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2017.06.23 (Fri)

泉光院の足跡 237 富士山頂

泉光院は山頂を目指します。

…扨此二合目と云ふより八合目迄一合々々に室戸とて穴あり、内は石垣にて上に天井を作り、其上に砂を掛けて、岩穴の如く作りたる所也。内の廣さ十五六枚敷あり。六月朔日より七月二十九日迄番人一人宛晝夜住居し登山の者の休息所とす。飯、餅、酒、茶等望み通りに有り、夜に入り此所水なき故に雪汁を以て煮物をする也。吾々共五合目迄登り掛けたる處、余り寒風烈しきに付、未だ晝頃なれども登り得ず、因て五合目室戸に宿す。戸口は一ヶ所なれば風は一切入らず、内は甚だ宜し、然れども白昼にても暗し。
富士山須山口宝永火口
江戸時代も後期になるとおおぜいの人が富士山に登るようになり、山小屋には常駐の小屋番がいて食事も出るようになっていた。
右は宝永火口。ほぼ五合目あたりです。
ここまで来たら、…余りに寒風烈しき故に…ここの室堂に入って一夜を過ごしました。
富士山日の出
翌朝は晴天だった。


十六日 晴天。朝日眼下に出るように有り、早々立ちて上宮禪定す。七合目よりは小石少々有り、下は皆小砂也、八合目より上は大石也。上る事三合目よりは胸を突く如く険阻なり、晝時銚子口と云ふに着く此所に手洗水湧く小池あり、廻り六尺計り、深さ八九寸、此上に花表あり、御鉢の淺間明神を拝す。此所より御鉢廻りと云ふをなす。廻り半道計り、…
富士山奥社鳥居
富士山頂の浅間神社奥宮です。お詣りしてから頂上の火口を一回りするのを御鉢巡りといいます。
直径約600m、深さ約200mの周囲には、最高峰3776mの剣ヶ峰から順に(時計回りに)白山岳、久須志岳、大日岳、伊豆ヶ岳、成就ヶ岳、駒ヶ岳、三島岳、の8峰が並んでいるのです。
この八峰、江戸時代には大日、釋迦、藥師、阿彌陀、文殊、などと本地佛の名前だったようです。
右の写真、真上から見た富士山の火口。いちおう上が北、左が西で、大きく崩れているのが大沢崩れ。
富士山火口空撮
泉光院は右側ちょっと下の方から登ったようです。そして火口を一回りしました。1時間くらいで回れるそうです。
富士山お鉢巡り馬の背

左は「馬の背」といって、御鉢めぐりの中でいちばん低い地点から最高峰の剣ヶ峰まで一気に登る急斜面。

富士山ドーム空撮

左が剣ヶ峰。白いのはレーダードーム。
この高い所に台風を捕まえるレーダー装置を作ったのが1964年(昭和39年)でした。

レーダー装置というものは、太平洋戦争の時アメリカ軍がいち早く実用にして、日本軍の飛行機や艦船が姿を現す前に発見して攻撃するという当時としては新技術の装置です。日本軍も同じようなものを作ろうと、東芝姫路工場あたりでマイクロ波の強力な電波を作るためのマグネトロンの研究はしていたのだが、完成前に戦争に負けてしまった。
戦後、このレーダー技術に関するすべてがMIT(マサチューセッツ工科大学)から三十数冊の本になって出版され、ワタクシの勤め先の図書館にも(リプリントで)全巻揃いました。当時の最先端電子技術の粋をこれらの本で勉強する事が出来たのです。
いま、コンピューターやデジカメや携帯に多用されているパルス技術やメモリなどといったものも真空管回路で作ってあって、それを参考にしてワタクシたちも真似をして同じようなものを作ってみて喜んだのでした。
その後電子技術はどんどん進歩してしまって、台風の追跡などは衛星画像に取って代わられ、富士山頂のレーダー装置はすっかり時代遅れになった(つまりワタクシの知っている範囲のデジタル技術もすっかり時代遅れになってしまった!)のでした。
この富士山レーダーは1999年11月を以て役目を終えて35年の歴史を閉じたのでした。

…御鉢の深さは卅間計り、中は皆雪にて埋れり。頂上西に劍の峯と云ふがあり、大石の間に金佛の藥師堂あり、納經す。此所に室戸段々あり。北に當り賽の河原と云ふがあり、東に廻り大日堂に納經す。夫より元の銚子口に出で室戸に休息す。…
富士山石仏群

泉光院はコノシロ池という奥宮のすぐ横の小さな池で手を洗って、奥宮を拝して、それから最高峰剣ヶ峰へ登り、右廻りに火口壁を一回りしたのでした。途中には藥師堂があったり大日堂があったり、そして賽の河原には右の様な石佛などもあったのでした。これも明治の廃佛棄釋の時には首を取られたりひどく壊されたりしたのでした。

