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2018.07.19 (Thu)

泉光院の足跡 317 東大寺大佛

三月堂・二月堂とずいぶん長々と書いてしまったのだが、泉光院の日記では六月十一日の項では、…在原寺、帯解地藏、興福寺の諸堂、春日明神、…と詣でてから東大寺へ入り、…二月堂、三月堂、大佛と詣で皆納經す。二月堂には若狭の井とて常にはから井あり。二月何日大衆行ひあり、其時暫く湧出る、其水香水也。火伏せの符も此水にて判押す。此水源若狭を通る節行きて見たり、若狭の所に悉し、諸人知る所故に略す。般若坂を越へ木津驛へ宿す。此處は定宿にあらず。…
と一日の間に奈良を全部済ませてしまった。奈良大好きワタクシはもっと沢山歩きますのでお付き合い下さい。
東大寺鐘樓遠景
三月堂の前に、四月堂という小さなお堂があってその横から下る途中に大きな鐘樓があります。とても大きな鐘樓で、中の鐘もうんと大きい。高さが3.9m、重さが26t。大佛にふさわしい大鐘です。
東大寺鐘樓の鐘


東大寺鐘樓近景


鐘樓の横から下へ下りると大佛殿です。普通は南大門から大佛殿、三月堂、というコースで歩くのだが、泉光院は春日大社から東大寺へ入ったのでこういう順序になったのでした。
東大寺大佛殿正面

大佛殿です。この建物も戦乱の度に焼かれました。中に居た大佛も「紅蓮の炎に包まれて」あちこち溶けたり傷ついたりしました。

大佛の鋳造方法、金メッキをする方法、大佛殿の建築様式の変遷、などといったことはやや専門的になってしまうので、ここでは触れないでおきましょう。
まず今の大佛殿を正面から仰ぎましょう。
いま建っているこの建物は、江戸時代、貞享五年(1688)、五代将軍家綱の頃から工事が開始され、当初計画では聖武天皇の時代に創建された時の規模で進行したのだが、途中で予算が足りなくなって、約2/3の規模に縮小して実施するはめになった。出来たのは宝永二年(1705)に上棟式、同六年に落慶法要が行われ、明治と昭和に大修理が行われた。
東大寺大佛殿鎌倉時代

左に載せたのは創建当時に近いと思われる図面です。今よりずっと大きいです。
これは鎌倉時代の僧俊乘房重源が全国を勧進して資金を集め、建久六年(1195)に建てたものとほぼ同様の大きさです。
これがまた永禄十年(1567)10月の兵火で焼かれ、假屋が建てられたのだが、それが慶長十五年(1610)の大風で倒壊して、それから一世紀程の間は大佛は露座のまま過ごしていたのでした。
時代はさらに遡って、聖武天皇が國分寺・國分尼寺創建の詔を發したのは天平十三年、(741)。
「菩薩の大願を發し、盧舎那佛金銅像一驅を造り奉る。國銅を盡して像を建て、大山を削り以て堂を構え、」國家鎮護の基本としてビルシャナ佛の鋳造が始まったのでした。
この時の大佛殿は源平の争いのさなか、治承四年(1180)十二月二十八日、平重衡の軍勢による南都焼討ちによって焼失したのでした。(時間を逆にたどったので読みにくいかも知れませんね。)

その時の情況は、「御髪(みくし)は焼け落ちて大地にあり、御身は溶けあいて山の如し、」と平家物語が語っているように、焼け落ちた佛頭が後ろに転がり、折れた手が前の方に横たわり、山のような灰燼がうずたかく重なり、黒雲のような煙がたちのぼっていたそうです。
ビルシャナ佛東大寺大佛殿

朝廷としては放って置くわけにも行かず、後白河法皇も心を痛めて大佛再興の動きとなり、東大寺側の希望、重源の熱意、宋の國から来ていた陳和卿の技術で修復が出来ました。
少し前に書いた永禄十年の三好・松永の乱では、「釋迦佛も湯にならせ給ふ。」と『多門院日記』に書いてあるように惨憺たる情況で、修理の手も入るのだが、なにしろ信長・秀吉たちが兵を動かしている戦国時代真っ最中。本格的に全面修理に入るのは江戸時代、徳川期に入ってからです。文化を守るのはやはり平和な世になってからです。

