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2012.05.03 (Thu)

日記 2012年5月 

1日(火) 八十八夜 ジェムサンに味噌を少々、本屋のコーヒー飲み場でお渡しした。
お元気そうでヨカッタ。ご主人も子供サンもオイシイと言っていたそうで、この次の
時にはもっとたくさんあげなくっちゃ、と思った。家族みんながオイシイ!と言って
くれると作ったワタクシは非常に嬉しい。
フランチェスコ・マルキオーニのチェンバロ
4月の24日に楽器博へ行ってチェンバロの
写真を写してブログに載せたのだったが、
チェンバロの制作者などを書いておかなかった
ので、今日改めて確認しに行きました。
右がそのチェンバロ。
1646年、イタリア・フィレンツエの、
フランチェスコ・マルキオーニの製作のものでした。
今日もこのお嬢さんが、クリストフォリのピアノ 
というのを弾いていたのでした。だがオリジナルの
ものではなくて1720~1726頃の3台を参考に
河合楽器の古楽器部が復元したものなのだそうで、従って写真は載せないでおきます。
2日(水) 明日から浜松祭り、というより、凧 がはじまります。
三組町凧揚会相談役
ずいぶん前に現役を引退してしまった
のだが、写真があったので記念のために
入れておきましょう。
右端、「相談役」という提灯を持ってニコニコ
しているのがワタクシyorickその人で
あります。(自分で言うのも変なのだが)
実に若いですねぇ。こんな時代もあったのだ!
相談役という役は何もしないで酒ばかり
飲んで紅白お餅いればいい役なので、ワタクシにはうってつけの役であります。
昨年の濱松祭りは中止になったので、予算が余った
のだろうか、餅撒きをする予定だったのだが、
あいにくの大雨で、お餅は各戸に配られました。  
3日(木) 憲法記念日 
昨日配られたお餅でお雑煮をして食べた。朝小雨
だったが凧揚げの連中は凧を揚げていたようだ。
日本の東の方は5月としては珍しい大雨だという。
ワタクシの部屋の気圧計では1000mb。
やや低気圧。それにしても最近の地球表面はちょっと狂っているようだ。
世界各地で異常気象が発生している。ほんの少しずつの事でも地球全域で変化が起こって
いるのだからトータルとしては大変なこと。
4日(金) みどりの日 浜松市美術館で開催中の「山本一樹展 風の記憶」を
見に行きました。昨日の雨は上がり、さわやかな風はみどりの日にふさわしく、
美術館も緑に包まれていました。浜松市美術館・外観
左が浜松市美術館の入口。
写真に写すとちょっと良さ
そうな美術館に見えますね。
NOBUYOサンに誘われて、
と言うか、図々しくついて
行って、と言うか、入場料を
払わずに入ってしまった
のでした。


山本一樹展・アドリア海に吹く風
右が山本一樹の、 The Wind that blows
at Mar Adoriatico と言う表題の作品です。
アドリア海に吹く風 と言うような意味
でしょうか。
鉄錆色・青錆色・緑青(ろくしょう=アルカリ性
炭酸銅の錆・有毒)といった錆色でいっぱいの鉄・
真鍮・ステンレスなどの金属製作品ですが、妙に
統一観があって面白かった。主にヨーロッパでの
風の記憶でしょうか。

「美人画と江戸のくらし~浮世絵の世界展」というのも同時開催で、中でも
「江戸自慢三十六興」という組物は江戸の名所の土地の名物と美人を組み合わせた版画。
風景を二代目歌川広重、美人を三代歌川豊國が担当する、という珍しいもので、こんな
版画もありなのだ!と思いました。
5日(土) こどもの日 立夏 久しぶりでたくさん歩きました。約17,000歩。佐鳴湖・つつじ
佐鳴湖西岸です。
1月3日の時とほぼ同じ場所の写真ですが、
時移り、つつじの花が咲いています。
ここはお散歩公園となっていて、一周6km。
ワタクシの家からだとトータルで12kmか
13kmほどになるだろうか。