立体写真というものをご存じでしょうか。
被写体をほんの少し違う角度から写して、それを並べておいて、左眼で左の写真を、右眼で右の写真を見て、頭の中で合成させて立体にするのです。富士山頂上の立体写真があるのでそれを載せておきます。
最初はうまく見えないものですが、少し慣れると実に見事に立体感覚が得られます。実際よりももっともっと高低感が強調されてまったく感動的です。
富士山頂上立体

『空から見る日本の火山』という本が理科年表のいわば別冊として丸善から出版されて、この本でほとんど日本中の火山の姿を「立体で」楽しみました。パソコン上でも出来るかな、と思ってやってみたのです。裸眼立体視という、道具も何も使わずに立体感を得ること(これは手を伸ばしてお茶碗やお箸を取ったり、遠くの物の前後を判断したりする)は、日常生活で誰もがやっている事ですから、ちょっと慣れればすぐに出来る様になります。あまりシッカリ見つめないで、遠くの方をボォーッと眺め流つもりで見ていると、「アッ」と驚くように立体になります。かなり粗末なプリンタで印刷したものでもよく見えたので安心しました。ネット上のブログでも画面上で立体感は得られます。

…扨登山すれば萬物皆黄色に見ゆ、心持ち此の世界の如くになし、大凡初禪天に近からん、麓は雨なれども八合目より上は毎(いつ)も晴天也。此の物の黄色に見ゆるは脾の臓を勞する故に、其の勞(つか)れ目に出るに因る也。何ぞ不思議ならんや。又下り道は元登りし道の少し脇を眞直ぐに走る也。一足に九尺計りも下る、登る事一日にして下る事半時也。草鞋は新物二重穿く也。夫れにても二合目に下り見れば皆々切れて有り、…

下りは「大砂走り」で下ったようです。宝永山の北側の方、今でいえば御殿場口の八合目あたりから下。一歩で2~3mは下れるのです。
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06:12  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.06.16 (Fri)

泉光院の足跡 236 富士山へ

十三日 晴天。修善寺立、辰の刻。田中村六角堂とて日本回國六部の祖、頼朝坊由緒ある古蹟とて六部の甚だ貴ぶ處也。因て納經す。夫より伊豆の三島明神へ詣納經す。本社南向、諸人知る處なれば略す。夫より國分寺へ詣納經す。今は寺は退転と見へ納經所は社家の様見ゆ、本堂は明神の境内にあり、…
韮山反射炉
修善寺を発って三島の方へ行きます。いまの道路なら国道136でしょうか。途中に韮山反射炉というのがありますが、もちろん泉光院が歩いた頃にはまだ出来ていません。
嘉永6年6月にペリーが浦賀へ来て、その一年後にまた来るというので追っ払うために大砲を作らなくちゃならない。大砲を作るためには鉄を溶かす炉が要るのだが、炉の作り方はほんの数年前、オランダの『ライク王立大砲鋳造所における鋳造法』という本の翻訳から始める、という様なありさまだった。
この反射炉は現存する世界唯一の反射炉で、記念碑的な価値の高いものです。
三嶋朝霧東海道五十三次之内
廣重版画「東海道五十三次之内 三嶋 朝霧」

三島の宿は三嶋大社の門前町として発達しました・
廣重の絵は朝霧に包まれた三嶋大社の宿場の姿を描いています。

文政の頃に出版された旅行ガイドブックにはこんな小唄があります。
♪富士の白雪や朝日でとける、とけて流れて流れの末は、三島女郎衆の化粧の水♪
三島農兵節記念碑
と、いまのノーエ節(農兵節)としてよく知られている唄と同じような小唄が載っていますから、かなり昔からよく知られている唄だった。
左は「農兵節記念碑」で、この唄は韮山の代官であった江川英龍(担庵)という人が幕府に建議して作った農兵隊の士気を鼓舞するために作った唄だというのです。江川家は代々「太郎左衛門」を襲名するので、江川太郎左衛門の名前で知っている方も多いでしょう。先に書いた反射炉も、英龍の建議によって幕府の命令として建設することになったのでした。
三島楽寿園渇水
三島は富士山の雪解け水が地下水となって大量に湧き出ている所で、三嶋大社の西にある「樂壽園」という庭園の小濱池にも満々と水が湛えられていたのだが、三島市の北側にある大きな工場群が大量の地下水を汲み上げたのですっかり涸れてしまった。(右の写真)

これでは名園が台無しになる、というので取水制限をしてようやく水が戻った。
三島楽寿園満水

左、水を湛えている樂壽園。
やっぱりこの方がいいですねぇ。






…夫より伊豆の三嶋明神へ詣納經す。本社南向、諸人知る處なれば略す。…

三島大社鳥居
三嶋大社の鳥居です。
お正月、初詣の季節ですから霧は発生しないのだが、霧の出る季節なら上に載せておいた廣重版画と同じような景色になるのでしょう。



三嶋大社拝殿本殿
三嶋大社に詣納経しました。
三嶋大社の拝殿と、奥に屋根だけ見えるのが本殿。

…夫より國分寺へ詣納經す。…

樂壽園の所から伊豆箱根鉄道の線路を横切ったところに伊豆國分寺の跡があります。旧蓮行寺の境内を発掘調査した結果では、二丁四方の寺域に、金堂、僧坊など建物の跡が確認されたのだが、今はほとんど鉄道線路の下となり、わずかに本堂の裏に塔跡の礎石を残すだけで、国の史跡として保存されているだけの状態のようです。