ワタクシたちがいま見ている上のような大佛サンは、元禄四年(1691)に修理の終わった大佛サンです。
創建当時のもので現存しているのは蓮弁の一部で、正面右側から後ろにかけてです。東大寺大佛殿蓮弁線刻蓮華座には28枚ある蓮弁一枚一枚、右のような毛彫りが施されていて、説法をする釋迦如來と、それを聴聞する諸佛諸菩薩の像が実に細かく彫られています。
もし大佛サンを見に行く機会がありましたら、…アア、大きいなァ…で終わらせずにこの佛さまも人間世界のゴタゴタに巻き込まれてずいぶんひどい目に遭ったのだなァ、などと思いをめぐらせましょう。


東大寺大佛殿私の写真

左はワタクシが初めて奈良へ行ったときに写した大佛殿。
その頃は自分でフィルムの現像から焼き付け・引き延ばしまで全部自分でやっていましたから、失敗することもありましたが、これはわりにうまくいった方の一枚です。
東大寺大佛殿八角燈籠

大佛殿の前に八角燈籠があります。これも何度も痛めつけられたのだが幸いなことにほとんど天平時代の姿を保っているようです。
火袋には、東西南北の四面に扉、ほかの四面には音楽を演奏している天女が浮き彫りになっています。


東大寺大佛殿燈籠横笛天女東大寺大佛殿燈籠縦笛天女

左が横笛天女。

右が縦笛天女。

ほかにはシンバルや笙のような楽器を持つ音声天女です。
ワタクシは若いときにフルート、老いてからはリコーダー、横笛縦笛、両方とも親しんできたワタクシはどうしてもこの写真をここに載せたいのでした。


三月堂の方から下りてきたので南大門を通って外へ出ましょう。
東大寺南大門近景

とても大きな門です。
いつもは人で一杯の所ですが、朝早く行けば誰も居ません。境内を散策するには朝飯前のひとときが最適です。


両脇に仁王サンが大きな目をむいています。
東大寺南大門仁王阿形東大寺南大門仁王吽形

左、大きく口を開けている阿形。

右、しっかり口を結んでいる吽形。

仁王サンは暗い囲いの中に居て金網が張ってあってよく見えませんが、夜になるとライトアップされることもあるのでこれまらスッキリとご尊顔を拝することが出来ます。
森奈良漬店

奈良の名物は奈良漬。奈良漬を買うなら南大門に向かって左側、森奈良漬店がおすすめ。
明治二年に開業したというのだが詳細は知りません。小さくて古いお店で、夕方には店を閉じてしまうので明るいうちに買いに行きましょう。
酒粕だけで漬けてあって余分な味がしない。
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2018.07.03 (Tue)

泉光院の足跡 316 お水取り

三月堂のお隣に二月堂があります。ここは[お水取り]の行事でよく知られています。
東大寺二月堂
旧暦二月一日から十四日、いまは新暦で3月1日から14日(準備期間、前行、本行を合わせると約3ヶ月)、ここの本尊十一面觀音菩薩にお香水をお供えする行事です。

天平勝宝四年(752)、大佛開眼の時に始まったというこの行事は、東大寺開山の良弁僧正の高弟実忠が、日常の過ちを懺悔した「十一面悔過(けか)」に由来するといわれます。その時、日本中の神様13,700余人の名簿を読み上げて参集を呼びかけたのだが、ただ一人、若狭國遠敷(おにゅう)郡に住む遠敷明神というのが魚釣りに夢中になっていて遅刻してしまった。それでお詫びに觀音さまにお供えするお香水をお届けする、と約束したら、この二月堂の右側にある閼伽井(あかい)屋の付近から黒白の鵜が飛び出し、その穴から水があふれ出した。
この伝承があるのでその井戸を若狭井といい、この水を汲む行事が「お水取り」。小濱鵜の瀬鳥居
福井県の遠敷川の上流、今は「鵜の瀬」といっている場所(右の写真)で、3月2日(そこから東大寺まで水が届くのに10日かかるので)にお水送りの行事が行われるのです。

横山サンと若狭の古寺を歩きまわっていたとき、ここもついでに行ってきたのでした。
お水送りの時以外は誰も居ない淋しい場所です。
小濱鵜の瀬お水送り
左は「お水送り」の様子。
若狭國一の宮である若狭彦神社と若狭姫神社の場所からさらに上流に神宮寺というのがあって、3月2日午後5時半、本殿の前で大護摩が焚かれ、その火からいただいた松明を手に鵜の瀬まで山伏姿の行列が続きます。そこで東大寺への送水文が読み上げられ、お香水をゆっくりと淵へ注ぎます。このお香水が淵の底の穴を通って東大寺まで行くのだそうです。
お水送りのことは、さきに【泉光院の足跡 070 若狭路】のところで詳しく書いておいたのでそちらを参照してみてください。

