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2012.05.26 (Sat)

ヨリックの散歩道 金澤045 聖書と古事記(その2)

天地創造などと大きな事を書いたのでその罰が当たったのかちょっと多忙になってしまって、
しばらく手が付けられないような状況でした。これからもまだしばらくは思うように
指先が動かせないような状況が続くだろうと思っております。
へこたれずに書き綴っていくつもりでは居るのですが……

天地開闢神話はどの民族でも持っているもので、宇宙の始まりは混沌とした天も地もその
区別が定かでないような状況から出発して、前回書いたように旧約聖書ではエホヴァ
(Jehovah)という神様が「光あれ!」と叫んだ所から万物が創出されたようですが、
日本でもやはり混沌とした宇宙の中に神様が現れて日本の歴史が始まったことになって
いるようです。

古い歴史書である古事記と日本書紀とでは多少記述に相違があるのですが、読物として
面白いのは古事記ですからワタクシは古事記に従って話を進めることにします。
今年は古事記という書物を、正五位勲五等太朝臣安萬侶(おおのあそみやすまろ)
という人が和銅五年正月廿八日に元明女帝に献上してから1300年の節目の年に当たる
というので、本屋さんにはびっくりするほどの古事記関連の書物が並んでいました。

この古事記の序文の冒頭に、宇宙や日本国土が生成されつつある状態を次のように
書いているのです。
古事記・上巻冒頭ページ
左がそのページ。初めの方を要約しておきます。

 …臣やすまろが申し上げます。
宇宙の始まりの時には混沌としていた
天地万物がとうとう凝り固まりますが、
生命のきざしと形はまだはっきりと
現れていませんでした。まだ名の付け
ようもなく働きも判りません。
やがて天と地とが分かれますと、
天の真ん中に天之御中主神が、
続いて高御産巣日神・神産巣日神が現れ、
更に何人かの神が現れ、次第に陰と陽が
別になって、イザナギ・イザナミの2神が
すべてのものの生みの親になりました。…

序文ではこのような書き出しで始まって、やすまろ氏がこの書物を書く事になった
経緯、凡例、及び上・中・下の三巻の内容を目次のような形で書いています。

旧約聖書ではエホヴァ神が一人で6日間で創り上げた事になっているのだが、
古事記ではいろいろな神が次々と現れ、ついには糞尿のようなものからでも
神が出現して、その数八百万(やおよろず)と、古事記の書かれた時代の
日本人の総人口よりも多い数の神様が居ることになってしまいました。
イザナギ・イザナミの二人は大八洲(おおやしま)、つまり、北海道と沖縄を除く
現在の日本国土の殆どと、さまざまな神様を生み出したのでした。
だがまずいことにイザナミが火の神を生んだ時にそれがもとで死んでしまい、
亡き妻を慕って黄泉の国へ行ったイザナギが見たものは腐敗して蛆にまみれた
イザナミの姿であって、ほうほうの体で逃げ帰ります。その時イザナミは、
…美しきわが夫の君よ、私はこれからあなたの國の人を一日千人殺しますわよ。…
というので、イザナギは、
…愛しい私の妻がそう言うのなら、私は一日千五百の産屋を建てて子供を増やすよ。…
ということで、ごく最近までこの二人の取り交わした言葉のとおり日本國の総人口は
増加して120,000,000人以上になったのだったが、最近になってどうやらイザナギが
宣言したようにはいかなくなって、子供が増えなくなってしまったようですね。
海道東征・楽譜の表紙
私は「海道東征」という、北原白秋作詞・信時潔
作曲の音楽のことを書こうと思ってこの項を
進めているのだが、この音楽は、昭和15年
(AD1940年)という年が、神倭伊波礼毘古命
(カムヤマトイハレビコノミコト)
という神様が、大和の国畝傍山の麓の橿原という
所で即位をして「神武天皇」というものになって
から丁度2600年の節目に当たる年だという事で
非常に盛大な祝典が挙げられた年であり、
それを祝して作曲された
音楽なんです。
左が金澤合唱團での練習用楽譜。
私と横山サンが謄写版で印刷した楽譜です。
表紙は元譜の表紙の文字をそのまま真似て
ワタクシが書いたものです。
この音楽は、全部で8つの章で出来ていて、
九州の高千穂という所に住んでいたカム
ヤマトイワレビコが、ヤマトの地を目指して船出をし、瀬戸内海周辺の豪族を従えつつ
東進してついには神武天皇となる、
という物語を歌っているのです。
神武天皇以下10代目ほどまでの天皇というものは後世になって実在が疑われている天皇で
あり、古事記・日本書紀に書いてある神話にすぎないのではありますが、昭和初期は
皇国史観に支えられた軍国主義の時代であり、それから先、日本國はまっしぐらに
太平洋戦争への道を進んでいくことになりました。
皇紀2600年記念式場
左の絵は昭和15年(1940)11月10日に
皇居前広場で行われた「紀元二千六百年
式典」の行われた式殿の絵(川合玉堂画)。
入母屋寄棟式寝殿造で屋根は杉皮葺、
中央に玉座(天皇の座・左)と御座
(皇后の座・右)が置かれています。
ちょっとわかりにくいのですが右が
その様子。
皇紀2600年記念式場・玉座
近衛文麿首相が天皇・皇后の前へ進み出て、
「壽詞 よごと」を申し上げ、天皇は
紀元二千六百年を讃える詞を述べ
られ、祝砲がとどろき、東京音楽学校の
生徒が「紀元二千六百年頌歌」を合唱しました。
皇紀2600年・舞楽