6日(日) 無事

7日(月) ちょっと無理をした所為か左腰を痛めてしまった。だが朝から晩まで
やらなくちゃならないことはギッシリつまっているのでサボれない。
ワタクシの体は左側が弱いようで、もうかなり前になるのだがギックリ腰で痛めた
のが左側で、その時牽引で引っぱって良くなり、次に左側の腎臓から延びている
尿管に石が詰まってそれを取り除くのにお腹を切開してようやく除去し、次にまた
左の腰を痛めて整形外科へ行ったら脊椎のあたりに注射をして、それが原因だろうと
思うのだが左の足先からかかとのあたりまで麻痺してシビレがきているのだが、
今度また左腰が痛くなった。
ワタクシが死ぬときは体の左側に発生した何かによって死ぬのかも知れない。
8日(火) 無事
9日(水) 昼飯を食べに出ました。「紅すゞめ」という和食の店です。
紅すゞめ・マッチ昔は浜松の繁華街である有楽街という
ところに瀟洒なお店があって息子を
連れてよくお魚を食べに行ったのだが、
その店は今はもうなくなってしまって
デパートの中で営業をしている。
桜エビは今が漁の解禁で、由比港で
水揚げをしているのだが、そこまで食べにはとても行ける状況ではないので仕方なく
そのデパートの店で「桜エビ定食」というのを食べた。のせた写真はワタクシがまだ
タバコをのんでいた頃に貰ったマッチです。
10日(木) 無事
11日(金) 痛いのを我慢して今日も10,000歩以上歩いてしまった。お散歩コースは、
自宅から南下して鴨江観音の横を下り、国学者賀茂真淵を祀った縣居(あがたい)神社
の横の坂を下り、伊場遺跡という弥生時代の遺跡の中へ入ってから東海道へ出て、
若林の二つ御堂の前を通り、八丁畷の所から戻ったのです。二つ御堂というのは、昔、
奥州藤原秀衡が京へ上っていたとき病を得て、それを知った夫人(妾という説もあります)
が看病のため上京の途中ここまで来たとき、秀衡が死んだと旅人から誤り伝えられたのを
聞いて、気落ちした彼女は道の南に薬師堂を建てて菩提を弔っていたのだがやがて死んで、
その数日後、秀衡が奥州への帰国途中ここまで来てその事を知り、夫人(または妾)の
ために道の北側に阿弥陀堂を建てた、というのが二つ御堂です。今でも薬師堂と阿弥陀堂が
東海道の南北に向き合って建っています。
その脇には旅人の無事を祈るための馬頭観音も立っています。東海道は面白い道です。

12日(土) 無事
13日(日) 無事
14日(月) 無事
15日(火) 無事
16日(水) 少しばかり時間に余裕が出来たので浜リコの練習に顔を出しました。
6月3日の第17回リコーダーフェスティバルで演奏する曲、バッハの「ブランデンブルク
協奏曲 第6番」の練習です。この曲はワタクシの好きな曲ではありますが、ずっと
練習には出られない状況だったから今度のコンサートではカメラマンとして活躍する
ばかりです。
17日(木)
18日(金)
19日(土)
20日(日)
21日(月)舊歴4月1日 小満
22日(火)
23日(水)
24日(木)
25日(金)
26日(土)
27日(日)
28日(月)
29日(火)
30日(水) フラウト・トラヴェルソ・デュエット 19:00 ~ 楽器博天空ホール(予定)
31日(木)
21:45  |  日記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.03.31 (Sat)

日記 2012年4月

1日(日) 無事
2日(月) 無事
3日(火) 日本海に970ヘクトパスカル以下の低気圧発生。台風並の暴風雨、
という触れ込みでテレビはそればっかり。昔に比べて最近の気象はやや荒々しく
なったことは確か。
かやぶえの会加藤雅代さんから第5回ムジカkayabueコンサートの招待券を
贈っていただく。4月28日17:30開演。
4日(水)清明  無事
5日(木) 無事
6日(金) 無事
7日(土) 平野美術館へ行きました。「花鳥風月 桜花を中心に」という展覧会です。
NOBUYOサンに無料券を頂きました。
小野竹喬・春の芽堂本元次・水に映ゆ桜花
 


 