お水取りの方です。東大寺お水取り松明
選ばれた11人の練行衆は本尊十一面觀音の前で、世の罪を一身に背負って苦行を実行し、国家安康・五穀豊穣・万民快楽を祈願します。
今は松明を振りかざすことばかりが有名になってしまったが、これはお水取りをするときに足下を照らす為に必要だったものでした。
お松明は3月1日から11日までと13日は10本で時間も短く、12日は特に大きな松明が11本になります。
東大寺だったん
この期間、早朝から深夜までいろんな行事がぎっしりと組み込まれていますが、本番の12日の行事では、初夜、7時頃に(左の写真)大松明が点火され、狭い堂内を走り回ります。
それが済むと堂内では後夜、9時頃には神名帳と東大寺ゆかりの人の過去帳が読み上げられ、東大寺二月堂五体投地
五体投地(右の写真)といった激しい行が行われます。
走りの行法のあと、お香水を取りに行くのですが、不思議なことに普段は水が涸れているこの井戸に、この時ばかりは水が湧いているのだそうです。若狭、鵜の瀬から送られたお香水がこの井戸に着いたのでしょうか。汲み上げられたお香水は秘佛十一面觀音にお供えされます。

そのあと、時刻はもう翌日の午前1時頃になっているのだが、後夜の行法、達陀(だったん)と呼ばれる行法になります。この時のお経は、觀音を讃えるお経をいろいろ編集したもので、声明(しょうみょう=佛教音楽)の形で行われるようです。ずっと昔、たしかColombiaからLPレコード2枚組でこの様子を録音したのが発売され、横山サンが買って持っていたのを聞いたのでした。横山サンは死んでしまったのでそのレコードの所在は判らないのだがもう一度聞いてみたいものです。
三帰依文
音楽はまず「三帰依文」、私は佛・法・僧の三つに帰依します。というので始まります。
左の楽譜は現在の佛教儀式では宗派を問わず世界中の佛教徒の間で歌われている三帰依文 Ti Sarana の楽譜。
お釋迦様のいた時代の言葉、パーリ語で歌います。


Budaham saranam gacchami   ブーダーン サラナーン ガッチャーミー 
Dhammam saranam gacchami  ダーマーン サラナーン ガッチャーミー
Sangaham saranam gacchami  サンガーン サラナーン ガッチャーミー

(この楽譜は三帰依文として現在広く歌われているものを参考として載せたので、達陀の時の旋律とは違います。)
中間部へ行きますと、インドへ求法の旅をした玄奘三蔵法師が翻訳したという「十一面神呪心経」の抜粋が詠われます。これは觀音の姿を称え、生きとし生けるもののために觀音に慈悲をお願いする音楽で、続いて「南無観自在菩薩」、この觀音さまのフルネームが繰り返されるのです。
次第に感情が高まってくるにつれて「南無観自在」と省略され、ついには「ナムカン・ナムカン・ナムカン・…・…・…・… なァむゥか~~ン
とクライマックスを迎えます。
最後の回向文では練行衆の苦行の結果もたらされたものを、佛法僧の三宝をはじめ、世界中の神や世のすべての人々に振り向け分け与えることが宣言されてこの日の行事が終わるのです。

実はワタクシ、長々とお水取りのことを書いていましたが、まだ一度もお水取りの行事を見に行ったことはありません。横山サンの家でレコードを聴いたことがあるのと、テレビの実況中継を見たのと、あとはいつの間にか蓄積された知識だけなんです。二月堂・三月堂へ行くときはこれと言った行事のない時ばかりなのです。東大寺二月堂から大仏殿屋根
人のいない二月堂の懸崖造りのお堂に上がって大佛殿の屋根(遠くに見える屋根)を眺め、お水取りの僧たちも下りるであろう長い石の階段を下ります。

東大寺二月堂への道

この坂を下りきった處が大佛殿の裏手。大佛池があって、右へ曲がれば正倉院、左へ曲がれば戒壇院。
観光シーズンでもこのあたりは人気がなくていつも静かです。
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2018.07.01 (Sun)

