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2018.04.21 (Sat)

金澤の食べ物 春04 別所のたけのこ

金澤では「別所のたけのこ」が有名。たけのこ
江戸中期の頃、お殿様のお供で江戸詰をしていた岡本右太夫という、当時まだ身分は足軽だったというのだが、金澤でもたけのこを食べたいと、孟宗竹を土産に持ち帰った。栽培記録によると、明和七年(1770)にようやく移植に成功して寺町台に根付けられたのだが、本格的に栽培されるようになったのはそれから20年あまりも経ってから子孫の手で寺町台からずっと山の方へ入って、大乗寺山の奥の方の別所(べっしょ)の地で、そこは地質が合ったのかとても好い筍が作られるようになった。

寺町台をずっと山の方へ行くと富樫山地になります。
富樫山地というのは、平安・室町の頃は加賀国の守護として、歌舞伎「勧進帳」で安宅の関守として登場する富樫左衛門泰家といった人の領地でもあった山地です。
この山地の末端に大乗寺山というのがあって、曹洞宗東光山大乗寺という大寺がありますが、その前の山道をさらに奥へと進むと別所という村があります。

たまたま(2018年)4月21日の朝日テレビで、ラッシャー板前という人が出てきて、「別所のたけのこ」を美味しそうに食べる画面が出てきていました。
別所でとれる筍はとてもオイシイのです。
別所の筍畑

ワタクシも子供の時(これは勿論この前の戦争の始まる前のことですが)、町内みんなでタケノコを食べに行きました。

右は筍を掘っている場面。

村に着くと、さっそく朝掘りのタケノコを大きな鍋の中で大量の昆布と一緒に煮ます。
ここのタケノコはアク出しなんてことをしなくても、えぐ味がなくてとてもオイシイのです。

お隣のオバサンに説明して頂きましょう。金澤弁でいきましょう。
…別所のたけのこはネ、茹でんほうがおいしいがや。昆布と一緒に煮るとネ、昆布が柔らこぅなるがやわいね。馴れとらん間なら、茹でたら勿体ないわいネ。…

馴れる=時間が経って新鮮さが失われる。つまり、朝掘ったすぐの新鮮なうちならすぐに料理してすぐ食べるのが一番オイシイ。

筍の煮えるのを待っている間、掘ってきたばかりの筍を二つ割りにして、皮のまま焚き火で焼いて、焦げた皮をむしって食べます。これがまたオイシイ。
別所の筍煮物

タケノコの煮物です。

タケノコと昆布の出会いは、山と海の素材の相性の良さが一段と持ち味を生かして季節の味を満喫させてくれるのです。

別所では、タケノコの刺身、タケノコの天麩羅、タケノコと昆布の煮物、ワラビとの酢の物、ワカメとのすまし汁、タケノコご飯、タケノコの粕漬け、といろいろ出てきます。

レシピ1 : 筍と昆布の煮物

① 昆布はなるべく上等のものを使いましょう。利尻昆布の大なのを一枚の半分程を水で戻しておきます。この水はあとでだし汁としてそのまま使いましょう。
② 筍は生のまま1cm程の厚さで半月に切ります。
③ 昆布は横に2cm程に切って結んでおきましょう。そのまま食べるのですから食べやすい大きさに!
④ ②と③を鍋に入れて、最初はちょっと強火で煮ましょう。筍が少し柔らかくなる程度に。
お酒を半カップほどいれて弱火にして(これが大事!)、落し蓋をして、しばらく煮てから薄口醤油と味醂を加えて味を調えて、昆布が柔らかくなるまでゆっくり煮ます。


レシピ2 : タケノコご飯

材料
① お米4cup 水4cup 昆布10cm角ほど。昆布は水に浸けておきます。
② 筍150g 油揚げ(薄)1/2枚 鶏肉100g
③ しょうゆ、 酒、 味醂 それぞれ適量

油揚げはさきに油抜きをしておきましょう。筍と油揚げを小さく短冊に切っておき、鶏肉も細かく切って③の調味料に入れておきましょう。
①と②と③、お釜に入れて入れて炊き上げます。昆布は炊く前に抜いておいてもいいし、炊き上がってから取り出しても構いません。炊き上がったら早めにかき混ぜて蒸らしておけばいいでしょう。

季節には季節の食べ物を食べましょう。
それが「人間らしい」生き方でございます。テレビを見ながらカップラーメン…なんてのはやめましょうね。
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22:34  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2018.04.06 (Fri)