泉光院はこれから富士山へ登るのです。

…夫より富士山麓スバシリと云ふに赴かんと伊豆島田と云ふを通る時、跡より呼び掛くる者あり、立ち返り見れば先達てより知る人なる雲州の武平と云ふ回國者也。何れへ行くぞと云ふに付、スバシリへ行くと云へば、富士山は此所より巢山口と云ふを登れば甚だ宜し、此村へ一宿すべしとて直ちに宿取り呉れらる。藤藏と云ふ宅、甚だ善根の家也。

泉光院の予定では御殿場の須走口から登るつもりだったのだが、旅の途中で知り合った出雲の回國者武平サンが、富士山に登るなら巢山口(須山口)の方がいいよと言われて、宿まで世話して貰った。とてもいい人たちの家だった。

十四日 晴天。今日は滯留して洗濯などし明日登山然るべしと家内中申すに付、滯留し洗濯す。
十五日 晴天。伊豆島田立、辰の上刻。巢山口より不二山へ登る。島田より三里、巢山口より又三里に丹生明神とて宮あり。此所富士禪定の者を改むる所也。山役とて一人前三十二文出る由、回國の者は出さずに通る。此處を不二一合目と云ふ、是より不二の内也。…

今の富士山登山ガイドブックでは、登山道として「四大ルート」、吉田(河口湖)、須走、富士宮、御殿場、の四つを挙げていて、須山ルートは山麓のハイキングコース、という程度の扱いです。だが泉光院は須山から登ったので、なるべく詳しく辿ってみましょう。
スタートとなった伊豆島田は三島から3kmほど北へ上がったJR御殿場線裾野駅の近く、ここから県道富士裾野線で愛鷹山の北側へ入ると国道469と交わる所に須山という信号があります。このあたりは十里木高原で、今だと富士サファリパークや富士山こどもの国など賑やかな場所です。

須山口登山道は歴史の古い登山道です。
役行者(えんのぎょうじゃ)や弘法大師空海のころはよく判りませんが、室町時代の山伏はここから登ったようです。須山口浅間神社山伏
右は須山浅間神社と言っていますが、明治の神佛分離令以降、神社とさせられたもので、それ以前は丹生明神といっていた所。富士登山(というよりは富士禪定)をする人は先ずここで入山料三十二文を支払うのだが、泉光院は回國の行者なので払わずに通った。ここの所が富士山登山の起点であり、一合目です。いまは車かバスで一気に五合目まで上がってそこから歩くのが当たり前で、一合目、あるいは海岸(ゼロメートル)から登るのは特殊な趣味の世界だと思われています。写真の様に今でも山伏の世界では泉光院と同じように丹生明神で祈願をしてから登山をするようです。
富士山須山口水ヶ塚公園
左が富士山スカイラインの水ヶ塚駐車場から見た風景。
泉光院もこのような風景を見ながら登りだしたのでしょう。右が須山口登山口です。
富士山須山口登山口

こういう場所は意外と昔の道がそのまま残っているものでして、ここから富士登山の第一歩を進めるのです。


…此山松に似たる木多くあり、此木を不二松と云ふ。此山を廿丁程上り行く、二合目と云ふより小砂計りの山になる。木は勿論草もなし。…
富士山須山口御殿庭下二合五勺

少し登ると「御殿庭」というのがあります。左は御殿庭入口。ほぼ二合五勺のあたり。
中央に見えるのが富士山頂の方で、右側のピークが宝永山。標高が2000m付近です。

宝永四年(1707)に噴火して出来たのが宝永火口で、須山口はちょうどこの道筋に当たっていたので一旦は廃道になりましたが、1800年代には復活してたいそう賑わった登山道になったのでした。
泉光院は眼前に見える山頂目指して登ります。
21:41  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2017.06.09 (Fri)

泉光院の足跡 235 修善寺

富貴野山寶藏院のある山は21世紀の現在は「21世紀瞑想の森」ということで松崎町の観光地となっています。
泉光院はここで弘法大師の寶物などを拝見して、…夕方歸り市藏宅へ宿す。三度振舞あり。…で、

九日 晴天。櫻田村立、辰の刻。猫峠の方へ赴く。寺澤村と云ふに行き勘左衛門と云ふに宿す。

正しくは「猫越(ねっこ)峠」という峠道は今はもう廃道になっているようだ。古い道路地図には登山道のような点線の道が記載されていたのだが2005年の道路地図には「猫越峠」という地名はあっても道はなく、2016年の地図にはその名前も消えてしまった。
泉光院は富貴野山から一旦松崎町の方へ戻ってから猫越峠を越えて下田街道へ出ました。富貴野山から直接下田街道へ出ることもできるのですがそのルートだと天城峠を越さなくちゃなりません。今でこそ明治38年に天城トンネル、昭和になってからはクルマ社会に適した新天城トンネルが出来たのだが、そんなトンネルのない江戸時代は難所でした。それで、土地の人の勧めもあって猫越峠の道を選んだのだと思います。