日記 2018年7月

1日 日 1015hPa 晴
松尾神社で茅の輪を廻ってきました。松尾神社茅の輪
本来なら昨夜のうちに行かなくちゃならないのだが、都合で今日になってしまった。
浜松では茅の輪巡りをしている神社は数多くはなくて、ワタクシの町内の氏神様ではやっていないので、毎年ここへ来るのです。この神社は元魚町という所にあるのだがワタクシの町内の分も引き受けてやっているようです。
この行事はずっと前、横山サンと琵琶湖周辺を歩いていたとき近江八幡の日牟禮八幡宮でたまたまこの行事に出会って教えてもらったのが始まりでした。蘇民將來とあわせて覚えておかなくちゃならない行事です。
2日 月 1014hPa 晴 市の健康診断、ご近所医師の木村内科で例年通り。
血液検査は来週にならないと結果は出ないので、とりあえず今日判ったことだけ。
血圧 128/80 で良好。
心電図 波形は規則正しく良好、不整脈などは出ていない。脈拍60
尿蛋白 少し出ているのだがこれは数年前からずっと同じ程度でまあ問題なし。
胸部レントゲン 昨年と殆ど同じで問題なし。
胃カメラは一昨年見てあるし、ピロリ菌はもうずっと前に除菌しておいたので今年もやめた。
体重が毎年少しずつ増えているので、それが「問題」です。ついに70kgオーバー。嗚呼!
3日 火 1012hPa 晴 
川嶋紀久子花の絵Paoで珈琲。えり子サンに川嶋紀久子サンの花の絵を掛けて頂くようにお願いをした。
来週火曜日あたりにPao の壁面に掛けて頂く予定。
右がその絵

この絵はワタクシが遠州地方の会社に就職したとき、そこで絵を描いているという少女に出会って、ねだって描いて頂いた油彩の花の絵。絵を飾るような壁面に一度でいいから掛けてあげたいと思っていたので、えり子サンに頼んでPaoの壁面をお借りするお願いをしたのでした。

4日 水 1009hPa 曇 Paoで珈琲。
哲子サンお中元森八くずきり哲子サンからお中元で金澤・森八の「くずきり」をいただく。いつも日本橋三越でお菓子を送って頂くのです。長谷場哲子交換写真75
女学生時代の哲子サン。

今年の化粧箱は杉浦非水画伯の美人画の意匠をあしらったもので、中味を食べたあとも…ご愛用頂ける華やかなアートボックスとして…作った、と宣伝してありました。杉浦非水は、大正期の三越呉服店のポスターなどを手がけていたようです。箱の上の葉書の絵は。大正三年の「春の新柄展示会」の為に書いたポスターだそうです。去年のお歳暮のときは「とらやの羊羹」だったのだが、その時の化粧箱のデザインは歌川国貞の「越後屋三美人」の部分だった。

5日 木
6日 金 フェリーチェ合奏団演奏会Gloria 遠州栄光教会19:00>
フェリーチェ合奏団演奏会Gloria7月6日


写真はヴィヴァルディのグローリアなどを歌っている所。
お客サンもたくさん入っていい演奏会になった。
久し振りで圭子サンにも逢うことが出来た。
プログラムは次の通り。
アルビノーニ : アダージオ g-moll
ヘンデル : Ombra mai fu 懐かしい木陰よ カウンターテナー 豊田将志
バッハ : ヴァイオリンとオーボエの協奏曲d-moll BWV1060 Ob 笹木里紗 Vn東儀 温
ヴィヴァルディ : グローリア D-dur RV589
モーツアルト : アヴェ・ヴェルム・コルプス D-dur KV618
一緒に歌いましょう 「夏の思い出 … 夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空…」
7日 土 小暑 1008hPa 曇 無事。
8日 日 1010hPa 曇→晴
9日 月 1014hPa 晴 Paoでかき氷、(右の写真)、Paoでかき氷
その後で珈琲。
紀久子サンの花の絵を明日午後Pao で飾って頂くようお願いをした。
2日の健康診断、血液検査のデーターを貰いに行く。
ほとんどの項目が基準値以内だが、一点だけ、腎臓の機能で基準値オーバーがあった。
【クレアチニン 1.13 基準値は0.61 - 1.04】
昨年は0.92だったからちょっと上昇した。でも昨年は中性脂肪が154で、基準値オーバーだったのだが、今年は115で充分基準値内。あまり心配はしないで牛肉を濃い味付けで食べるのをちょっと抑えればいいのだ。近日中に最近5年ほどのデーターを一覧表にしておきましょう。
10日 火 1013hPa 晴 紀久子サンの花の絵をPaoの壁面に飾らせて頂きました。
川嶋紀久子花Pao壁面
広い壁面を贅沢に使わせて頂きました。えり子サンにはあらためてお礼を申し上げます。
有難うございました。