金澤の食べ物 春03 岩魚

犀川の近くで育ったヨリックにとって、犀川という川は懐かしい川です。
室生犀星もこの川の畔、雨寶院というお寺で二十余年の春秋をすごして詩人というものになり、こういう詩を残しています。

    犀  川

  うつくしき川は流れたり
  そのほとりに我は住みぬ
  春は春 なつはなつの
  花つける堤に坐りて
  こまやけき本のなさけと愛を知りぬ
  いまもその川のながれ
  美しき微風ととも
  蒼き波たたへたり

ワタクシも20余年をこの川の畔で生きていたのでしたが、いまはふるさとの地を離れて異土に老残の姿を曝しているので、犀星のこのような詩が心に響きます。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
  歸るところにあるまじや   ………

犀瀧地図

犀川をずっと遡ると犀瀧という大きな瀧があって、そこは人もなかなか寄せつけない所だ、という伝説がありました。伝説というものは魅力のあるものでして、人を寄せつけない、と聞けば無性に行きたくなるものであります。ある時ワタクシの勤め先の数人でそこへ行くことにしました。

犀川はその源を石川県と富山県の県境に聳えている、見越山(1621m)、奈良岳(1644m)、奥三方岳(1601m)に囲まれたあたりに発します。右の地図、右下の方に小さく赤丸をつけたのが「犀瀧」。そこから左上に向かって延びている線が「犀川」。金澤市街中心部は犀瀧のある場所から北北西に25km程の場所になります。
この地図で一番左上隅のあたりが、覗という地名の村落があってそこまでバスが行きますからそこがスタートになります。
犀川上流河原
道がある間は道を歩けばいいのだが、沢登りというのは道のない所を歩くのが常なので、こういう広々とした河原を歩くことが出来る間はとても気持ちがいいのですが、次第に渓谷は狭くなってきます。
日も暮れてくるので、その前に寝る場所を捜さなくちゃなりませんし、食べる物も採らなくちゃなりません。

このあたりの山や谷には自然の恵みというのか、食べる物はとてもたくさん採れるのです。春にはワラビ、ゼンマイ、ウド、フキ、といった食べられる野草が採れますし、秋になるとキノコやクリ、クルミ、それにアケビは到る所にぶら下がっています。お魚も、イワナが(昔は)たくさん釣れました。
だから山の人たちはいろんな所に小屋を造っておいて、採ったそれらの食べ物を、茹でて乾燥して、商品にして市場に出せるように山中の小屋で加工をしているのです。イワナなども焼いておけば日持ちもしますし、たくさん釣っても運搬に便利です。そしてそういう小屋をワタクシたちは一夜のねぐらに借用して、山中をウロウロするのでした。犀瀧森本魚釣り

日の暮れる前にお魚も釣っておきましょう。

犀瀧泊まった小屋
泊まった小屋と、泊まったメンバーたち。ワタクシは右から2番目。

犀瀧鮎とヨリック



お魚がたくさん釣れるとウレシイ。
お魚を見上げて喜んでいるのはヨリックその人であります。



犀瀧小屋の中



小屋の中は広々としているし、大きな囲炉裏もあるし、タキギもたくさんあるのです。飯盒でご飯を炊いて、釣ったお魚を焼いて、腹一杯ご飯を食べて、、囲炉裏の廻りで寝袋に入れば安眠熟睡疑いなし。

ここから先はいよいよ本格沢登り。


右の大きな石の上から下へ降りて、真ん中の岩の下の隙間から左の岩へと移動するのです。
犀瀧巨岩を通る

落ちたら命はありません!


犀瀧雪渓



ここまで来ると雪も残っております。これだけの厚みがあれば上を歩いても絶対安全。落ちる心配はありません。川の水は岩の下や雪の下でゴウゴウと響いています。
犀瀧正面

目指す瀧が見えてきました。大きな瀧です。


もっと近づいてみましょう。

犀瀧側面

立派な瀧ですねぇ。
しばらくは呆然と眺めておりました。





滝の脇を上がってみるともうそこは岩ばかり。
犀瀧瀧上

これで今度の犀瀧見物の旅は終わりました。



もう少し高い所へ登ってみました。
向こうに見える山は口三方岳。犀瀧口三方岳

その左にまだ真っ白に雪をかぶった白山があるのだが綺麗には写っていませんね。

口三方岳の向こう側には実は「石川県石川郡河内村字下折( かわちむら あざ そそり )」(今は石川県白山市河内町下折、と呼び方が変更になってしまった)という今はもう廃村になってしまったかも知れないのだが、むらがあるのです。そしてそこはワタクシの母親が生まれ、死んだ(そしてワタクシもそこで生まれた)村なのであります。ワタクシの記憶のために書いておきます。先に載せておいた地図の一番左下に小さく赤丸をつけておいたのが下折という村の場所。
ワタクシのブログ、正式名称である 《http://azasosori.blog.fc2/》もこの下折という村の名前から取ったのでした。
いわなの骨酒L