十日 晴天。寺澤村立、辰の刻。三里の谷合を行く、峠下にて行き詰まり、宮の原村と云ふの庵室に宿す、庵主一句望みに付書付る。前あり略す。
   夕立の過ぎて雨なし天城山

今の西伊豆町役場のあるあたりから仁科川に沿ってずっと上がっていくと宮の原村を過ぎたあたりで川が分かれている。正確な地図があれば左側の谷を遡ると猫越峠であることが判るのだが、そんな地図があるわけがない。おまけに夕立が来た。だが便利なもので、江戸時代にはあちこちに庵室というものがあって、人が住んでいるのもあるし無住のものもある。人が住んでいる場合だと庵主は風流人のことがよくあるようだ。泉光院は風流人のいる庵にめぐりあった。

十一日 晴天。庵室立、辰の上刻。直ちに猫峠に掛る。上下三里、道甚惡し、双方大薄(すすき)繁り露にて皆々濡れたり。…
猫越岳猫越峠付近稜線

左、真ん中の三角形の山が猫越岳で、その手前側が猫越峠になります。
右が猫越峠付近の稜線。今は「伊豆稜線歩道」という、ちゃんと整備された歩道があるので歩きやすいのだが、それでも下田街道へ降りる道を捜すのは難しいかもしれない。猫越峠から峠道を猫越川に沿って下ると猫越村があって湯ヶ島温泉の方へ出る事が出来ました。
浄蓮の滝
三島大社の鳥居の前から下田港までの道、国道136号というのが下田街道。
このあたり、湯ヶ島温泉、吉奈温泉、嵯峨沢温泉、月ヶ瀬温泉、修善寺温泉、大仁温泉。伊豆長岡温泉…、名湯がいっぱいあります。少し名所も見ておきましょう。
右は浄蓮の滝。落差25m、幅7m。泉光院の降りてきた湯ヶ島のちょっと南にあります。大きな駐車場で車を止めて、多くの売店が並んでいる道の大勢の観光客をかき分けて谷へ降りた所にあります。
天城トンネル旧

浄蓮の滝の所から少し南へ行って、左手の細い道を入って行くと旧道の天城トンネル、左の写真、になります。
このトンネルが出来てから 湯治客がたくさん伊豆へ来るようになりましたし、それを目当ての旅芸人の姿も見えるようになりました。
大正七年、(旧制の)第一高等学校の2年生で19歳の川端康成も、湯ヶ島温泉で14歳の踊り子と出会いました。そしてこの天城トンネルを抜けて(いまならループ橋というのをクルクル回って降りて)、一緒に下田までの三泊四日の旅をしたのでした。
河津七滝の所で一休みして「踊り子と私」というこのブロンズ像を見ましょう。踊り子と私m
この像があるのは七つある滝のうちの四番目(つまり上からでも下からでも真ん中)、初景滝(しょけいだる)の所です。
伊豆の踊り子吉永小百合
ついでですから昭和38年に映画化された吉永小百合の「伊豆の踊子」の一場面も入れておきましょう。



…晝過ぎ田方村と云ふに下る、人家三軒あり。夫より半道にて芳桑(吉奈の誤らしい)村と云ふに温泉あり、入湯の處道心者一緒に入湯し種々話す中、今晩は予が庵室に宿し玉へと云ふに付同道して庵室に宿す。月ヶ瀬と云ふ村、村の名に付一句、
   月ヶ瀬の早き流れの今宵哉
十二日 晴天。月ヶ瀬村立、辰の刻。東海道筋三島の驛へ出る、道に修善寺と云ふ温泉あり。治衛門と云ふに一宿し入湯す。此修善寺は元眞言なりしが、退転し今禪となる、因て大師像あり。
修善寺本尊大日如来

伊豆の温泉で「入湯」を楽しんでいるようだ。
修善寺本堂
右、修善寺本堂と本尊の大日如來。
大同二年(807)、弘法大師がここへ布教に来て、後に弟子がお寺を建てたのがこの修善寺だということになっていて、北条氏が帰依したので大寺になった。
弘法大師という人は伝説の塊のような人だから、ここに温泉を掘り当てた功績も弘法大師に与えられております。病の父を介護して川で身体を清めてやっている子供の姿を見て、手にした独鈷で岩を砕くとそこから温泉が湧き出したという。
独鈷の湯全景
左が修善寺の前を流れる桂川の中にある「独鈷の湯」。
独鈷(とっこ)=右の法具で、金剛杵と言う武器の一つ。
妙法院毘楼勒叉像独鈷
独鈷