いままで狭いワタクシの部屋にはこの絵を飾ることが出来なくて、申し訳ない気持ちだったのでしたが、これでようやくワタクシの気持ちも落ち着きました。あらためて絵を描いてくださった紀久子サンにもお礼を申し上げます。


広い壁面に充分余白をとって額を掛けるのはいいですねぇ。


川嶋紀久子花Pao壁面s紀久子サンには随分無理なお願いもしてしまった。
串田孫一の「博物誌」挿絵に色を塗って貰うとか、
右は唐招提寺の「菩薩形立像」のスケッチとか。

紀久子博物誌挿絵栗の蟲紀久子博物誌挿絵黒百合唐招提寺如來形立像紀久子







11日 水 1012hPa 晴 無事
12日 木 1011hPa 曇/雨 昼頃少し雷。茶色皮の椅子
かなり長い間使っていた革張りの背もたれ付大きな椅子(右)、大きすぎたり少し傷んだりで今朝粗大ゴミとして出してしまった。
替わりの椅子をリサイクルショップで\4200ほどで買った。
前の革張りの椅子に比べれば座り心地は良くないけれども軽いし少しは小さいので扱いには樂。
甘酒を造った。
13日 金 ● 1010hPa 晴 
ワルツで珈琲豆を買う。キリマンジャロとモカ。いつもの通り。両方で360g
今日の気温は約35℃。明日はもっと暑くなるだろうという予報。
14日 土 1009hPa 晴 
茶室松韻亭でお茶。
茶室松韻亭立礼席
お菓子は「夏衣」。中のアンコの色が青い色で涼しげでなかなか良かった。
和装の美女がまずお菓子を運んできてくれて、そのあとでお茶を運んでくる。\400。
喫茶店で珈琲、というのよりも気持ちが落ち着く。

フェリーチェの写真、佐藤サンの分をNby.サンに持って行って貰うようお願いした。来週水曜日が出勤なのでその時お渡しするつもり。

15日 日 1008hPa 晴 無事
16日 月 海の日 1008hPa 晴 あまりに暑いのでお散歩のとき倉式珈琲店で右のアイス。倉式珈琲かき氷
17日 火 1008hPa 曇 Paoで珈琲。
18日 水 1008hPa 曇/晴 Nby.サンにリコフェスの写真不足分と、Gloriaの写真を佐藤サンに渡して頂くようお願いをして、その時左の綺麗な色のジュースを頂いた。Nobサン紫蘇ジュース

メールで問い合わせて、紫蘇ジュースであることがわかった。
…去年も貰っていただいたのですが、材料は赤紫蘇と砂糖とクエン酸です。夏にはよい飲物だと思います。…
ワタクシはジンベースのカクテルにして飲んだ。



19日 木 1009hPa 曇→晴 Gloriaの写真、26部プリント。時間が沢山かかる。
20日 金 1008hPa 晴 Paoで珈琲。Gloriaの写真プリントとメモリカードはPao に預けて塩崎サンにメールをしておきました。
今日は土用丑の日。ウナギを食べてビールを飲んだ。
21日 土
22日 日
23日 月 大暑
24日 火
25日 水
26日 木
27日 金
28日 土 ○
29日 日
30日 月
31日 火
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2018.06.29 (Fri)

泉光院の足跡 315東大寺三月堂の諸佛

泉光院は興福寺南圓堂、西國三十三觀音札所第九番、へ詣納経してから、
…夫より伽藍廻りして春日明神へ詣納經す。二月堂、三月堂、大佛と詣で皆納經す。二月堂には若狭の井とて常にはから井あり。二月何日大衆行ほあり、其時暫く湧出る、其水香水也。火伏せの符も此水にて判押す。此水源若狭を通る節行きて見たり、若狭の所に悉し、諸人知る所故に略す。般若坂を越へ木津驛へ宿す。此處は定宿にあらず。

ワタクシは春日大社にはあまり馴染みがなかったのでつい余分に新薬師寺から白毫寺まで行ってしまったのでした。元へ戻って泉光院の足跡を辿ります。
奈良市内地図白毫寺興福寺

こちらの地図、一番右下隅に見えるお寺マークが白毫寺。そこから濃い緑色の春日山の裾を廻ると中程に春日大社、ずっと右上に三月堂・二月堂で、一番上の中ほどが東大寺大佛殿。

