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2012.02.26 (Sun)

ヨリックの散歩道 金澤042 ローゼ

高校時代からよそのいろんな高校の人たちと音楽上のつきあいがあったので、
高校を卒業してからもそれはずっと続いていたし、就職したのも金澤大學
(一応は国家公務員として)だったので、學生ではなかったのだが、金澤大學
合唱團というのにも、金澤大學フィルハーモニーオーケストラというのにも、
まわりの人誰もがさほどの不審さも感ぜずに入れて貰うことが出来たのです。
金大合唱団・30年春


この写真は1955年(昭和30年)春の定期演奏会。ワタクシは前列一番右、
白いズボンをはいているのですぐ判ります。
だが何を歌ったのかすっかり忘れてしまっています。


金大合唱団・集合写真


多分この年の秋の演奏会で、ハイドンのオラトリオ「天地創造」の第13曲、
「 Die Himmel erzahren die Ehre Gottes 天は御神の栄光を語り 」
をワタクシが指揮をしたのでした。

だから今でもハイドンの「天地創造」という曲は大好きですし、
ディー ヒンメル エルツェーレン ディー エェレェ ゴッテス 
とドイツ語が口をついて出てくるのです。

演奏会の会場は、正式名称では金澤大學理学部の講堂ですが、昔からの言い習わしで、
「四高の講堂」でした。合唱団だけではなくて、オーケストラの演奏会も全部この
四高の講堂という場所ですし、「No.028 音楽連盟」の項で書いたことですが、
私の高校生時代に、弦楽四重奏の演奏会を開いたのもこの場所でした。
ローゼでお茶
右の写真は、演奏会が
済んでからの打ち上げの
お茶の時でしょうか、
香林坊近く、日銀前にあった
仙寶閣というレストランの
地下にあった「ローゼ」という
喫茶室です。左から6番目が
弘子サン、一人おいてその次が
ヨリックです。

相変わらず遊びにも行きました。
谷画伯・医王山の絵
この絵は友人の谷画伯の描いた
冬枯れの医王山山群の絵です。
左に白く見えるのが戸室山、
という山で、その奥にちょっと
だけ頭を出しているのが富山県との
県境の医王山です。No.040
金澤合唱團の項で、覚えていて
くださいね、と書いておいたあの山です。

金澤ではハイキングに行く時この医王山へ行くことがよくあります。距離も
丁度いいし、池あり谷川あり岩場あり、と、ハイキングに本当にいい山です。
鳶岩
右がその医王山縦走コースにある
鳶岩(トンビイワ)という岩場。
左下から登って、かなりの急斜面、
70°を少しは超えるでしょうか、
そこを登って丁度鳶の嘴のように
見える所のテッペンを上り詰め、
右の方の尾根を頂上に向かうのです。

金大合唱団・鳶岩に登る

これは昭和30年7月6日に金澤大學
合唱團で医王山へ行った時の写真。
みなさん合唱團のメンバー。
岩の一番高い所にいるのが弘子サンです。
医王山・大池


右の写真は縦走路の途中で写した写真で、右端の岩が鳶岩、下の池が大池、
鳶岩の下の方には三蛇ヶ瀧という瀧があって、サンショウウオ(正しくは
ハコネサンショウウオ)が住んでいて、そのサンショウウオの生きたのを
飲み込むと風邪をひかない、という言い伝えがありました。
頭から飲み込まないとまた這い出てくる、などといわれて恐ろしかったものです。
だがそのサンショウウオを飲み込まなくても邪をひかなかったのでした。
金大合唱団・富山市公会堂

左、やはり昭和30年11月、
富山市公会堂での金澤大學
合唱團。



だが四高の講堂は取り壊されて公園の芝原になりましたし、仙寶閣もローゼも
跡形もなくなって、アトリオというデパート風の建物に吸収されてしまいました。
でもこの写真に写っている人たちの心の中には今もきっと想い出として残っている
ことでしょう。
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