京都の妙法院(三十三間堂)の二十八部衆のうちの一人、毘樓勒叉(ビルロクシャ)がたまたま持っているので入れておきました。
独鈷の湯は修善寺温泉の有名旅館、新井旅館のすぐ前にあって、台風や豪雨で桂川が氾濫すると土砂で埋まったりするのだが、有名観光資源なのですぐに修復されます。
修善寺温泉独鈷の湯内部
こちらが独鈷の湯の内部。巨石の中に温泉が湧いている。観光名所なので昼間は洋服を着た人がいっぱい廻りに見物に着ているので、とても入浴する事は出来ません。もし昼間、素っ裸で入浴したら公序良俗に反する行為をした、ということで軽犯罪法に引っかかるでしょう。だが夜になるとコッソリ入湯している人が居るらしいという噂です。
ここは入りにくいのですぐ近くの新井旅館に入りましょう。右が新井旅館の「天平の湯」。総檜造りと巨石と、弱アルカリ性「掛け流し」のお風呂です。早速入りましょう。新井旅館天平の湯
突き当たりの下の方にある横長のガラス窓の向こうが庭園の池の中になっていて、たくさんの錦鯉が泳いでいるのが見える(水の中の鯉と同じような位置で、自分も鯉になって泳いでいるような感覚です)。
この旅館は先年の台風や洪水で再起不能かといわれたのでしたが、何しろほとんどの建物・客室が「登録文化財」になっているのだし、明治になってからは大勢の画家・詩人・俳人・小説家その他やたらに有名な人々が来て入湯しているので、暫くすると再開にこぎつけているようです。女将に頼んで案内してもらうと、いつ誰がどのお部屋にお泊まりになったか教えてくれます。靫彦・大観・古径・龍子・青邨・御舟・柏亭・玉堂・子規・虚子・かの子・勇・左千夫・綺堂・紅葉・鏡花・龍之介・露伴・鱒二・藤村・花袋…
といった面々。(姓の方を入れてありませんが全部判れば百点満点。不明一人5点減点です。)
修善寺温泉湯汲み式
毎年4月21日に弘法忌の日には、ここに立派な温泉を掘り当ててくれた弘法大師に感謝するため、「湯汲み式」というのが行われます。修善寺から湯桶を持った娘たちが独鈷の湯まで右のように行列を作って行き、修善寺の僧がその桶に湯を汲み入れて、またお寺へ戻って感謝の法要を行うのです。
21:48  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2017.06.01 (Thu)

日記 2017年6月

1日 木 999hPa 曇/晴 無事。
2日 金 1002hPa 晴
Paoで珈琲。
明日のため名古屋行のキップを買い、デパートでチョコレートを買った。
いろいろ見ていたら、店の子が、「それ、この前お買いになったのですよ。こっちが新しく出たの。」という。ちゃんとワタクシの顔と買った品物を覚えているのでした。アア!
3日 土平井み帆モンテヴェルディコンサートプログラム
名古屋市、電気文化会館ザ・コンサートホール14.00
ヴォーカルアンサンブル・リラ
素晴らしいコンサートでした。曲目です。
マドリガーレ第6巻。「Lamento d'Arianna アリアンナの嘆き」
チェンバロsolo 平井み帆
  フレスコバルディ : Toccata Seconda
         : Partite sopra l'Aria di Folla
【ゲスト、コール・コラーレ・アンジャリ:聖歌集ほか】

倫理的宗教的な森 : Chi vol che m'innamori
聖歌集 :     Quam pulchra es,  :  Surgens Jesus
マド.第6巻:「Lagrime d'Amante al Sepolero dell'Amanta 愛する女の墓に流す恋人の涙」
        「Qui rise, o Tirsi おお、ティルシ、ここで笑ったね」
平井み帆イタリア製チェンバロ平井加藤リラモンテヴェルディコンサート


左はみ帆サンのチェンバロ。今日はイタリアの音楽なので三鷹の自宅からイタリア製のチェンバロを運んだのだそうです。
右はヴォーカルアンサンブル・リラのみなさん、左から本田美香、加藤佳代子、出来秀一、村松稔之、福島康晴。右端は平井み帆。
帰りがけ、み帆サンにも佳代子サンにもお逢いすることができました。
4日 日 1005hPa 晴 リコーダーフェスティバル。チラシ挟み込みで11時に会場へ行ったら塩崎サンが早くから来ていてすっかり仕事を済ませてしまっていた。
ワタクシは今回は出演しなくて写真を写すだけのお仕事。
今年は出演が11団体、富士の「小鳥コーダー」と竹山先生の「TAKE704」の2つが初参加。
第22回リコフェスプログラム表紙
左、プログラム表紙。
第22回リコフェス浜名リコーダー

そして右は(ワタクシはいませんが)浜名リコーダーアンサンブル。
曲は、♪ファーマー:きれいなフィリスが。♪シュメルツァー:6声のソナタ。♪シルコックス:ウエストカントリー組曲。の3曲。ルネサンスから現代までのの3曲を演奏。
第22回リコフェス全員合奏

