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2011.10.21 (Fri)

ヨリックの散歩道 金澤033 金響

下主馬町の私の家から小立野の台地に上がる道に新坂という坂道があって、新坂と
いうのだから新しくできたには違いないのだが、No.002で書いた嫁坂よりもちょっと
新しい、という程度で、江戸時代の終わりまでには出来ていただろうと思います。
そこをあがって小立野の通りへ出るちょっと手前を左に曲がった所に「梅光会」という
キリスト教系の幼稚園があって、そこで金澤交響樂團が練習をしていました。
いつも見物に行っていたのはちょっと足の悪い西本クンとワタクシ。西本クンはいつも
楽譜を持って見物に来ていました。とても熱心で指揮者にあわせて手を振ったりして
いたのでした。
高校2年の時でした。練習を見物に行っていた私に安藤さん(指揮者)が…ピッコロを
吹かないか…というのです。ベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調作品67、などと
いうよりベートーヴェンの【運命】交響曲ですね。これを次の定期演奏会に出す予定に
していたのです。
安藤さんは泉ヶ丘高校の音楽の教師でしたから、学生音楽同好会のこともあって、
私がフルートを吹く事を知っていたのでした。
この曲は第4楽章でピッコロが大活躍するのです。何しろオーケストラの中でも最高音の
楽器でしかもそれがかなり派手派手しく動きますからとても目立つのです。
金響・1950運命
これは1950年11月19日、
金澤交響樂團第7回定期公演。
ワタクシの初出演の貴重な!一枚です。

運命・4楽章ちょっとばかり懐かしいので、
ベートーヴェン・運命第4楽章、
主題の再現部の所のピッコロと
1番フルートの楽譜を入れました。
ピッコロは楽譜に書いてある音の
高さより実際には1オクターブ高い
音が出ますから、フルートとオク
ターブ離れたユニゾンとなるので、
演奏効果はとても派手になります。


金響・フルート3人フルート3人拡大してみました。
左端の詰襟学生服・可愛い坊主頭がヨリック、
真ん中の学生服が医学部学生だった神田さん、
右端が中田さん。

中田さんは有名なフルート吹きだった林リリ子さんに師事していました。
林リリ子さんは老齢日本人フルート奏者なら誰一人知らないものはいないという
吉田雅夫に12歳の頃から師事し、東京交響樂團・日本フィルなどの首席フルート奏者を
務め、さらには70人近いプロのフルート奏者を育て上げ、カーネギーホールで
コンサートを開いたという輝かしい経歴の持主です。
林リリ子
右が林リリ子さん。お弟子さんを集めてその
演奏に厳しい批評を加えるので怖れられていた
といいます。

中田さんはこの林リリ子さんに招かれて東京
交響樂團のフルート奏者、つまり中田さんは
プロのフルート奏者になったのです。

中田さんがまだ東京交響樂團に招かれる前のことですが、私は中田さんにレッスンを受ける
事になりました。もう一人、哲子サンという人も一緒に金澤駅すぐ近くの中田さんの家へ
行ってレッスンを受けるのです。
東尋坊・中田サン・哲子サン
フルートのレッスンもちゃんと受けるのですが、
こうして遊びに行くのもレッスンの内だった
のだろうか。これは福井県の東尋坊です。
奇岩絶壁波しぶき、なかなか優雅なレッスン
でした。

こんな風にして中田さんを通してワタクシと
哲子サンは吉田雅夫の曾孫弟子・林リリ子の
孫弟子、ということになりました。
これは当時のフルートを吹き始めた初心者に
とってはなかなか恵まれたものだと思います。
でもワタクシはいつも練習をサボっていてあまりいい弟子であったとは言えませんでした。

金澤交響樂團は定期演奏会を春秋の2回開いていて、演奏会では必ず管弦楽曲の小品と
協奏曲と交響曲をプログラムにのせました。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、
シューベルト、ロッシーニ、メンデルスゾーン、ブラームス、ドヴォルザーク、シュー
マン、J.シュトラウス、ビゼー、等々、私がいたのは10年足らずでしたがずいぶん
沢山の曲を演奏した記憶があります。なかでもフルート吹きにはドヴォルザークの
「新世界交響曲」と、ビゼーの「アルルの女・組曲第2番」は嬉しい曲目でした。
アルルの女のメヌエットは殆どフルートのソロで終始しまして、本当はハープの伴奏で
吹くのですが、当時はハープなんて洒落た楽器はなかったのでピアノでハープの代わりを
して、高泰夫クンがピアノを弾くのです。高クンは北陸學院の音楽の先生、高雅子先生の
弟ですが、ピアノはとてもうまくて、時々自宅でラフマニノフのピアノ協奏曲の練習
などをする事があって、そのピアノのまわりで弦や管の楽器を持ったのが何人かで
オーケストラのパートを弾く、という離れ業をやって遊んだりするのです。
高泰夫
この写真のピアノの上に載っている楽譜は
モーツアルトのRondoです。彼は大抵の楽譜は
初見で弾いてしまいましたし、私たちはそんな
もんだと思って、ピアノのまわりでスコアを
のぞき込みながらいろんな音楽を演奏した
ものでした。
高泰夫クンはそれだけの腕を持ちながら
金澤大學工学部電気工学科に入学してきて、
卒業してからは国際電気(株)という会社で
技術者として働いていました。父親は工学部
土木工学科の教授をしていましたから、
…男はピアノ弾きなどにはなっちゃいかん、…
と言われたのだろうか。
姉の雅子さんは東京芸大を卒業して音楽の教師になったのでしたが、泰夫クンは
多分不本意ながら電気の会社に入って、それでもしょっちゅうピアノを弾いていて
金澤大學フィルハーモニーのメンバーたちと川崎あたりのホールで演奏会をやって
いたようです。会社が定年になったら思う存分ピアノを弾けただろうに、
その前に死んでしまって、哲子サンから電話でお葬式の日を聞いて慌てて行きました。
祭壇には菊の花で大きなピアノが作ってあって、祭壇の写真にはモーツアルトの銅像、
ウイーンかどこかの街の銅像の脇で笑っている泰夫クンが写っていました。
金響室井摩耶子


これはソリストに室井摩耶子さんをお招きした時のもの。多分ベートーヴェンの
ピアノ協奏曲第5番「皇帝」の時でしょう。

中田さんが東京へ行ってしまい、神田さんも国家試験で遊んでもいられないので、
フルートのパートの空席は私と哲子サンに回ってきて、それからというもの
一番フルートがワタクシ、2番フルートが哲子サン、というのが定席になってしまったのでした。
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