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2012.01.30 (Mon)

ヨリックの散歩道 金澤039 魚半

昔の金澤で第一番の繁華街、盛り場、は何といっても香林坊でした。
盛り場というと、賑やかさの中に、何となくいかがわしさ、不純、退廃、
というような空気を感ずるのはワタクシだけだろうか。表通りからちょっと
入った場所で、ゴミゴミした小さな店があったり、射的場とか二流どころの
映画館とか、ちょっと入るのがはばかられるような場所でした。
古地図・香林坊付近
例によって
地図を載せましょう。
この地図は、
天保十四(1843)年
頃のものです。
道路など若干
廣くなった所は
ありますが
、いまとあまり
違ってはいません。
香林坊橋
青い色で斜めに
走っているのは
鞍月用水といって、
犀川の上流から
引いてきた
用水です。香林坊橋と書いてあります。この橋の周辺が香林坊といっている界隈。

香林坊橋、この橋は鞍月用水に架かっている橋ですが、川自体は現在は完全に
暗渠になってしまっているのでこの標石は嘗てここに水が流れていたことを伝える
唯一のものでしょうか。

赤字で建物の名前が書いてありますが、これはワタクシが金澤にいた頃の建物の
名前で、2012年現在で残っているのは僅かに日銀=日本銀行金澤支店。
その上の四高と書いてあるのは第四高等学校跡で、一部は石川近代文学館として
利用されています。さらにその上、市役所はこの場所に今も金澤市役所として機能
しています。その右下の芝生は、No.022 芝生 の項で五木寛之氏に登場願った
洋食屋で、今も健在。その隣にはプロテスタントの金澤教会もあります。
宇都宮書店は、片町に面したこの場所にはなくて、
芝生の向かい側の場所に変わりました。                     
そのほかの場所、北国書林、大神宮、福音館書店、喫茶店の郭公(火事で焼けた)と
モナミ(鞍さん死亡で廃業)、お汁粉のちとせ、レストラン魚半(ぎょはん)、
こういった懐かしい場所はなくなってしまいました。
少しずつ見ていきましょう。
北国書林
右は香林坊の交差点にあった「北国書林」です。
向かって左手の坂を下りて行くと香林坊の
盛り場になります。地図に「大神宮」と入れて
置いた場所がそれです。

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香林坊・大神宮


大神宮の廻りには映画館がいくつかかたまっていました。右側に見えるのが
名画座で、その向こうが新東宝、鳥居の陰に隠れているのが松竹座。
日活もこの近くにあったはずです。だがここの映画館では名画というにはほど遠い
ような映画、看板の文字を見つめると、「人喰海女」とか「憲兵と幽霊」、「危険旅行」、
という文字が読み取れるので、その程度の映画が上映されていて、その脇の立看板
にはまた「ナイトショー」とありますから、ひょっとするとストリップなども
やっていたかも知れない。
ストリップ
右の写真、あまり大きく入れるのはこのブログにはふさわしくない!
だろうと思うので、ごく控えめに入れておきました。



香林坊・びっくりカレーそしてパチンコ屋とか一膳飯屋のような店も
ありました。
右手前の店はびっくり食堂といって、
びっくりカレーライスが売り物の店でした。
1960年頃のMENUは、金額の部分は消して
ありますが、上から
カレーライス¥50、玉子丼¥50、親子丼¥70、
チキンライス・ハムライス・ポークライス・
やきめしがともに¥60、その下のオムライスが
¥80でした。
ワタクシもたった一度だけここでカレーライス
を食べたことがあります。
左隣の店も食堂で大洋軒といいました。

そういうわけでワタクシはこの場所にはあまり詳しくない(ということにしておきまして、
これ以上の深入りを避けることに致しましょう。

もう一度香林坊橋のたもとへ戻りまして、先ほどの北国書林の反対側、右側を見ると、
3階建てのビルが見えます。
魚半・片町側から


これが今回の表題になっているレストラン魚半(ぎょはん)のビルです。

この魚半ビルは、No.029の廣坂教会の項でもちょっ小さな写真
を載せておきましたが、今度はこっちが本題ですから
大きく入れました。

金沢第一番の繁華街ですから、1階の目立つ場所は北國銀行に貸してあって、
地階がたしかカフェー(喫茶店)で、3階がレストラン、それも金澤では2番目か
3番目という有名レストランでした。あえてここで1番のレストランとしなかった
のは、実はすぐ近くに仙寶閣というのがあって、こっちの方が金澤では第1番の
レストランだとワタクシは思っているので、ちょっとゆずって貰ったのでした。