全員合奏は♪メンデルスゾーン:アヴェ・マリア。

終わってからいつものようにお酒を吞むのにまでシッカリつきあってしまった。
5日 月 芒種 1004hPa 晴。Paoで紅茶。
フェスティバルの写真を早くほしいと言っていたバルネロさん、クリエートR.O.さん、小鳥コーダーさんにとりあえず少量送付。
6日 火 1010hPa 晴
フェスティバルの写真のSDカードをNobサンの仕事場でお渡しして、Pao で珈琲。
平井み帆サンからメールがありました。コンサートに来て頂いた事のお礼など書かれていました。ちょっとだけ入れておきます。
 …お聴きいただけたこと、お目にかかれたこと、本当に嬉しかったです。いつも温かなお心使いを本当にありがとうございます。 ブログも嬉しく読ませていただきました!! 美しい写真と一緒に載せていただき光栄です! 本当にありがとうございます。 チェンバロは浜松でもお聴きいただいた楽器です。…
み帆サンとは浜松の楽器博物館でのコンサートの時からの知り合いです。ワタクシのブログも読んで頂いたのでした。それこそ…ありがとうございます。
7日 水 1011hPa 晴→雨 東海地方も梅雨入りと気象庁。
塩崎サンからTelあり、Pao へ行く。梅酒用の梅3Kg戴く。ありがとうございます。梅酒用のブランデーを3.6㍑と氷砂糖2kgを既に買ってあってあとは梅を用意するばかりになっていたのでした。Pao で珈琲。
Nobサンから、…練習に来ませんか?チョコレートケーキあります。…と魅惑的なメールを頂いたのだが、所用が重なり断念。殘念。
8日 木 1010hPa 雨/曇/晴 Chantillyで珈琲。
9日 金 ◯ 1010hPa 晴 Paoで珈琲。 明日は申し込んでおいた「古事記」の講座。ハガキを見たら岩波文庫・倉野健司校注「古事記」を用意下さい、との事。あわてて大きい方の谷島屋(という駅前ビル8Fの本屋)へ行ったら置いていない。連尺町の(昔から営業していた方の小さい)谷島屋へ行ったらありました。やっぱりこちらの方は書籍として大切なものは置いてあり、駅前ビルの方は売れ筋の物ばかりを置いてあるようだ。
満月で雲のない夜。お月様がきれい。
10日 土 1007hPa 晴 講座「古事記について」、古事記講師片山武
講師、片山 武氏。賀茂眞淵記念館での「古事記講座」はもう四年程前から開かれていたようで、今年の講座は中つ巻最後の方の「応神天皇・國主の歌」から始まるのだった。裕子サンは去年の講座から来ている由。
最初の1時間で今までの「おさらい」をしてからスタート。
加藤佳代子サンから先日のコンサートのお礼状。
…柴木さんのお顔を拝見するとホッとします。…と書いてありました。
11日 日  晴20170611バッハイエスこそわが喜び

20170611フェリーチェのやさしい調べ題字s


20170611柿本春香リコ
場所:福祉交流センターホール: 
曲目を書いておきます。
モーツアルト:三つのデヴェルティメントより、 Kv137(135b)
モーツアルト:サンクタマリア Sancta Maria Mater Dei
バッハ:、イエスこそ我がよろこび Jesus bleibet meine Freude
テレマン:リコーダーと弦楽器と通奏低音のための組曲 イ短調
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲Op.3-3 RV310
全員合唱で江間章子作詞・中田喜直作曲の「夏の思い出」

演奏・フェリーチェ合奏団 指揮・佐藤 亮 
合唱・コーロフェリーチェ
リコーダー独奏・柿本春香  ヴァイオリン独奏・東儀 温
今日の演奏は素敵にヨカッタ。トップヴァイオリンの東儀氏とコントラバス浅井裕紀子サンで弦楽団がシッカリしたのと、リコーダーソロ柿本春香サン、ヴァイオリンソロの東儀温氏がいい演奏をしたのもあるのでしょう。
12日 月 晴 昨日のコンサートの写真、編集する。
13日 火 1010hPa 晴 Paoで紅茶。
14日 水 1010hPa 晴 18日(日)の「古楽の魅力 vol.2 」というコンサートで、Nobサンから写真を写して~というメールが入ったので OK の返事を出しました。昨年に続く会なので行くつもりはしていたのだが、去年はA4アルバムを作ったので、今年も同様のものを作らなくちゃならないと思うのです。ワタクシの予定ではこのコンサートを済ましてからアクト中ホールでの「モツレク」を聴きに走るつもりをしていたのだが、このコンサートを最後までシッカリつきあわなくちゃならないだろうと思うので、モツレクを聴かない事にしたのでした。モツレク20170618買っておいたキップは、hiroサンが聴きに行ってくれたら嬉しいナと思って、hiroサンの仕事場へ行って聞いてみたら、行ってくれると言うのでお渡しした。ワタクシの代わりに聴いて下さる。
ありがとうございます。
Paoで珈琲。
起業家カフェ天沼えり子市役所市役所の1Fホールで「起業家カフェ」という展示があって、Paoもその一隅を占めていた。
大きなパネルにえり子サンの紹介と、Paoでのコンサートなどイベントの紹介などがあった。
お客さんはいつも少なくて、ほとんど無人のカフェの様相を呈しているので、これを機に少しばかりお客が増えてくれればいいだろう。
あまり増えすぎてワタクシの入る場所がなくなると困るので適当なお客の数でいいのです。