上左 小野竹喬 「春の芽」            上右 堂本元次 「水に映ゆ桜花」
木下章・山ざくら



 左 木下 章 「山ざくら」




  事務の方に、チラシの絵をブログに使ってもよろしい、という
 お許しを得ましたのでここに載せさせていただきます。
 
平野美術館では収蔵品を中心になかなかいい展覧会を開いています。
8日(日) 無事
9日(月) 無事
10日(火) 正午の状況 高積雲・雲量8 気温22℃ 湿度45% 気圧1023mb
11日(水) 無事
12日(木) 無事
13日(金) 無事 楽器博物館へ行って、「最小のアンサンブル~フラウト・トラヴェルソ・デュエット~」のキップを買う。\1,000 5月30日(水)19:00h 天空ホール。 
14日(土) 第39回古楽器演奏会。
18世紀アンサンブル浜松・ファロネルのグラウンド

上の写真、柿本さん(リコーダー)と
下の写真、武田さん(ソプラノ)は
初参加


18世紀アンサンブル浜松・パーセルの歌曲

雨が降っていたにもかかわらず
40人弱といういつもの演奏会
より多くの聴衆が来た。



積志リコーダーカルテットでは前回まででは山田さんがずっと喋っていたのに、
今年はどうしてもいやだと言って、徳永さんが喋ったのが笑えた。

 18世紀アンサンブル浜松
 岡本さんがコルネットを吹く。珍しい楽器。
 
 演奏はどれもみんな素晴らしかったです。

帰りに「IGUZIONE cafe 」という喫茶店(のような店)に入る。
イグシオーネのベンツ
ワイシャツのようなものを売るのが
このお店の本来の姿らしいのだが、
ベンツの凄い車が店内に置いてあって、
コーヒーを飲みながらこんな車を
眺めるのは好きな人にはたまらない
魅力かも知れない。
15日(日) 無事
16日(月) CO-OPの店に「五郎島金時
(金澤産サツマイモのブランド品種)」五郎島金時
が売っていたので買ってきた。
ふかして食べようか、
焼いて食べようか。






17日(火) 無事
18日(水) デパートへ行ってふくやの激辛明太子と森(有)からし蓮根を買ってきた。
ふくやのからし明太子は昔出張で佐賀エレクトロニックス(株)の帰りにわざわざ博多で
途中下車をして中洲の本店で激辛を買ったのだし、
ふくや・激辛明太子箱ふくや・激辛明太子中身

森のからし蓮根はやはり熊本日本電気へ出張したとき買い求めたもので、
思い出多い九州の味。
森・からし蓮根からし蓮根・切った所


19日(木)無事
20日(金)穀雨 無事
21日(土)舊歴閏3月1日 無事
22日(日) 無事
23日(月) 無事
24日(火) 散歩の途中楽器博物館へ入る。丁度2時だったのでチェンバロの演奏があった。イタリア製チェンバロ・楽器博
イタリア製の古いもの。
見物人はワタクシ一人でしたので
丁寧に説明してくれました。
弦をひっかく爪はその当時は
カラスの羽根の根元の所を使って
いたそうで、カラスの羽根も
見せてくれました。そこまでは
ワタクシも知らなかったので面白かった。
久しぶりで10.000歩以上歩きました。
3月初めからずっと歩いていなかった
ので少々草臥れました。
25日(水) 四季彩堂で湯冷ましを買いました。湯冷まし

右の写真、一番前のは亡息が持っていた
萩焼のもの。
その次のちょっと紫色がかったのが今日
ワタクシの買ったもの。
実は今まで使っていたのは信楽のもので
わりに丈夫だったのだが、先日天井の
電灯の小電球が切れたので取り替えを
やっていたらカバーが壊れて落っこちて
信楽の湯冷ましを壊してしまったのです。
息子の愛用していた萩焼のは手に持った
感じが具合よくてワタクシも好きなのだが、
萩焼は柔らかくて壊れやすいので、
今日買ったのは丈夫そうでちょっと大きめで
まずまずのもの。
今日は12,000歩以上も歩いた。
だが明日明後日はその時間の余裕はないようです。
26日(木) 無事
27日(金) 無事
28日(土) コンサートが2つありました。
ひとつは 浜松少年少女合唱団第13回定期演奏会。アクトシティ浜松中ホール、14h30’
浜松少年少女合唱団