日記に書いている通り、にがつどう、さんがつどう。大佛殿の順で廻りましょう。


東大寺二月堂三月堂

手前に見えるのが三月堂で向こうが二月堂。



東大寺三月堂前面

東大寺三月堂。

毎年旧暦三月に法華経を講ずるので三月堂といい、法華経を講ずる法華會が行われるので法華堂、中に不空羂索観音を安置するので羂索堂、呼び名はいろいろあります。


このお堂の左半分は東大寺が出来る前にここにあった金鐘寺の一堂として、8世紀半ばにはすでに建てられていたという東大寺最古の建物で、右半分を鎌倉時代にくっつけて、いま見るような姿になりました。
東大寺三月堂内部
三月堂の入口は薄暗い。
何者のおわしますかは知らねども…とおそるおそる入るのです。


これは、写真だから明るいけれどももっと暗いのです。


そして大きいのや小さいの、、怖い顔をしたのや優しい顔の、いろんな佛像が目に入ります。


正面にいらっしゃるのは不空羂索観音。
東大寺三月堂不空羂索観音

頭に寶冠をいただいた三目八臂の巨像(高さ3.62m)で、真ん中の両手は合掌し、次の両手は錫杖と開敷蓮華、その次の手は左手に羂索というのを持っている。それ以外の手は持ち物が失われてしまったのか何も持っていない。羂索の羂は獸を捕まえる網、索は魚を釣る糸のことで、觀音菩薩が慈悲の網や糸で余すところなく人々を救済する、というのがこの佛さまの由来です。東大寺不空羂索観音天蓋

この觀音さまは頭上に右のような美しい天蓋をのせています。



こういう多臂の人体は現実にはあり得ないのだが、この佛の前に立つといいバランスで造られているので不自然さを感じさせません。

堂内は位ので細部は見ることが出来ないのです。中には懐中電灯を持ってきている人もいるのですが、そんな姑息なことをしても無駄なことです。
この像の前に立ったとき、自然に手を合わせて仰ぎ見る、というのがいいのではないでしょうか。

平成7年に奈良国立博物館開館100周年記念展というのが開かれました。
飛鳥・奈良・天平・鎌倉、の各時代の名品揃いの企画で、さすが奈良博の企画だけのことはある、と思って見に行きました。
東大寺不空羂索観音寶冠正面
展示品の中にはこの不空羂索観音の頭上に輝く寶冠も展示されていたのです。

像の前に立っても、懐中電灯で照らしてみても、暗いし遠いし、とても見ることは出来ませんので、少し大きめに載せておきましょう。

冠の本体は銀で造られていて、正面には觀音菩薩の本地佛である阿彌陀如來が置かれて、そこから八方に銀線の光芒が伸びています。
大小の色ガラスや翡翠の勾玉、琥珀、水晶、真珠、瑪瑙などさまざまな宝石で飾られています。
奈良時代の工芸品として最高の出来、実に見事なものです。
この寶冠はこのような特別の展示の機会でもない限り間近に見ることは出来ないものでしょう。

東大寺三月堂諸佛配置
この堂内には不空羂索観音を中心に、その左右には日光・月光の菩薩、その外側にはこれも4mを超す巨大な梵天・帝釈天が立ち、それらを囲んで須彌壇の四隅には四天王(持國天・増長天・廣目天・多聞天)、一番外側の両脇に金剛力士(阿形・吽形の仁王サン)後の方の左右に置かれた厨子の中には辨財天・吉祥天、さらにはお堂背面の厨子の中には秘佛である執金剛神、小さい像ですが不動明王や地藏菩薩、善財童子などの佛たちもいらっしゃいます。

このお堂は、奈良のお寺としては珍しく戦乱に荒らされることもなく、火災に遭うこともなく、建物から佛像にいたるまで、天平時代の佛像がそのまま眼前に現れるので、東大寺の中でも特別な馬主尾のように思います。右はに堂内諸佛の配置。

全部とまではいきませんがそれらの像を少しばかり載せておきます。
東大寺月光菩薩立像東大寺日光菩薩立像

本尊の両脇に立つ日光・月光菩薩。合掌する姿はとても美しく、天平時代の塑像を代表する見事な像です。

.
東大寺月光菩薩頭部東大寺日光菩薩頭部

左、月光菩薩とその上半身。右、日光菩薩とその上半身。


東大寺三月堂多聞天頭部東大寺三月堂廣目天頭部

左、多聞天頭部
      右、廣目天頭部

知的で強固な意志を持った男の顔です。天平時代の男はこんなにもいい顔をしていたのだろうか。近頃のテレビに映る男の顔はどうでしょう。こんなにいい顔を見たことがありますか?