15日 木 1009hPa 晴 無事
16日 金 1009hPa 晴 今年は梅酒を合計3本(梅4kg、ブランデー5.4㍑、氷砂糖3㎏)作りました。美味しいのができますように。
17日 土 1008hPa 晴 Paoで珈琲。
だし昆布1枚\1860。目方で買うのだからこの値段ならかなり厚いのが買えるだろうと思った。
18日 日 1008hPa 曇/小雨
浜松古楽アンサンブル「古楽の魅力vol.2」コンサート。
一輪の薔薇パーセル武田
英国バロック時代の歌唱と器楽、の表題で、ヘンリー・パーセルの音楽でプログラムをまとめてありました。

一輪の薔薇パーセルインドの女王

昨年に続き実にたのしい音楽を聞かせてくれました。


モーツアルトの「レクイエム」、ちょうど時間が重なったので、hiroサンに代わりに行ってもらったのでしたが、…素晴らしい音楽をきくと鳥肌が立つのですね。それほどの感動を覚えました。…というお礼のメールを頂きました。喜んでいただけてワタクシも嬉しい。
19日 月 1008hPa 晴 昨日のコンサート写真の編集。
20日 火 1009hPa 曇 ワルツへ行って珈琲、いつものを100gずつとペーパーフィルターが今朝で無くなったので100枚入りのを買う。ワルツは珈琲豆を売る店なのだが、ふと見たら「抹茶きんつば・(宇治抹茶使用)」という奇妙な物を売っていたので買いました。ワルツ抹茶きんつば
なんで珈琲屋が抹茶きんつばを?と聞いたのだったが、やっぱりお菓子を店に置けば(ワタクシもつい買ってしまった様に)売れるようです。
Nobサンの仕事場へ行って編集途上のコンサートの写真をお渡しし、つぎにPaoへ行って珈琲。
いつも音楽を聴きながらパソコンを叩いているのだが、21時を過ぎるとクラシックのいい音楽はラジオではやっていないので、CDで古いシャンソンを聴く事が多い。
シャルル・トレネ、イヴ・モンタン、ナナ・ムスクーリといった歌手の歌っているのを、ずっと昔、NHKのアナウンサー加賀美幸子という人が紹介してくれたのをテープに録音しておいたのをCDに入れ直していつも聞いているのです。
21日 水 夏至 1008hPa 雨 一日中一歩も外へ出なかった。あちらこちらで豪雨のニュース。浜松市中区も田町のあたりが冠水していてTV全国ニュースになった。田町というところは駅近かくの繁華街なのだが、昔は田んぼのあった場所なんだろう。冠水しても当たり前。ワタクシの家の場所は高町の隣だから降った雨水は全部田町に向かって流れていくのです。
22日 木 1007hPa 曇 床屋へ行き、回り道をしてシャトレーゼでケーキを買う。
23日 金 1008hPa 晴 Nobサンの仕事場で写真の原稿をお渡しし、横浜シルクアーモンド伸代
SDカードを受け取り、お土産を戴いた。解説に、「アメリカ産のアーモンドをシルクパウダーとミルクで包んだ」とありました。
そのあとでPaoで今日は紅茶。かき氷を食べてみた。
24日 土 ● 1008hPa 晴 無事
25日 日
26日 月
27日 火
28日 水
29日 木
30日 金
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2017.05.30 (Tue)

泉光院の足跡 234 石廊崎

六月一日 晴天。湊浦立、辰の刻。手石村と云ふに行く、手石の彌陀納經所あり、此下より船に乘りて五丁計りに洞穴あり、船を入るゝこと五間計り、其奥四間計りに水際より五尺計り上に高さ一尺計りの彌陀のごときが黄金色に見ゆ、右脇に二體ありて少し低し、必ず阿彌陀とも分り難し、洞の内に大波打込む故に船動きしかと知れず、然し乍ら洞の奥上に少しの窓穴ありて明り入る様也。佛と云ふは自然石と見ゆ、黄金色に見ゆるは不思議也。穴南向、汐干に入る。滿汐には不參、船賃七十文。…
弓ヶ浜
賀茂郡南伊豆町手石町の海岸、弓ヶ浜です。
一番左端の山の向こう側あたりの海蝕洞窟の中に彌陀の岩屋というのがあって、干潮時に船を洞中に乗り入れると前面の岩壁に金色に輝く三体の佛像のようなものが現れるので信仰されました。今の地図にも弓ヶ浜の西に名所として「手石の彌陀の岩屋」として記載されていますが、いまはこんな所へ行く人は居ないだろうな。