中・高のこどもたちの合唱団。
手前で傘を広げて踊るのは
「あめふりくまのこ」を
歌っているときの小学生たち。

キップはsatomiサンから
いただきました。

もうひとつは 第5回ムジカkayabueコンサート。浜松市福祉交流センターホール。17h30’
kayabueコンサート
このコンサートは川崎優先生
の米寿記念コンサートでした。
私が川崎先生にお目にかかった
のは昨年4月の、
賛育産婦人科の応接室での
工藤重典フルートコンサート
の席でした。

そのあとのパーティの時に加藤雅代さんと始めて知り合って、第4回kayabueコンサート
のキップをいただき、さらには今度の第5回のキップも送っていただいたのでした。
かやぶえ・川崎優先生
川崎先生は普段は車いすに乗っての
生活のようですし、今度も舞台の
指揮台の所まで杖をついての歩行
でしたが、いざ指揮をするときになると、
杖を下に置いてしっかり両足を踏ん
張って見事な指揮ぶりでした。
声もしっかりしていて、
とても88才とは思えません。
しかも広島原爆中心地から1.5kmの
所で被災していたということです。
だがこの米寿記念コンサートを最後に舞台から降りるそうです。
まだ元気はあるだろうに。右は思い出を語る川崎先生。
ワタクシもあのように生きたいものだとしみじみ思ったのでした。

29日(日) 無事
30日(月) 無事 ケアマネージャー太田千鶴子さん来る。
介護用品など打ち合わせ。
16:30  |  日記  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

2012.03.25 (Sun)

ヨリックの散歩道 金澤044 聖書と古事記(その1)

いきなり大上段に構えてしまったが、No.042 でハイドンの「天地創造」を演奏した
ことを書き、040で北原白秋・信時潔の「海道東征」を歌ったことを書いて、その両方とも
神話の世界だったので、昔の人はどんな風にこの世界が出来て、人間がどうして
生まれてこの世界に生きているのかということをそれなりに考えたのでした。

今私たちの住んでいる地球は、宇宙というものの中にある(らしい)ということと、
その宇宙というものは今から195億年か前には体積はゼロに等しい大きさだったのが
何らかの事情で膨張を始めて(ビッグバンといってるようですが)、今もなお膨張を続け
ているらしいということあたりまではみなさんおぼろげながら知っているのですが、
普通の素人はそれから先の事は考えても仕様のない事なのでワタクシもこの件に関しては
あまり深く追求しないことにします。

晴れた夜空を眺めてみましょう。この大きな世界はどうやって出来たのであろう、
誰が作ったのであろう、誰でも一度はこういう疑問を持ったでしょう。
聖書はこの疑問にいとも明快に「神が創った」と言いきっています。
最初の日は、混沌とした闇にむかって、神は、「光あれ!」といいました。
すると光が発生して、光と闇は分かれます。この後もこの世界の設計者は実に要領よく
世界を創っていきます。
2日目には水と空が、3日目には陸と海が、4日目には大きな光(太陽)と小さな光(月)
を作り、それぞれに昼と夜を治めさせました。
神様・ミケランジェロ
右の絵はミケランジェロの
描いた神です。
多分4日目、月と太陽を
創っているところでしょうか

神様は実に堂々とした
怖い表情で指図をしています。
神の命令は絶対である、
と言わんばかりです。

5日目には鳥や魚を作り、6日目には動物たちを拵え、「そうだ!彼らを治める者が
必要だ」と、神は自分に似せて土の塵を集めて人間の形を作り、鼻から息を吹き込んで
生命を与え、そうして満足した神は、7日目はお休みにしたのでした。
サンマルコ寺院・丸天井
左はヴェネツィア・サンマルコ
大寺院の丸天井に描かれている
天地創造の模様です。
キリスト教世界での天地創造の
様子はおおよそこのようなもの
でした。

