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2011.11.30 (Wed)

藝術の秋 2011 現代童画展など

東京文化会館精養軒でランチを食べてすっかり元気になって上野の森美術館へ
行きました。
上野の森美術館・入口と看板
現代童画展・ポスター









上野の森美術館の入口と展覧会のポスターです。
moguさんから招待券をいただくようになってから
毎年この「現代童画展」の時期に合わせて
上野公園へ出かけるようになりました。
藝術の秋です。この時期、上野にある殆どの
美術館や博物館ではいい展示をしています。

現代童画展に展示してあるmoguさんの絵を見ましょう。
モグさんの絵


左、moguさんの絵。

表題は

 「瞬き ―― さよなら“絶望”」

副題に、 
 …2011年3月11日に寄せて…
とあります。

moguさんからいただいたコメントを入れておきます。
 …あの絵の半島に壊れた原発の姿を入れるか入れないか迷ったのですが、入れると、
あの絵の中の子が、ずっと原発と一緒にいなければならなくなり、可哀想なので、
代わりに鳩を飛ばしました。「さよなら絶望」の絶望とは原発の事なのです。
ニュースを見ると、TPPのことも、進まない復興と、不可解な増税など、ニュースを
見ると絶望しそうになります。血を見ない革命でも起きないかしら……

絵の、右上の方に薄白く延びている半島に、壊れた、というか、爆発した原発の姿を
入れればあまりにもすさまじい絵になってしまいます。moguさんもそこまではとても
描くことははばかられたのでしょう。鳩に脱原発の願いを託して飛んでいって貰うしか
ありません。

3月12日以降の福島第1原発の状況について、政府や東電の発表は現実を覆い隠した、
あまりにも白々しい発表でした。それを読むとついこの前の戦争、「大東亜戦争」という
あの戦争の時に、新聞にのった発表、「大本営発表」というあの嘘でまるめて現実を
覆い隠した発表を連想してしまうのです。メディア(NHKを含むすべてのテレビも
ラジオも新聞も)は、あの原発の内部で発生した現象の真実を、(恐らく判っている
人もいただろうとは思いますが)誰一人正しく伝えてはいませんでした。
ほんの少しでも考えてみれば3月12日以降のあそこで起こっていることがメルトダウン
であることは判る筈です。ごく最近になって、東電の吉田所長が「病気療養のため入院」
という事で福島第1原発の所長を退任することになり、その言動の端々から、メルト
ダウンであるという認識が世間にも伝えられるようになりましたが、もうあの爆発、
つまりは原子核分裂反応が制御不能の状態(つまり爆発)から半年以上も経っている
ので、真実は忘れ去られようとしております。人の作ったものは必ず壊れるものである、
という程度の認識でもいいから、壊れても自然を破壊しない程度のものしか人間は
作ってはいけないのだと改めて声を上げましょう。

moguさんとは、時事問題について書き込みをするようなサイトで、私とよく似た
立場で発言をしていたのでメル友になっていたのでした。彼女はかなり真っ直ぐに
発言をするので、ときどき心ない連中から叩かれていて、私も時には応援の発言を
することもあったのでした。

この現代童画会に出品している絵は、この会の会長の小澤清人氏の言葉を引用しますと、
 …根本的に人間の価値観がゆらいでいる現在、我々はいかに生きるべきかを問われて
おります。わが現代童画会は、一人一人の作品をとおして、新しいナイーブアートを
模索し、”心の絵画”の確立を目指しております。メンバーが、独自の自己表現をして
それぞれの世界観を創り上げる。そしてメンバーの数だけの世界が幅広く表現され発表
され、根本の部分では純粋な心の絵画 : ナイーブアートでつながっているそんな美術
団体でありたいと考えます。…
 ということで、展示されている絵はみな具象の優しい絵ばかりです。
moguさんもこれから後ずっといい絵を描いてほしいと思います。
法然親鸞・チラシ

続きで上野公園の奥の方にある
東京国立博物館・平成館で
開かれている「法然と親鸞
 ゆかりの名宝」というのを
見に行きました。
金澤での私の勤め先であった金澤大學工学部の図書館には
大正版の「國譯一切經」が全巻揃いで入っていて、あるときその
はじめの方を見ていたら、「犀の角の章」というのがありました。
犀の角の章、というのは、
 …犀の角のようにただ一人歩め…
という句が文章の末についているのでそういうのです。
例えばこのように。