…夫より石室(いろう)の權現と云ふに詣納經す。…
石廊崎

右が伊豆半島南端の石廊崎風景。
石室権現はいまは石室神社という名前で、左の石廊崎灯台のすぐ下、岬の崖の下にへばりつくように建っている。




石廊崎燈台

左が石廊崎燈台。
そして右が石室権現。石室神社

泉光院はこのように書いている。
…石山の鼻先に小社鎮座、海際より八九間計り上也。本尊神變菩薩並びに恵比寿大黒、當所は豆州南の果て也。日も西山に沈む故に、當町善藏と云ふに宿す。今晩平四郎は別宅。

ここから先しばらく歩くのに苦労しています。石廊崎から南伊豆町の下賀茂温泉のあたりまで出るのに細い山道を通るのです。何しろ天城越えなんです。日付を省略して歩いた場所だけを書いておきましょう。

…石井村立、辰の刻。蛇石村と云ふに行きたる處、晝時過也、然る處、此所より岩科郷と云ふには一里半の峠ありと云ふ、然れば當村へ一宿し明日早々越ゆべしとて一宿求むれども此邊三十軒計りの處宿一軒もなし、據なく夫より峠を越へかゝる、心はせく、道は惡し、半道計りにて道に迷ひ、漸く暮時岩科郷と云ふに下る。庵室あり一宿す。

岩科郷は西伊豆海岸松崎から少し山中に入った所です。蛇石村から蛇石峠を越えるのは今でも細い道しかないのです。道に迷ってしまった。
岩科学校

左は明治13年に建てられた「岩科学校」という小学校で、なまこ壁を生かした白亜の寺社風建築にバルコニーをつけた和洋折衷の、伊豆で最古の小学校。國重要文化財指定です。

右は松崎の町を特徴づけるなまこ壁の家並み。松崎海鼠壁の家

松崎という町は伊豆の長八という左官が居た事で有名で、鏝だけを使って漆喰で絵を描く。その絵が実に素晴らしい。
入江長八というこの左官は、泉光院がここへ来た頃に生まれて、江戸に修行に出て技術を磨く傍ら、狩野派の絵を学んで、これを左官の技に応用しようと思いついて、鏝で盛り上げた漆喰に着色するという「彩色鏝絵」という技法を完成させたのでした。
長八八方睨みの龍
左は淨感寺本堂の天井に描かれた「八方睨みの龍」。
長八美術館というのもあって、そこには長八の傑作鏝絵を見ることが出来る。入場すると虫眼鏡が渡されて、鏝絵の細部を虫眼鏡で見て、その技術に驚嘆する! ということになっている。

泉光院はここから富貴野山寶藏院という弘法大師ゆかりの寺を訪ねて、そこから天城峠を越えようと思います。

八日 曇天。三島村立、辰の刻。富貴山と云ふに上り、天城山と云ふを越へ、本道に出んと思ひ、櫻田村と云ふに行く。雨着山越への様子を聞く處、六里の峠あり甚だ難所なりと云ふ。右に付思案の所、主人市藏と云ふ者申す様、今日富貴山へ登り此處迄下り我内へ一宿し、猫越へと云ふを越へ玉へ、此峠は上下三里也と云ふ、因て右に定め笈頼み置き直ちに富貴山へ登る。麓より一里半。禪寺一ヶ寺。…

天城越えの道を聞いてみたら、ここからだと六里もあって難所だよ、と言う。そう教えてくれた市藏さんは、ここから寶藏院へお詣りをして、戻って私の家で泊まって、明日猫越峠へ行きなさい、それだと上下三里だよ、と教えてくれたので、おっしゃる通りに致しましょうと、すぐ寶藏院へ行くことにした。福貴野山宝蔵院登り口
右が寶藏院への登り口。
今は櫻田村から狭い道だけれども普通車くらいまでなら車で上がれる。
福貴野山宝蔵院地蔵群
西伊豆町と松崎町の境にある550mほどの富貴野山という山の頂上あたりにこのお寺があって、正しくは富貴野山宝蔵院。登ると130体以上もある石佛が参道をずっと背中合わせになって並んでいます。
山門も本堂も、昭和24年頃の台風で倒壊してしまって、いまは礎石だけが残っていて開山堂が一棟、この石佛群の向こうにあります。

…當山は弘法大師開基の山にて、大師の笈、杖等寶物種々あり、笈は修験笈也、笈佛は六地藏と云へる秘佛にて、今一體は當堂の中尊也。當寺参詣の者へは何れも掛合出る也。夕方歸り市藏宅へ宿す。三度振舞あり。

泉光院がここへ行った時には…參詣の者へは掛合(軽食のようなもの)…が出たらしいのだが、今は無住のお寺で本尊もどこかの個人宅へ格納されているらしいし、納經印が欲しい人は、これも松崎町側では吉長○○氏宅で、西伊豆町側では梅田○○氏宅で、印刷されて押印済みのものを買うことが出来るそうです。
だからこのコースは参詣のためではなくてハイキングコースだと思った方がいいようだ。
22:46  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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