それにしても土の塵を集めて人間、
とりあえずはアダムと呼ばれる
人間を創ったというのを知って
ワタクシはたいそう驚きました。
その後、アダムが寂しそうにして
いるのを見た神様は、アダムが
寝ている間に彼の肋骨を一本
引き抜いてそれに命を与えて、
エヴァという人間を創って、
仲良く暮らすようにしてあげた
のでした。
だがこの二人が仲良く暮らすという事はなかなか難しい事のようですね。
殆どの文学作品は男と女が仲良くならない事を題材にしているようですからね。
アダムとエヴァ

右の絵はエヴァが右にいる蛇にそそのかされて
知恵の木の実というのに手を伸ばしているところ
でしょうか。
ハイドン・天地創造



左はハイドンのオラトリオ「天地創造」のCDのジャケットの絵です。
アンタル・ドラテイ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。
合唱はブライトン・フェスティバル合唱団で、
ソプラノは私の好きなルチア・ポップが天使ガブリエルを歌っているので買った
CDなのですが、いま改めてジャケットを眺めてみると背中に大きな羽を背負った
創造主(神様)が、アダムを
作っているところの絵なんです。
この絵を描いたのはウイリアム・ブレイクというイギリスの絵描きで、
1795年の作、ロンドンのティト・ギャラリー蔵。

ついでにこの曲の構成を簡単に書いておきましょう。

第1部 天地創造の初日から4日目まで。 天と地、光、水、海、太陽、月や星、昼と夜
などの創造。
第2部 第5日目から第6日目まで。 魚、鳥、動物、人間の創造
第3部 アダムとイヴによる創造主の賞賛。 

第1部と第2部では3人の天使(ガブリエル・ウリエル・ラファエル)によって天地創造の
有様が語り進められていき、第3部ではアダムとイヴが神の御業を讃え、天使ウリエルが
二人を祝福する、というなかなか壮大且つ面白い音楽です。

ヨーロッパから日本へ来る間にインドという所があります。思索や議論をことのほか好む
インド人は、遙か昔から宇宙の本質について頭をひねっていたようです。
…宇宙はどんな空間的広がりを持っているか。時間との関係はどうなっているか。
宇宙を構成している素材は何か。神と宇宙の関係はどうなっているのか。宇宙の本質は何か。…
このような問題について、お釈迦様がこの世に現れるさらに前の時代、5000年もの昔から
インドの神官や哲学者は追求していたのでした。そしてその名解答は、 
宇宙=ブラフマン(梵)

古インドの宗教書、リグ・ヴェーダというのに、宇宙開闢の歌というのがあるそうです。
 …そのとき 無もなかりき、有もなかりき、
  空界もなかりき、その上の天もなかりき、
  何ものか発動せし、 いずこに、 誰の庇護のもとに、 …

この項の一番最初の方に、現代物理学による宇宙開闢の考え方、殆どゼロにひとしい宇宙が、
何かのショックで急に広がっていまのような広大な宇宙になったらしい、ということを、
ワタクシも判らないなりに書いておきました。
バラモン教の教典、リグ・ヴェーダに書かれている言葉は、まさに現代物理学が考えている
ような宇宙観を、すでに太古の昔に書いていることに驚きを感じます。
遙か昔に中央アジアあたりにいたアーリア人が、カイバル峠を越えて、インダス川流域から
ガンジス川流域あたりに定着して、生産力が増大し、社会が安定になり、王権が確立し、
祭祀者階級バラモンを頂点とし、隷民を最下層に置くカースト制度ができあがり、経済が発展し、
都市文明が発達する、このような図式のもとで、思想や学問が発達していきます。

ブラフマン(中性名詞)は宇宙の本質を表す抽象概念です。宇宙を成り立たせている根本原理、
というべきものですが、やがて人格神となって、ブラフマー(梵天)へと姿を変え、
混沌とした原初暗黒宇宙内を天・地とその間を繋ぐ空とに分けて、万物を創造していった
のでした。

バラモン教が後世になって変質してヒンドゥー教となり、神様も、創造神であるブラフマー、
繁栄・維持に当たるヴィシュヌ、破壊を担当するシヴァの3人の神様が最高神となりました。
だが基本的にはこの3人とも宇宙原理の三つの顔であり、一体のものである、ということに
なっているようです。
ヒンドゥー教の神様