お待たせしました。
この項の題目である「岩魚」です。
焼いてお酒を入れた「骨酒」です。
お酒がグッと美味しくなります。

21:25  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018.04.01 (Sun)

金澤の食べ物 春02 ごり

金澤を代表する食べ物のひとつが、「ごり料理」。
ごりをとる犀川
市内を流れる犀川、浅野川でいまでも多少は鮴(ごり)という魚が取れる。

左の写真は犀川。ごりを捕っているところ。
見えている橋は櫻橋。
この橋の右の方は金澤市街中心部の方、本多町から兼六園の方に通ずる道で、橋を渡って左の方はダブリュ坂を上がって寺町になります。

W坂

ワタクシの通った高校は寺町台にあったのと、ワタクシの家は本多町に近い下主馬町という場所なので、学校への往復はこの橋か上流にある下菊橋のどちらかを通りました。ダブリュ坂はWを横に倒したような石段の坂です。
この坂を登り切って真っ直ぐ行くと突き当たりが寺町。
その名の通り両側には大きなお寺がズラッと並んでいます。

その間に戸水屋というお饅頭屋がありました。
五色生菓子日月山海里



そのお店で売っていた「五色生菓子」。
この生菓子は、天地自然の姿を現したものと言われております。
左から、【日・月・山・海・里】と名前がついている。



日 : アンコの入った白い丸餅の一端を紅色のいり粉(米の粉)で半円にまぶして日の出を現す。
月 : 白いお饅頭に黒ごまをちょっとだけくっつけて月面を行雁(ゆくかり)の意を表す。
山 : 山の幸である毬栗(いがぐり)で、餅一面にまぶされた「いがら」はクチナシで黄色に染めた米粒。
海 : は菱形に調えた餡餅で、海の波の重なりを見せています。
里 : 村里に拡がる水田の土の色を表現した蒸し羊羹だが、角をおとして縁起よく丸く仕上げました。
五色生菓子蒸籠
門前に積み上げられている蒸籠の中味はこの五色生菓子です。
このお家では今日お嫁さんを迎えるのです。
嫁いできたお嫁さんは、お姑さんに手を引かれてご近所に挨拶回りをするのですが、その時にこのお菓子を縮緬の袱紗をかけた蒔絵の重箱に入れて持参するのです。


五色生菓子重箱
この風習の始まりは、慶長五年(1600)、前田家三代の利常に、江戸幕府三代将軍家光の娘珠姫がお輿入れの折のことと伝わります。この時の利常チャンは5歳、珠姫チャンは3歳。カワイイ盛りの結婚式です(珠姫についてはいずれまた登場して頂くつもりです)。前田家としては徳川将軍の娘を嫁にもらうのだからずいぶん気を配りました。菓子司樫田吉藏に命じてお菓子を作らせたのです。この時吉藏は特に容器を吟味して、塗り物の五重の容器に納めて奉納したのがことのほか喜ばれて、以来、加賀の生菓子として武家町人のへだてなく慶事のお菓子として用いられるようになったのでした。
このお菓子は、ワタクシの家のあった犀川寄りの家では戸水屋で誂えましたが、浅野川寄りのお宅では越山というお饅頭屋に注文しました。
金澤では昔から住んでいる場所によってお買い物をするお店は決まっていたようで、ワタクシの家ではお茶は野田屋、お肉は天狗というお店、と決まっていて、子供の時にお買い物に行かされたことを覚えております。

ごり料理の話をするつもりで犀川、櫻橋の写真からずいぶんそれてしまいました。
ごりの唐揚げ佃煮ごり汁
櫻橋を渡ってダブリュ坂を上がる手前の右に「ごり屋」という料理屋がありました(このお店はかなり早くになくなりました)し、浅野川方面では天神橋のもう一つ上流の常盤橋のたもとに「ごり屋」があって、こちらは今でも営業しているはずです。
右の写真、手前左から佃煮、唐揚げ、汁。
これは自宅で作る場合のごり料理です。
最後に簡単にレシピを書きましょう。

