酒を少々。
9日 木 997hPa 晴 暑い日が続く。今日も無為に過ごした。
台風13号は仙台沖から東進して消滅(の予定)。台風14号は沖縄経由で中国大陸へ西進。(の予定)。
10日 金 998hPa 晴 Paoで珈琲。明日から一ヶ月程Paoは夏休みになるので、えり子サンとはしばらくの間逢えない。
11日 土 ● 1002hPa 晴 Chantillyで珈琲。図書館でNob.サンから来週水曜日、浜リコの練習へのお誘いがあった。暑い日が当分の間続きそうなので迷ってしまう。佐藤サンと少々話をしなくちゃならないと思っているので近いうちに練習にも行きたいとは思っているのだが。
12日 日 1006hPa 晴/曇/雨 随分久し振りに雨が降って雷が鳴った。
先日塩崎サンに頂いたウナギを食べた。
13日 月 1008hPa 曇 場所によっては激しい雨
エサなどお買い物に行っただけの一日。
14日 火 1009hPa 曇→晴 お散歩は久し振りに西方面へ。
西小学校→西部中学校→西高等学校→西図書館→西伊場から伊場遺蹟へ。ここは弥生人の生活の跡が残されている。
伊場遺蹟高床式倉庫
伊場遺蹟風景

東西500mほどの場所に弥生時代の復元住居や右の写真、高床式倉庫などが作ってある。お散歩にはいい場所。
15日 水 1012hPa 雨一時雷//曇
戦没者慰霊の会で天皇陛下のお言葉があった。
明仁天皇はワタクシと同年配なので、B-29の爆撃を逃れるために日光に疎開をしていた時、ワタクシと同様に蚤や虱に喰われた経験があったことを何かの折にお話しになっていた。この時からワタクシは明仁天皇に親しみを感じてしまった。日光の疎開先から皇居へ戻る途中に見たであろう東京が廃墟も知っている。来年新しく天皇になる人は、敗戦とその結末を(直接的には)知らないだろうし、徴集された兵士が♪勝ってくるぞと勇ましく~戦地に出かけ、負傷して戦地から引き揚げて物乞いをする場面なども見たことはないだろう。
戦争の始まりから惨禍までも体感している人間はワタクシと同年配以上の人に限られている。段々戦争も忘れられていくようだ。
16日 木 1011hPa 曇//雨一時雷 近頃よく雷が鳴る。気候が昔とは違ってきているようだ。
17日 金 1006hPa 晴 昨夜の雷で寒冷前線が通過したのだろうか。少し涼しい。
18日 土 1008hPa 晴 今日も爽やかな風が吹く。甘酒を造った。
19日 日 1010hPa 晴 お散歩日和。
20日 月 1012hPa 晴 暑くなった。
21日 火 1010hPa 晴 台風19号と20号が接近、暑い一日。Chantillyで明太子スパゲッティ
Chantillyでお昼に「明太子スパゲッティ」というのを食べた。ずっと長い間使っていたオーディオアンプ、山水のAU-D707Xが遂に駄目になったようなので、ビッグカメラという店へ行って、DENONのPMA-390REというのを買うことにした。フォノイコライザーの付いているアンプの中では安い方なので(YAMAHAのはもっと安いのがあったけれども、ヤマハのアンプはほぼ使い物にならない)注文し、お金を払い、納品は一週間後ということなので来週据えつけ工事をする予定。
22日 水 1009hPa 晴 台風が接近中なのに、ここは風も無く、雲もなく、10日程の月とその東に明るく輝く火星が美しい。
23日 木 処暑 1010hPa 晴→雨/風強し 床屋へ行く。
24日 金 1009hPa 雨 無事
25日 土 1009hPa 晴 無事
26日 日 ○ 古楽の魅力vol.3 華やかに!オペラデュオ古楽の魅力3チラシの絵
浜松地域情報センター1Fホール14.00
曲目を書いておきましょう。
.1. パーセル: メアリー女王の誕生日のオード より
   トランペットを吹き鳴らせ
2. パーセル 歌劇「アーサー王」より  二人の娘
3. テレマン: 2つのヴァイオリンのための組曲「ガリヴァー」
4. ヘンデル: 歌劇「エジプトのジューリオ・チェーザレ」より
   私は悲しむために生まれ
   シンフォニア/優しい眼差しよ
   愛しい方!美しい女!
5. テレマン: 「羊飼いの音楽」抜粋
(アンコール) ヘンデル「見よ勇者は帰り」
古楽の魅力テレマンフィナーレ
満員の盛況でした。写真は第2部、テレマンの歌劇「羊飼いの音楽」
27日 月 1011hPa 晴 猛暑日が続く。昨日も今日も35℃オーバー。
28日 火 1009hPa 晴 注文しておいたアンプを取りに行く。据付の準備を始める。
29日 水 1010hPa 晴 アンプにスピーカーとラジオ,CDなどを接続して試運転。とりあえずいい音が出たので本日はここまで。
ストラヴィンスキィの「兵士の物語」ジャン・コクトォの語り、、イーゴリ・マルケヴィッチの指揮のCDを聴いた。
30日 木 1009hPa 晴 アンプにレコードプレーヤーとカセットレコーダーを接続。あとCD録音機とvideo装置の録音・録画、その他こまごまとした接続を済ませて、綺麗にお掃除をすればお終い。それは明日以降のお仕事。
31日 金 1010hPa 晴→夜に入って雷雨。オーディオ装置の接続、一通り終了。
暑くって、泉光院も先日のオペラデュオコンサートの写真整理も全く進まない。絶望の8月が終わる。
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