左の絵、こういうのは
インドではたくさん
売られているのだそう
ですが、
左がブラフマー、
中がヴィシュヌ、
右がシヴァだそうです。
ブラフマーは4つの顔を持ち、
7つ頭のアナンタ竜王が
ヴィシュヌの頭の上に傘を
広げたように立ち、
シヴァは槍で武装をしている
ように描かれます。

のちに梵天は佛教に取り入れられ、
インドラ神である帝釈天と対になって
佛教の守護神となりました。
21:46  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.03.04 (Sun)

ヨリックの散歩道 金澤 043 ちとせ

四高の講堂での金澤大學合唱團の演奏会の写真を載せたので、ついでに
金澤大學フィルハーモニーオーケストラの写真もここでのせてしまいます。
金大フィル・1953年春

四高の講堂ステージの全景です。「至誠」という大きな額がかかっています。
周囲に二階席があり、天井も高くて、なかなか好いホールでした。
ここは高校生の頃からよく通いました。ある時ここで面白いものを発見したのです。
ステージの裏には両脇に楽屋というか小部屋があり、さらには天井裏に通ずる階段が
ありました。この天井裏に楽譜の山があったのです。そしてそこで始めて手にした
オーケストラのパート譜、それはチャイコフスキィの交響曲第4番のヴィオラのパート譜
でした。何でそんな事まで覚えているかというと、ヴィオラの楽譜は中音部記号
(アルト記号)で書かれている、ということと、この交響曲の第3楽章のヴィオラ
(だけではなくて殆どの弦楽器)はピチカート(弦を指ではじく奏法)で演奏される
ことと、この楽章の旋律はロシア民謡の「小さな白樺の木、生えているよ野原に、
リューリリュリ野原に」という旋律が繰り返し演奏されることと、それらが重なって
私の頭の中に一度にそんな事が渦を巻いて現れたのでした。
金大フィル・斉藤裕ヴァイオリン








左は上の写真と同じ演奏会、1953年春の定期演奏会です。
斉藤裕のヴァイオリンソロですが、何の曲かは忘れてしまいました。指揮者の頭のすぐ上が
ワタクシで、その左が哲子サンです。
金大フィル・集合写真31年秋

大學のオーケストラではよくこのようなエライ教官も入った集合写真も何枚かはある
のですが、工学部の教官以外は殆ど知らない人ばかりなのです。2列目以降の小さく
写っている人は実際に音を出していた人たちですから、懐かしいのです。
金大フィル・31年秋・最後の演奏会

このステージは北陸學院栄光館のようです。1956年秋。
この頃になると私と同年配の人は次々と卒業していくので、ワタクシもだんだん
居づらくなって、これを最後に金澤大學フィルハーモニーオーケストラを退団しました。
富山の哲子サン
富山市公会堂での演奏会の時の哲子サン。
哲子サンは背が高くてスラリとしているので
高クン、指揮をしたりピアノを弾いたり
ティンパニを叩いたり、となんでもできる
いい人だったのだが、彼があるとき、
…あの人(哲子サン)がお辞儀をしても
オレより背が高いので…… 、と、
なかば自分の背の低いのを嘆きながら
言っていたのを彼のお葬式の時哲子サンと
一緒になったのでつい思い出してしまった。

ちとせ の看板

今度の表題にした「ちとせ」というのは、
四高の講堂のすぐ前にあったお菓子屋さん、
というより、お汁粉の美味しいお店のこと
です。

ちとせ というこのお店は、
間口が2間か2間半ほどの小さなお店だった
ように思いますが、ここのお汁粉はとても美味しくて、ここのお店ならば女の子を
誘っても大抵はいやがらずについてきてくれるお店でした。四高の講堂のすぐ近く、
仙石町(せんごくまち)の通りにあって、コンサートの帰りなどによく立ち寄った
のです。
このあたりの風景はもうずいぶん変わってしまって、偶然この写真を見つけて、
半世紀前のお汁粉の味を思い出すと同時に、ワタクシが今でも小豆のツブの見える
「ぜんざい」よりお汁粉の方が好きなのは、やはりこのような記憶が私を支配して
いるからなのだろうと思います。
21:38  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2012.03.01 (Thu)