ごり屋でお食事をしましょうか。
ごり屋お座敷
ごり屋のお座敷です。

ごり屋骨酒


まず、ごり酒。


このお魚は鰍(カジカ)に属する小魚で、せいぜい7~8cmほどの小魚です。
最近、デパートや土産物店で「ゴリの佃煮」という物を売っていますが、あれは(殆どの場合)偽物で、ハゼ科の小魚を佃煮にしたものです。本物の鮴ではありません。本物は写真のお酒の中に浮いているお魚です。お目にかかるには多少お金がはりますが、ごり屋のお座敷に上がるしかないようです。
誰かが「室生犀星の、ゴリのように三角に尖った顔」と書いていた。たいそう失礼な言い方だが、それを読んでからというもの、ワタクシはゴリという文字を見ると犀星の顔を、室生犀星という文字を見るとゴリの三角に尖った顔が目に浮かぶ。

昔は町内会などでみんなで川へ入ってゴリを捕って、河原で大きな鍋でゴリ汁を作ったり天麩羅を揚げたりして、大人たちは酒盛りをしていたらしいのですが、ワタクシが物心ついた頃にはもうそんな事をやっている情況ではなかった。南京陥落祝賀提灯行列、紀元二千六百年奉祝花火大会、それからあとは御存知戦争一色。

ごり屋では九谷のお皿や輪島塗のお椀で出てきます。
ごり屋酢の物

酢の物

ごり屋洗い

洗い


ごり屋唐揚げ

唐揚げ





ごり屋柳川鍋

柳川鍋




ごり屋ごり汁
ごり汁

ごり屋佃煮とばい貝








ごりとばい貝の佃煮。


レシピです。

ごり汁。 ①小さめのゴリに塩を振ってもんで(ぬめりを取るようにして)水洗いをします。
②細い牛蒡を細く笹がきにして水にさらしてアクを抜いておきます。
③昆布だしを煮立てておいて①を入れ、酒と白味噌を入れてゆっくり煮ながら、仕上げに②を放して歯切れのいいところで食べます。

唐揚げ。 ①生きている大きめのゴリをよく水洗いして布巾で水気を取っておきます。
②小麦粉をガーゼに包んで①に軽く振りかけ、170℃ほどの揚げ油でカラリと揚げ食塩を振りかけます。生きたゴリでないと鰭や尻尾が形よく拡がらないので注意して下さい。

佃煮は省略します。
魚屋で生きのいいゴリを見つけた主婦は、「今日は生きのいいゴリおったわね」と喜んで大きいのは唐揚げ、小さいのはごり汁、そして佃煮を作って東京にいる娘に送ってやるのです。
13:44  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2018.03.23 (Fri)

金澤の食べ物 春01 雛祭り

ワタクシが生まれ育った金澤を離れて東海道筋に住みついてからすでに半世紀をこえました。
もう故郷の地に戻る、などという望みも消え失せてしまったのだが、故郷の食べ物にはつよい愛着がありますので、、折に触れて思い出すままに、泉光院の旅の間に挿入していこうかな、と思うようになりました。
ワタクシのブログにお立ち寄り下さる皆様におかれましては、この雑文にもお目を通して下さるようお願い申し上げます。
 
桃の花の咲く頃、旧暦の三月三日は女の節句。雛祭り岡家

金澤は豪雪地帯ですから、新暦での三月の初めはまだ「桃の節句」という雰囲気ではないようで、春の行事は月遅れ、が普通のようです。だから金澤では一ヶ月遅れの四月三日にお雛祭りをするお家が多いようです。

赤い毛氈のひな壇に、昔からのお雛さん、親類・縁者から贈られたお雛さんなどを飾ります。

お雛さんを飾るようになったのは江戸時代の頃からだそうです。それ以前の室町・平安の頃は、「ひとがた」を作って女児の身の穢れを払いつつがない生長を祈って川や海に流したのがはじまり、といいます。

兼六園の東側の一角に「成巽閣」という建物があります。
雛祭り成巽閣享保雛
この御殿は十三代藩主前田齊泰が母親眞龍院の隠居所として竹澤御殿跡地に文久三年(1863)に建てました。
毎年春になると前田家所蔵のお雛さんの展示があります。
左は享保雛。
(享保=1716~36)