四天王は脚の下に邪鬼を踏みつけています。心の中に住む{惡」を踏みつけているのでしょうか。

東大寺三月堂持國天邪鬼
左は持國天の脚下で苦悶の表情をしている邪鬼。
誰でも心の中に少しばかりは邪悪な物を持っています。それをこのように自分で踏みつけることで「まっとうな人間」で居ることができるのだと思います。
近頃のテレビの中に出てくる多くの「エライ男たち」は邪鬼を踏みつけるどころか、心の中に邪鬼をのさばらせているとしか思えない人が多いですねぇ。

東大寺三月堂辨財天立像
左、辨財天立像。
日光菩薩のかげに隠れてよく見えない佛像ですが、こうして写真で見ると天平時代の美女の像でしょうか。穏やかな表情です。学問・藝術、それに蓄財の守護神として広く親しまれています。
インドでは聖なる河サラスヴァティーが神格化された女神で、いままでにも何度もサラスヴァティーの絵は載せておきましたが、日本に来てからも江ノ島や琵琶湖竹生島など水辺に祀られていることが多いし、お寺や神社の池の中の小島に小さな祠がある場合にはその中に必ず弁天サマを祀ってあります。
この像も八臂なのに全然不自然には見えませんね。
東大寺三月堂吉祥天半身像

右は吉祥天。
これは辨財天の反対側、月光菩薩のかげに隠れて見えにくい佛像です。ふくよかで、気高く優しい表情をしている女神です。
天平時代には、先の辨財天といいこの吉祥天といい、このような美女がいたのでしょう。
インドではマハーシュリー、大いなる幸運、という名前の女神で、興福や美を約束してくれます。
ヒンドゥー教ではラクシュミという名前で、最高神ヴィシュヌの妃とされています。
日本へ来てからは美女の代名詞とされる程に美しい像や絵に作られました。
浄瑠璃寺の像や興福寺の画像は、春秋の頃に日を限って御開帳になります。

三月堂の見事な佛像を幾つか載せておきました。ワタクシは奈良へ行くときはできるだけこの三月堂に行く時間をとるようにしてこれらの佛像にお目にかかるようにしています。
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2018.06.25 (Mon)

白毫寺

元の所、春日奥山へ入る手前の、志賀直哉旧居からちょっと進んだ所に、「右 新薬師寺」の道標があってその通り行くと新薬師寺の築地塀が見えてきます。新薬師寺築地塀
右はワタクシが二度目に奈良へ来たときの写真。60年程前。
こんなにすごい作り方の塀は初めて見ました。とても丈夫で何百年の星霜にも耐える作り方です・

新薬師寺東門


写した方向は違うけれども、ほぼ同じ「東門」。門は門らしく立派な姿になり、標柱も建ち、塀も綺麗に作り直されてしまった。

この門から入らないで、ちゃんと南大門から入りましょう。

新薬師寺南大門昔
新薬師寺南大門新

昔はチケット売り場が左の写真、門の中へ入ってから左手のチケット売り場で買って入ったのでしたが、近頃は右の写真のように、門の右手に「売店」が出来てしまった。

會津八一がここへ来たときの歌に
   たびびと の め に いたき まで みどり なる
   ついぢ の ひま の なばたけ の いろ
というのがあって、自注によると「築地のひま」というのは築地塀の崩れた隙間、という意味だそうですから、境内へ入って外の方を見ると、塀の崩れた隙間から畑二植えてある菠薐草などが見えているよ、というつもりだったのかも知れないが、ワタクシがここへ始めてきたのは3月頃だったので、たまたま連翹(レンギョウ=黄色い花)が咲いていたのを見たので、ワタクシの連想では菠薐草ではなくて菜の花畑を思い浮かべていたようだ。
新薬師寺本堂
新薬師寺の本堂です。
中へ入ってみましょう。円形の須弥壇の中心に藥師如來、その周りを十二神将がとりまいています。

十二神将像新薬師寺
十二神将は聖域を佛敵から守るためにミナサン憤怒の形相すさまじく、ある者は武器を執り、ある者は拳を振り上げて敢然と惡鬼と闘います。
この力強い姿に人々は藥師淨土に対する安心・信頼と、藥師如來による現世利益を感ずるのでした。