日記 2012年3月

1日(木) 無事
2日(金) 無事
3日(土) 無事
4日(日) 無事 ノートパソコンを置いているテーブルに若干重たい書類入れや
雑多なものを置いたらテーブルが下がってしまった。このテーブルは油圧か何かで
上へ持ち上げているタイプのものなのだが、あまり大きな荷重をかけるとよくない
らしい。で、重たいものは別に木製の本棚のようなものを作ってテーブルと並べて
おいて、その上に重たいものを載せる計画をして、棚を買いに行った。在庫がなかった
ので注文した。一週間ほどかかるという。
5日(月)啓蟄 朝日新聞・天声人語欄に啓蟄の事が出ていた。啓蟄というのは
虫が蠢(うごめ)き出す頃のことで、そういえば蠢の字は春の下に虫が二つ、
虫虫と並べた文字。面白い。
それで漢和辞典の虫偏の項を見たら、虫偏の字が何とまあたくさんあることあること。

6日(火)昨夜から今朝にかけて大変だった。ワタクシの部屋は二階和室と洋室
(といっても古い住宅の古い様式なのだが)を使っていて、和室の方で寝て洋室の方で
パソコンなどを叩いている。その洋室の方のドアノブが壊れてドアが開かなくなった。
つまり中にいたワタクシは閉じ込められてしまった。脱出方法をいくつか考えてみたので
紹介しておきます。ミナサンにもこういう事態が発生することがあるかも知れませんよ。
1. 押入の天井板の一ヶ所は大抵外れるようになっているもので、そこから天井裏へ登り、
別の部屋の押入の天井板の外れるところを探してそこから抜け出る。(隣の和室の押入の
天井板が外れるかどうか確認はしていなかった。洋室押入の方は外れること確認済み)
2. 窓を開けると物干し場があるのでそこから一階小屋根へ降りて隣家との境の塀の上へ
取り付いて降りる。(小屋根と塀の高さがかなり開きがあって、且つ狭いので多少の
危険を伴う怖れあり)
3. ロープを作って物干し場の柱に縛り付け、ロッククライミングでやるように建物の
外壁伝いに降りる。(ロープの材料がないのでカーテンを切って捩って繋いでロープ状の
ものを作るのはかなり時間がかかりそう)

いろいろ思案して第2の方法で実行することに腹を決めたのだが、明け方、雷が鳴って
雨が降り、物干し場から小屋根へ出てみたのだが、雨で屋根が滑ってとても怖い。
そこへ丁度隣家の主人が仕事(大工です)に出かけるために出てきてトラックに乗り
込もうとしたので呼び止めて、ハシゴを貸して貰って無事脱出が出来ました。
だが玄関には内鍵がかかっているので普通には開かないのだが、ワタクシの知っている
方法(これは他人にはお教えできません)でうまく開けてようやく家の中へ入ることが
出来ました。
そして今度は壊れたドアノブを取り外す作業です。金鋸の歯(これが幸いなことに新品が
一本工具箱に入っていて)でドアの隙間から動かなくなった金具を切り出したのです。
直径16mmほどの鐵の棒、30分ほどかかってようやく切り取りました。ヤレヤレ。
7日(水) 無事
8日(木) 無事
9日(金) 無事
10日(土) 無事
11日(日) 久しぶりの晴天。4日に注文しておいた棚の材料を取りに行き、作った。
高さ600mmで、幅450mmのと300mmのを本棚を作る
それぞれ一個、これを右のテーブルと
高さを合わせるために下駄を履かせて
両方共通の天板を付けてテーブルの
奥に入れて、重い書類入れやその他
雑多な物をその上に載せる。
そうするとテーブル面が廣くなって、
ノートパソコンとスキャナが扱い
やすい状態になるだろうと思う。