こんなのがずらりと並ぶさまは壮観です。


雛祭りご膳ぬたかれいしじみ汁

雛祭りのお膳の一例です。

左手前から時計回りに、お赤飯、だし巻き卵、かれいの煮物、しじみ貝の味噌汁、真ん中がイワシと小葱のぬた。右に付けられているのは干鱈で、これは客人が土産に持ち帰るためのものです。
左奥の重箱には雛あられのような物が盛ってあります。

とても質素なお膳です。客人にも鯛は供えずに、安価な鰈で、土産も安価な干鱈です。
これは、やがて他家に嫁ぐことになる女児のために、家計のやりくりを上手にきりもりしてゆけるように、との意味を含めてのしきたりです。

貝の味噌汁ですが、東海地方ではハマグリが普通に使われていました。
貝殻は、貝合わせの行事に見られるように、たくさんあってもたった一組しか合わないので、貞操の意味があります。また二枚でしっかり身を守っていることから、夫婦でしっかり家を保つように願いを込めて貝を汁の具にするのです。
春の遅い北陸では安くてたくさん手に入るシジミの汁にするのでした。

唯一豪華なのは右の金華糖という飾り菓子。金華糖籠

全部お砂糖で作られているのです。
ひな壇に飾っておいて、あとで壊して食べるのです。中はカラッポですから、壊すと破片になって、カリカリ食べられてとてもオイシイ。

男の子は女の子のいる家へ行って、この金華糖が壊されてそのカケラを貰うのが何よりも楽しみでした。



いわしのぬた
左、イワシのぬたです。
 作り方。
① イワシは塩水で洗って、白っぽくなる程塩うちをして2~3時間しめておきます。
② それを20分程酢につけたあと薄皮をむいて細作りにします。
③ ワケギはゆでて水けをきり、3cm程に切りそろえます。
④ 調味料は、白味噌、砂糖、酢、みりん、ねり辛子。適当な量をすり鉢ですりあわせます。
⑤ ②・③・④を和えて味を調えます。

以上、青木クッキングスクールの青木悦子さんの記事を参考にしました。ありがとうございました。

金澤市の日本海沿岸、金石(かないわ)の港に、春先にあがるイワシはとてもオイシイのです。
魚屋の店先に、砂にまみれたままのイワシがいっぱい並ぶのです。
そのまま茹でて生姜酢醤油でたくさん食べました。
20:26  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2014.08.31 (Sun)

ヨリックの金澤・2014年夏 05

兼六園は名園です。一木一石のたたずまい、曲水の流れ、すべてに風雅の趣。自分の足で歩いて、自分の五感で感じ取りましょう。先ほどの徽軫燈籠から川の流れに沿って上流へと歩を進めます。
雁行橋a
雁行橋。
亀甲の形をした赤戸室石が、雁の空を行くが如く配してあるので雁行橋とも亀甲橋とも言います。
橋というものは本来は人間が川を渡るために作ったものだと思いますが、磨り減るのを怖れて入場料を取るようになってからは人間の渡る事を禁じています。雁行橋b

(右の写真)よく見ると石の真ん中あたりが少しばかりへこんでいるようです。
形あるもの必ず滅す。とは佛教でもよく言われる事ですし、人間の作ったものは必ず壊れるものである事、原発事故を見てもよく判る事です。
諸行無常。すべての現象は移りかわってゆくものであると認識するのが悟りの初歩である、とお釋迦さまも言ってるじゃありませんか。石が磨り減って穴の開くのを怖れて人間が歩くことを禁止するのはどんなもんですかねぇ。
左上の写真、橋の向こうに燈籠が見えています。そのあたりが七福神山(左下)。
七福神山
よく判らないのだが大黒天とか毘沙門天や福禄寿、辨財天など言った石が配してあるのでしょう。
日本の庭園を見るためには、こういったさまざまな見立てを知っていないとダメなんです。きっと丸くて大きいのが大黒サンで、細長いのが福禄寿、だとか、弁天サマは前の方にいらっしゃるのだとか、、いろんな決まりごとがあるのだと思います。

ここから曲水にかかる橋を渡ると、大きな銅像が見えます。日本武尊・銅像
ヤマトタケルの銅像なんですが、この銅像が建てられた理由がワタクシにはさっぱり判らない。建てられたのは明治10年で、西南戦争で死んだ人の魂を祀るという目的だそうなのだが、金澤の兵隊が九州まで出かけて西郷隆盛討伐に荷担したという話は聞いた事がないのです。それよりもワタクシの記憶にしっかり残っているのは、この台座の石組が「三すくみ」になっている、という話。日本武尊・台座