あるときこの魚半レストランで、音楽を演奏したのです。
どんないきさつがあったのか知りませんが、金澤大學のオーケストラのメンバーの
何人かでここでお食事をしている紳士淑女の前で「食卓の音楽」を提供したのです。

「食卓の音楽」と言ってすぐ思い出すのは、バロック時代のドイツの作曲家
テレマン (G.P.Teremann )で、この人の「食卓の音楽 Tafelmusik 」は
実に素晴らしく且つ面白い音楽ですが、当時の私たちはそういう好い音楽のある
こともまだ知らず、また難しい音楽でも困るだろうからとか何とかいうわけで、
非常にポピュラーな音楽、モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
とか、ハイドンの弦楽四重奏「セレナーデ」といった誰でも知っている音楽を演奏
したのでした。

その時のメンバーは、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽合奏のほかに
フルートとオーボエ、クラリネットなどごく小編成だったように覚えています。

哲子サン
先日、この項を書くに当たって、そのとき
一緒にフルートを吹いていた哲子サン
(右は高校生時代の哲子サン)に電話で
いろいろ思い出を話していたのでしたが、
 …アア、あの時ねェ、お客さんみんな食欲を
なくしたんじゃないかしら、アハハ… と
大笑いをしたのでした。
そして私たちは演奏を終えてから、
豪華お食事ではなくて、カレーライスを頂いて
この一件を終えたのでした。

この金澤大學オーケストラのメンバーにいた
ために、時々アルバイトが回ってきたことが
あります。
1955年代でも金澤では小さい子供のバレェ教室などがあって、その発表会の
ための音楽を、舞台の下のオーケストラボックスで、例えば「白鳥の湖」の
一部とか、そういったのを演奏するのです。小さい子供が踊るのですから、
多分その動きに合わせて演奏したのだろうと思うのです。そのアルバイトが
非常に嬉しかったのは、前日のゲネプロ(ゲネラル・プローヴェ、総練習の略)
と当日2回の本番、マチネ(昼の部)と夜の部の演奏で、その間の食事付で、
出演料がたしか\2,000と当時としてはとんでもなく高額だったことをありありと
思い出すのです。(ちなみにその頃の私のギャラは、NHK金澤放送局の番組で
月一回、第3木曜日の晩に放送した15分番組の出演料は、リハーサルと本番と
あわせて\500、税金15%を引いた手取りが\425でした。)

魚半ビルはいつの頃か取り壊されてしまって、周辺にあったいくつもの建物も
吸収して、香林坊アトリオという巨大な商業施設になった。
仙寶閣や三菱銀行金澤支店や英(はなぶさ)薬局、それにお汁粉のちとせ、
といった懐かしい場所もすべて消えてしまったのでした。

魚半の思い出のためにフランス料理の絵を入れておきましょうか。
ジャガイモのスープ鴨のテリーヌ



ジャガイモのスープ        鴨のテリーヌ

フィレ肉のステーキ赤ワイン・コートロティ青カビチーズ


フィレ肉のステーキ           赤ワイン     青カビチーズ

ついワタクシの好きなものばかり選んでしまった。

No.029 廣坂教会でここに登場していただき、大作「ゴヤ」を
書いた堀田善衛にはもう一つ私の好きな作品があります。
「若き日の詩人たちの肖像」です。
この中に魚半の息子がアラビアという呼び名で登場するのです。
アラビアというのは、魚半の地下にあった喫茶店というかカフェの名前ですが、
そういう呼び名で登場します。
この「アラビア」君についてはまた別に項を改めて書くので、一旦ここで
お終いにします。
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