12日(月) 棚の下に敷く下駄を作った。
塗装までやりたかったのだが
風が強くって無理。
13日(火)下駄の塗装完了。
14日(水) 工事開始。
隙間を作る棚を入れるテーブルを入れるテーブルクロスを敷く










隙間を作る       作った棚を入れる     テーブルを入れる     クロスを敷く

完成


 完成です。
この中に見えるかなりの
物は手製です。
スピーカーボックス、AV機器の棚、
電気スタンドetc 
小さい物でもそれなりに作ったり
しています。スヌーピーも居ます。



パソコンの左に資料を置くスペースが出来たことと、スキャナを楽に置ける
ようになったことと、紙をカッターナイフで切る時の敷板も置けるのと。
いろいろ便利になりそうです。

15日(木) 無事
16日(金) 無事
17日(土) 無事 お彼岸の入りだという事でおはぎを食べる。
18日(日) 無事
19日(月) テーブルの上を少し片付けてテーブルの上
ブログの原稿を書きやすくした。
テーブルの上に資料を置けて嬉しい。
ジェムサンに味噌を少々おわけして、
「信州開田高原木曾街道生そば」を頂いた。

20日(火)春分
お彼岸には私の家から300mほど
南にある鴨江山鴨江寺
(こうこうざんかもえじ)、
通称鴨江觀音は賑わいを見せます。
山門をくぐると露店が並びます。
鴨江觀音・露店
昔に比べると参詣する人もずいぶん減って
しまったし、露店の数も少なくなった。
昔はこの境内でサーカスをやったりオートバイの
曲乗りがあったり、いろんな見せ物、例えば
「六尺の大イタチ」だとか「ガマの油売り」といった
ものもあったりして、楽しく遊べる場所でも
ありました。

鴨江觀音・本堂の下

左の写真、この石段を登った先が本堂ですが、
その手前右の方に水掛地蔵があります。
長い竹の竿の先に小さな柄杓がついていて、
それでこのお地蔵サンの頭から水を掛けて
あげるのです。
鐘楼もあって、朝から晩まで鐘が鳴っています。

鴨江觀音・水掛地蔵1鴨江觀音・水掛地蔵2鴨江觀音・カルメ焼





カルメ焼きです。





ワタクシはなぜかお彼岸に鴨江觀音へ来るとカルメ焼きを買うのです。
今年も買いました。。
21日(水) 6月のリコーダーフェスティバルの出演は無理なようなので断りに行く。
例年通りカルメ焼きを持って行った。
塩崎さんに頼まれた佐藤さんのコンサートのお手伝いも出来そうにもないので
これもお断りしなくちゃならない。
22日(木)舊歴3月1日
所用で浜松市中区役所という所へ行く。応対してくれた成瀬秀子さんという人は親切で
且つ美人でした。
続いて坂口医科器械店へ行きました。ここの社長はまだ40代で且つ美人(ワタクシの娘が
西部中学校で同級生でブラスバンドも一緒だった)だそうですが、他出中で残念ながら
お会いすることは出来ませんでした。用件はとりあえず全部完了。
23日(金) 今日から3日間LPレコードをクリエートで売っている。茅笛の会の
川崎優先生のレコードが売っていたら今度は是非買いたかったのだが見つからなかった。
昨年4月、工藤重典のイ・ソリスティ・マルセイエーズ演奏会で知り合った加藤雅代さんが、
川崎優先生の茅笛の会の会長のような立場の人らしいので、レコードがあれば記念のために
買って、CDに復刻したものと一緒に差し上げたいと思っていたのでした。
去年秋のこの中古レコード販売の会で見つけたのに買わなかったのが悔やまれる。
24日(土) 無事
25日(日) 無事
26日(月) 無事
27日(火) 無事
28日(水) 無事
29日(木) 車でモクレン街道というのを走る。6~7kmほどだろうか。殆ど白モクレン
ばかり。満開をちょっと過ぎたかな、という程度。
30日(金) 無事
31日(土) 寒冷前線通過で春の嵐。神明神社の櫻、8分咲き。春になった。
神明神社・櫻
神明神社はワタクシの家から90mほど
北に行ったところ。すぐ近くです。

まずここでお花見が出来ます。









今月はずいぶん多忙だった。
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