左はこの時両陛下の前で演奏された
宮内省楽所による奉祝舞楽「悠久」の
演奏風景。

祝賀行事はいろいろ
盛大に行われました。
皇紀2600年・提灯行列

明治神宮競技場で国民体育大会が行われたり、
正倉院の御物が帝室博物館(現在の
東京国立博物館)で展示(それまでは
門外不出でした)されたり、提灯行列や
旗行列なども許可されました。



「海道東征」という音楽もこの祝賀行事の一つとして書かれた音楽でした。
その頃の時代背景、といいますか、その3年ほど前から始めた中国との戦争は
次第に収拾がつかなくなって泥沼に入り込みましたし、アメリカやイギリスとの
関係も悪化していて、国際的に孤立していく中で、ドイツ軍はポーランドに
侵入し、イギリス・フランスそしてアメリカも対ドイツ戦に参戦して第2次
世界大戦が始まり、日本は危機の時代に突入していきます。東京では万国
博覧会やオリンピックを企画していたのだが世界中から総スカンを食って
しまって実現は出来ません。日本政府としては國民の団結を強固なものに
するためにも、天皇を中心とした世界に比類のない神國であり、キリスト紀元
より660年も古い神武天皇の即位を皇紀元年と定め、それ以来、天皇家だけが
この國に君臨してきたことで、その天皇家に忠誠をつくすことが國民の義務である、
というような論理で、戦争に行って敵兵を殺し、そうして「天皇陛下萬歳!」
と叫んで死ぬことが男子の本懐であるというふうに(実はワタクシも)小学生の
ころから教育されたのでした。

ところで、ようやく本題の「海道東征」にうつります。全部で8章の構成による
カンタータで、8人の独唱者、混声合唱と児童合唱、2管編成のオーケストラで
演奏されます。
第1章 高千穂  第2章 大和思慕  第3章 御船出  第4章 御船謡
第5章 速吸と菟狭(はやすいとうさ) 第6章 海道回顧  第7章 白肩の津上陸
第8章 天業恢弘(てんぎょうかいこう)
初演は1940年11月26日、東京・日比谷公会堂、指揮・木下保、東京音楽学校
(現東京芸術大学音楽部)合唱団及び管弦楽団、で行われました。指揮をしている
木下保は本来はとても面白いテノール歌手で、万葉集の時代の言葉はその時代の
発音でなくちゃいけない!とばかり古い日本の歌を特徴ある発音で歌っているのが
あります。ワタクシはこの人の歌うのが好きで、歌詞は非常に難しい日本語で、
戦後生まれの若い人にはふりがなを付けても読みにくいだろうし、読んだとしても
意味はハッキリとは判らないだろうから、詳細を書くことはやめておきましょう。
戦後になってからこのような国粋主義的音楽は悪い音楽である、ということで全く
日の目を見ることはなかったのでしたが、金澤合唱團では何故かこの音楽を演奏
したのでした。
歌ってみるととてもいい音楽です。

第一章 高千穂
バリトンのソロで始まります。  
  神坐しき 蒼空と共に高く         (かみましき あおぞらと…)
  み身坐しき 皇祖            (みみましき すめらみおや)
ここからコーラスになります。
    遙かなり我が中空          (はるかなり わがなかぞら)
    窮みなし皇産靈           (きわみなし すめらむすび)
    いざ仰げ世のことごと
    天なるや崇きみ生を          (あめなるや たかきみあれを)

歌詞はこんなようなことを歌うのです。
まだ混沌としていた世界の高みの中(高天原)に
神々、アメノミナカヌシその他の神が現れ、イザナギ・イザナミの作った国の
高千穂峰にアマテラス(天照大神)の孫であるニニギという神様が降りてきて統治をする。
高千穂峰