三すくみというのはジャンケンのように、強いのと弱いのとがあって全体としてうまくまとまっているシステム。
左がその台座。
この台座には、ヘビとカエルとナメクジの石が組んであって、ヘビはカエルに勝つけれどもナメクジには負け、ナメクジはヘビに勝ってカエルに負け、カエルはヘビに負けてナメクジに勝つ、というのです。それでこの台座はどんな天変地異があっても絶対に壊れないのだ!と子供の時しっかりと教え込まれたのでした。だが実はどの石がカエルやヘビやナメクジなのだか、いまに至るまで誰も教えてはくれません。この銅像の前に立つたびに、どの石がどの生き物なのだか目を凝らしていているのだが未だに判らぬままです。中国での三すくみは、「螂蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食螂蛆、互相食也」となっていて、螂蛆はナメクジではなくてムカデの事だそうです。
根上がり松根上り松・根

銅像の向かいに根上り松の巨木が見えます。見事な大木。

そうして菊櫻というのがこの松の右側の方にあるのですが、初代菊櫻は枯死してしまっていま二代目に代替わりしているので写真は撮ってないのでした。
菊櫻・花弁

左は初代菊櫻の花弁です。
一つの花弁に300枚を超える花びらがついているのです。いまは二代目菊櫻ですが花弁の数の多いことは初代と違うわけではありません。
この花が咲くのは他の櫻よりちょっと遅いので、花見の盛りがすんだ頃に行くのが好いでしょう。

曲水にかかる花見橋。曲水・杜若見頃
杜若の頃が一番の見頃です。
五木寛之氏が朝早くここへ来た時、この杜若の所に人が集まっているのを見て、随分不思議がったことを何かの随筆に書いておりましたが、金澤に長く住んでいる人ならわかることです。
五木寛之氏が驚いたのは、杜若の花が開く時のかすかな音を聞くために人が集まっていたことでした。

躑躅の花が杜若より少し先に咲くので両方同時にというのはちょっと難しい。
花見橋
左は花見橋から見た躑躅。杜若にはまだちょっと早いようですね。

この橋を渡ると成巽閣の裏門に出て、そこから成巽閣に入ります。観光客が成巽閣に入る時は裏門からでしか入る事は出来ません。この建物は13代藩主斉泰が母親の隠居所として建てたのですが、江戸時代末期の大名建築として、豪華と風雅、詳しく見ていくと、日本建築の素晴らしさがよく判ります。成巽閣は別途項を改めて書くことにします。

成巽閣裏門の左へ行けば山崎山で、西麓には芭蕉句碑があります。
山崎山・芭蕉句碑芭蕉句碑・あかあかと


 あかあかと
 日はつれなくも
 秋の風

この句は奥の細道の帰り道、金澤の俳人の誘いでやってきて、犀川の橋の上で詠んだ(異説もありますが)という句です。
他にもこの句を彫った石はあちこちにあるようですが、これはわりに古いもののようです。
この山の裏側(東麓)には氷室の跡があって、冬の間に作って貯蔵しておいた氷を六月朔日(旧暦の)に掘り出して殿様に差し上げるのが「氷室開き」。氷室饅頭
庶民はその日、「氷室まんじゅう」(右の写真)というのを食べるのでした。
新暦では7月1日です。この日1日だけの予約販売。

成巽閣裏門の所を右に行くと金澤神社で、その前を降りていくと金澤という地名が生まれた泉、「金城靈澤」に出ます。

金城靈澤
芋掘り藤五郎という貧乏な男が山科(金沢市南部の山)で自然薯を掘って暮らしていました。男のもとに大和国から…わこ…という娘が砂金の袋を持って嫁いできました。男は、こんな物いくらでも落ちている、というのです。金の値打ちを知らなかったのです。金城靈澤・泉
芋はいつもこの泉で洗っているのだが、泉の砂の中に砂金が混じっているのです。
わこに教えられて砂金を取り、男は金持ちになりました。その泉はいまも綺麗な水をたたえては居りますが、昔のように砂金は出てきません。
金城靈澤・扁額