博学で真理をわきまえ高邁・明敏な友と交われ。いろいろとためになる事柄を知り、
疑惑を去って、犀の角のようにただ一人歩め。
実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで心を攪乱する。
欲望の対象にはこの憂いのあることを見て、犀の角のようにただ一人歩め。
一切の生き物に対して暴力を加えることなく、一切の生き物のいずれをも悩ますことなく、
子女を欲するなかれ、況んや朋友をや。犀の角のようにただ一人歩め。
   ……
 ( ブッダの言葉 ― スッタニパータ ―  中村元 訳  岩波文庫から引用)

ブッダという人は、人として正しく生きるための注意事項をこのような詩句で日常
唱えることが出来るようにして人々の間に教えを広めていったのだろうと思います。
これを読んでから、ワタクシは 目から鱗 で、自己流の、サイノツノ宗という宗派の
祖となって、他のものの力を借りずに努力をして少しだけでも好い人間になりたい
ものだ、という言う意味での佛教徒になろうとしているのです。

浄土宗を開いた法然、法然の弟子で浄土真宗の開祖となった親鸞、両方とも阿弥陀如来の
本願におすがりして救いを求めようとする、「他力」の教えです。ワタクシのサイノツノ宗
とは大分考え方が違うのです。
だからはじめはこの展覧会は見る予定がなかったのでしたが折角東博のすぐそばまで
来ていて見ないのも何だなァ、というわけで入りました。。
東博・平成館・法然親鸞看板

宝蔵菩薩という人は48の本願(誓い)を
たてて阿弥陀如来となり、西方浄土の
極楽という所に住むようになりました
(菩薩というのは佛になるための修行を
している努力中の人のことです)。
48の誓いの内の18番目は、
「南無阿弥陀佛」と唱えた人は必ず救い、
極楽浄土に招き入れる、というものです。
極楽という所はとても素晴らしい所で、
三蔵法師の翻訳した「佛説阿彌陀經」には次のように説かれています。
 …ブッダはある時長老サーリプトラに説明しました。ここから西方十万億土に極楽という
所があって、そこでは阿弥陀佛が今も説教をしています。なぜ極楽と言うか、それはそこに
住めば苦を受けることがなく、楽を受けるばかりだからです。極楽には砂金が敷き詰められた
七寶池に八功徳水が充満して、車輪のように大きなレンゲが咲いています。その周囲には
金銀瑠璃玻璃などで出来た楼閣が聳え、そこではいつでも好きなものが食べられるのです。…

というような具合に極楽がいかに素晴らしい所であるかという事をこのお経の殆ど全ページを
使って説明しているのです。

法然はこれに着目して、当時の民衆、支配階級から搾取ばかりされている貧しい民衆、に、
一致団結して「ナムアミダブ」を唱えて幸せになろうという教義を広めたのでした。
これには支配階級と結託して利益を得ていた天台宗比叡山延暦寺も真言宗高野山金剛峯寺も
一致してこの新興宗教である浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞を迫害して、流罪としたのでした。
山越阿彌陀圖

左は京都禪林寺の國寶「山越阿彌陀圖」。
禪林寺の本堂には「見返り彌陀」というちょっと
変わった佛像もありますし、本堂からちょっと
山の方に入った所にこの山越阿彌陀圖の収まった
建物もあり、もし秋に行くことが出来れば
上の方の多寶塔の周囲は実に見事な紅葉で
いいお寺です。
山の間からとても大きな阿彌陀さまが、觀音・
勢至の菩薩を従えて出現して、阿彌陀さまの
胸の所から五色の紐が出ていて、死期を迎えた
病人はその紐にすがってナマンダブ
ナマンダブと唱えれば極楽往生疑いなし。
これが法然の始めた浄土宗・親鸞が唱え、
蓮如の広めた浄土真宗だろうと思います。

法然・親鸞ゆかりの絵巻物や佛典などたくさん並んでいました。観客は、先のゴヤ展とは
かなり違った人が来ています。佛像、佛画の前で手を合わせてじっと拝んでいる人もいる
のです。
ワタクシの、サイノツノ宗などとは全く違った信仰のあり方が見えてくるのでした。
私が幼時を過ごした金澤は、真宗王国といわれるほどに浄土真宗が盛んで、その雰囲気の
中で成長したのでしばらくの間はワタクシもナマンダブナマンダブと唱えたりしたのでした。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。 ジャンル : 学問・文化・芸術

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