右はその高千穂峰です。
その子山幸彦(ホオリノミコト)、
その子ウガヤフキアエズと世代は
すすみ、その子のカムヤマト
イワレビコの時代になって、
第二章 大和思慕 
はソプラノとアルトのソロで  
  大和は國のまほろば たたなづく青垣山 …… 
うるわしの大和や
と、大和への思いを歌って、カムヤマトイワレビコと
その兄イツセノミコトは今の宮崎県日向市の美々津港から
船団を組んで出港します。
第三章 御船出  (合唱とアルトのソロで)
  日はのぼる 旗雲の豊の茜に いざ御船いでませや うまし美々津を ……   
第四章 御船謡  (ソリスト全員で)
  御船出ぞ、大御船出。大御船、眞舵繁ぬき、……
  ヤァハレ 青雲のそぎ立つきわみ 白雲の向伏すかぎり ……
  ヤ 遠き國は綱うち掛け、もそろよと國引くと、引き寄すと、……   
バリトンのソロで出港時のカムヤマトイワレビコの姿を歌い、
続いて古代歌謡風の謡の旋律になります。
第五章 速吸と菟狭 速吸は愛媛県と大分県の間の豊予海峡、
菟狭は今の宇佐八幡宮のある大分県宇佐市です。
神武天皇東征記念碑のある場所

右の写真は宇佐八幡宮境内にある神武天皇
東征記念碑のある場所です。
混声合唱と児童合唱で歌われるのですが、
金澤合唱團では児童合唱の部分は女声が
子供の声色でわらべうた風に歌いました。
児童合唱の部分の歌詞の一部です
  亀の甲に揺られて 潮の瀬に揺られて かぶりこうぶり海の子 
棹やらな 附いまいれ
  波かぶりかぶるに み船へと移らせ 名をのれ早や早や ……
この章は古事記の記述に沿った内容となっていて、速吸の海峡で、亀の甲に
のって釣りをしていたウヅヒコを水先案内人にした話や、菟狭に上陸した一行を
土地の者が風変わりな建物、足一騰宮(あしひとつあがりのみや 川の中に大きな
一本柱の建物を建てて、そこで宴席を設けてもてなした)の説話が歌われます。
  足一騰宮の大御饗(おおみあえ)、誰が献る(たがたてまつる)遙か雲居に、 
  足一騰宮は菟狭津彦(うさつひこ)、朝(あした)さもらふ夕(ゆうべ)さもらふ、
 ……
第六章 海道回顧
カムヤマトイワレビコの一行は筑紫の岡田宮に1年、そこから瀬戸内海に入って、
安芸国(広島県)多祁理宮(たけりのみや)に7年、吉備(岡山県)の高島宮に8年、
と過ごしてから浪速(大阪府)へと入りました。
  多祁理とも、阿岐(安芸)の埃(え)の宮、たづたづや、七年(ななとせ)や
 あわれ ……
第七章 白肩の津上陸
所がここには長髄彦(ながすねひこ)が待ち構えていて戦争となり、兄の五瀬
(イツセ)命が矢をうけてそれがもとで死んでしまいます。これは日の神(アマテラス)
の子である自分が東の方(日の方向)に向かって戦ったのが原因である、として、
回り道をして熊野から大和へ入ることにしました。
第八章 天業恢弘
最後の章です。カムヤマトイワレビコはアマテラスなど高天原の神々から
道案内として八咫烏(ヤタガラス)を送ってもらいました。
八咫烏

熊野の熊野本宮大社・熊野那智大社・
熊野速玉大社の熊野三山はこの
三本足のカラスを旗印としていて、
神社の入口などで見受けることが
出来ますが、そのほかにも日本
サッカー協会のシンボルマー
クとして八咫烏を使っているようです。
カムヤマトイワレビコはこのカラスの先導で無事大和にたどり着き、橿原で即位をして
「神武天皇」を名乗り、ここから萬世一系の天皇家がスタートする、ということに
なりました。
  遙かなりその国柄、動ぎなし底つ磐根(ゆるぎなし そこついわね)
  いざ起たせ天皇(いざたたせすめらみこと) 神倭磐余彦命。

戦争が済んでからまださほど経たない頃に金澤合唱團でこのような歌を歌ったのは若干の
驚きではありますが、ショスタコヴィッチというソ連邦の作曲家が、スターリンから
西欧資本主義にかぶれた作曲家である、と叱られて、「森の歌」という大曲を作ったのも
金澤合唱團では演奏しましたし、フォーレのレクイエムという名曲も、ヨハン・
シュトラウスのワルツでも黒人霊歌でもブラームスの合唱曲でも堀口大学詩の「月光と
ピエロ」でも、つまりは美しい音楽であれば何でもステージにのせたのでしたし、
選曲は指揮者であり西福寺の住職であったゴンゲンサン一人で全部やってのけていたのでした。

ワタクシはこの音楽のCDを持っていて、時にはこれに合わせて声を出して楽しんでおります。
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