この建物は、大工をしていたワタクシの祖父が昭和初期に建てたものだと聞いております。
扁額に「金城靈澤」と書いてあります。
昔はこの泉を「金洗いの澤、かねあらいのさわ」と言っていたのだが、前田利家がここを領地にしたとき、それまで尾山と呼んでいたこの地名を、この泉にまつわる伝説を聞いて、金澤と改めたのだそうです。

ここに出口があるので一旦兼六園を離れましょう。
向かい側には石川県立美術館があって、その右側に陸軍第九師団の師団長官舎跡が県立美術館の別館になっていて休憩も出来るようになっています。氷室まんじゅうの写真はこの師団長官舎跡の一室で写したものです。右の坂道をずっと降りていけば最近有名になった金澤21世紀美術館。
石川県立美術館の左隣には加賀藩家老であった本多家の藏品館、その左隣が石川県立歴史博物館、その横に石川県立能楽堂、その向かいが成巽閣の正門と石川県立伝統産業工芸館、などなど、美術館・博物館がいっぱい並んでおります。
成巽閣・なまこ塀
成巽閣の正門の方へ向かいましょう。
堂々としたナマコ塀が並んでおります。
左突き当たりまで行くと正門です。
成巽閣・正面入口





金澤城内には藩主の住居は一つもありません。この成巽閣が唯一江戸時代の大名屋敷の面影を残す建物です。
前田家十二代藩主齊廣の夫人眞龍院は江戸本郷の邸(現在の東大の場所)に住んでいたのだが、夫の死後、金澤城二の丸に移り住んでいた。十三代藩主齊泰は、この母の隠居所としてこの建物を建てて、金澤城の東南方向に当たるので巽(たつみ)御殿と名付け、後に唐詩の一句、…成於巽而徳風備矣…から採って成巽閣とした。
この建物は廃藩後だんだん縮小されてついには三分の一程になってしまったのだが、それでもなお宏壮且つ優美な姿を見せてくれます。始めて写した写真

右の写真は、ワタクシが始めて写真機というものを買ったとき、この成巽閣の正門の中で撮影会というのがあったのでその時に写した写真です。
ワタクシにとっては貴重な記念写真ですのであしからず。
成巽閣のことは、《ヨリックの散歩道 金澤035 兼六園3》の項でかなり詳しく書いてしまったので、今回の兼六園はここでお終いにしましょう。

帰り道はもう一度公園の中へ入って、桂坂口から白鳥路、お城の周囲の堀だった道へ出て、ホテルKKRへ戻りました。左の上がが金澤城の三の丸から新丸にかけての領域で、右側は加賀藩家老職の奥村家邸や細工所などがあったのだが現在は裁判所が入っている。
白鳥路
きれいに整備されているのでお散歩道に好適です。いろいろの銅像や彫刻なども入っているので公園の延長のような雰囲気です。

白鳥路・三文豪

右がそんな銅像の一つで、金澤の生んだ三人の文豪。左から室生犀星、泉鏡花、徳田秋聲。
泉鏡花についてはちょっと書きたいこともありますので、何れ項を改めましょう。

ホテルKKRへ戻ったのは8時ですから、2時間半程の朝のお散歩でした。
KKR食堂から大手堀

窓から眼前に大手堀が見えます。
お城の石垣や堀を眺めながらの食事はとても気持ちがいいし、ここの食事はかなり「金沢風」料理なので、バイキングとは言えワタクシにとっては少しばかり懐かしい朝食。
そして近江町市場へ行って昨日のうちに頭に刻み込んでおいたお店に行って、「どぜうの蒲焼」や「金時草」や、ふぐとふぐの卵巣の粕漬、ニシンの糠漬、「へた紫茄子」等々の食材を買い込んだのでした。

どぜう・蒲焼
河豚とその卵巣・粕漬


左がどぜう(ドジョウ 泥鰌)の蒲焼、
右の上がふぐ(河豚)、下がふぐの卵巣の粕漬。
ふぐの卵巣はそのまま食べれば猛毒なのではありますが、3年程塩漬けにしておけば毒は抜けるので、その後粕漬けにするのです。
お墓参りに行きました。
大乗寺・参道入口
左は曹洞宗・大乗寺の参道入口。左側に屋根が見えますが、ワタクシの祖母はこの家から嫁に来たのでした。
柴木家・お墓


右がお墓。参道入口から100mほど登って左の石段を登った所にあります。

これで「2014年夏」の項を終わりにします。
22:17  |  金澤  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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