新薬師寺伐折羅大将頭部新薬師寺藥師如來と伐刹羅大将

左は伐折羅(ばさら)大将頭部。
怒髪天を突く、という表現がそのまま当てはまります。十二神将の内の傑作とされています。

右が本尊藥師如來と伐刹羅大将。


新薬師寺香藥師
この本堂の左側に小さなお堂があって、そこに昔、香藥師という小さな像があったのです。奈良時代前期と思われる作だったのですが、昭和18年(1943)、3回目の盗難に遭って、それからは遂に見ることが出来なくなったのでした。
さいわいにもワタクシの手元にその写真があったので左に載せておきます。
會津八一は、

     香藥師を拝して
  みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の
  やまとくにばら かすみて ある らし

という歌を残しています。
新薬師寺の森
右は新薬師寺を包む森。
このあたりは今は住宅なども少し建っているようですが、そんなに大きくは変わっていないようです。
ここから白毫寺の方へ行ってみましょう。

狭くてわかりにくい道を高圓(たかまど)山の方へ登って行くと、昔は人の行かないそのお寺は荒れ果てていて、住職も町へ仕事に出ているような状態だった。
白毫寺山門への道昔

左はワタクシが初めてこのお寺へ行ったときの参道石段だが、今は「萩の寺」として右のようにずいぶん綺麗に整備されていました。白毫寺萩の石段

万葉集に
 高圓の野邊の秋萩いたづらに
  咲きか散るらむ見る人なしに

というのがあるので、萩の寺として売り出したのでしょう。最近はようやく観光客も行くお寺となったようです。

ワタクシが初めてここへ行ったとき、ちょうど仕事から帰ったばかりの住職みずから本堂の鍵を開けてくれた。
本堂には本尊である阿彌陀三尊のほかに泰山王、閻魔王などといった、ワタクシが死んで三途の川を渡ったときに対面するであろう地獄の王たちがいかめしい顔つきで並んでいました。
お釋迦さまが2500年程前に死ぬとき、彼は輪廻という考えから完全に脱却して、自分はもうどこにも生まれ代わらないことを確信して安らかに死んだ。寿命のある限り穏やかに生きて、死んだら完全に消滅することが救いである、と説いた。それなのにその釋迦の教えを引き継いだ弟子の中には、相変わらず人間は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のどこかで生死を繰り返す(輪廻転生)と説く者がいて、そういう考えの中から地獄・極楽という世界が生まれ、人は死んだら生前の行いについて冥界の十人の王たちの審判を受けて、行くべき世界が定まる、などと荒唐無稽な話になったのです。
白毫寺閻魔大王坐像
白毫寺泰山王像

右は五七日(=35日目)担当の閻魔王。
左が七七日(=49日目)担当の泰山王。


ついでですから十王のお名前と本地佛を書いておきます。
 十王      本地       担当
秦廣王     不動明王    初七日    
初江王     釈迦如来    二七日
宋帝王     文殊菩薩    三七日
五官王     普賢菩薩    四七日
閻魔王     地藏菩薩    五七日
変成王     彌勒菩薩    六七日
泰山王     藥師如來    七七日
平等王     観音菩薩    百ヶ日
都市王     勢至菩薩    一周忌
五道転輪王  阿彌陀如來  三回忌

こんな事は日本だけのことで、それも鎌倉時代になってから考え出されたことのようです。
地獄の十王たちに悪い判定をされないように、生前の内に阿彌陀様にお願いをして極楽にお導き下さるようにとお祈りをするのが「南無阿彌陀佛、ナマンダーブ~」というわけです。
白毫寺本尊阿彌陀如來坐像
その頃の白毫寺は滅多に人の行かないお寺だったから、たまたま訪れたワタクシに住職はこのお寺の佛像の写真をたくさん呉れた。白毫寺脇侍観音菩薩正面
白毫寺脇侍観音側面

右に入れたのは本尊の阿彌陀如來坐像と脇侍の觀音菩薩。
観音様は本尊に比べてうんと小さいのだがとてもカワイイので好きです。


二度目にこのお寺へ行ったときにはずっと奥の方に「宝物館」が出来ていて、昔は本尊の左手の壁際にズラッと並んでいた地獄の王たちはみんなその宝物館の白い壁の中にズラッと並んでいました。


白毫寺本堂白毫寺石佛群


白毫寺本堂と本堂脇にある石佛群の一部、
白毫寺五色椿
また「五色椿」(左)というのがあって、一本の木にいろんな椿の花(といっても赤と白と、それらがいろんな具合にまだらになったものらしいのだが)が作というのもこのお寺では有名なようです。
ワタクシは椿の花の季節には行かなかったので、借りた写真だけを載せておきます。向こうに見える屋根は本堂の屋根です。
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