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2013.02.28 (Thu)

街道周遊 010 姫街道その1

天龍川を渡った所で一度濱松宿へ戻って、周辺の道を歩きます。
いま姫街道と通称で呼ばれている道は、江戸時代は「本坂通 ほんざかどおり」と呼ばれる東海道の脇往還でした。そして(はっきりしたことは判りませんが)奈良時代・平安時代の頃は本坂通の方が官道であったようです。
姫街道ルート図













簡単な地図でその様子を見ましょう。
下のオレンジ色の道が東海道で、上のピンク色の道が本坂通です。
西の方、京都の方から来ると、愛知県の御油宿の所が東海道と本坂通の追分(分岐点)となっていて、東海道は吉田宿(今の豊橋市)から新居の関所を通って浜名湖を渡って濱松宿へ入り、天龍川を渡って見付宿へ出ます。
本坂通の方は、愛知県と静岡県の県境の山脈の所で本坂峠を越えて浜名湖の北を通り、そこで気賀の関所を通ってから天龍川を渡り、見付宿へと入ります。

東海道の方は舟渡しがあり、本坂通の方は峠越えがあり、どちらも一長一短がありました。所が宝永四年(1707)に東海大地震があり、押し寄せた大津波のために新居宿や白須賀宿は壊滅的な被害を受け、今切口(浜名湖が太平洋に接する所)の地形も変化して渡船の危険性も増したので、大名行列なども本坂通を通るのでたいそう混雑し、東海道の方は旅行客が激減したために東海道の宿場役人は大名行列など大口の通行は本坂通の通行を禁止するように幕府に嘆願を出したりしたこともあったと言うことです。

姫街道という言い方は、万延元年(1860)に刊行された『東海道五十三次勝景』の中に、「濱松順路並姫街道木賀(今の表記では気賀)遠望」という題名の版画があるので、幕末の頃にはほぼ定着していたようです。
姫君様行列圖 歌川国貞
左の絵は歌川国貞の「姫君様行列之圖」
というものですが、お姫様が通行するのはなかなか大変なことのようですね。

こういう行列だと、舟渡しはやはり女性の通行では嫌われるでしょうし、「今切  いまぎれ」という地名は、婚礼のための通行に際しては縁が切れるというような連想のためにやはり嫌われるということで、女性の通行は本坂通=姫街道が好まれたらしい、という説があるのです。

本坂通もなかなか面白い道路で、ここを通ることで、秋葉山、奥山半僧坊、鳳来寺山、といった寺社詣でのためにはどうしてもこの道を通らなくちゃならないので、そのための道標、常夜燈、といったものがかなり整備されていて、それが今でもかなり残されているので、そういうものを見つけたりする楽しみもある道です。
ワタクシも少しばかりそういうものを見つけるための「お散歩」をしたのでご案内いたしましょう。

濱松宿の中心部から東海道を東に向かって進み、馬込川、芳川、安間川を渡ります。
No.008 天龍川の所で書いたように、安間川を渡ったすぐの所に本坂道の分岐点があります。もう一度そこの所の写真を載せておきます。
本坂道分岐点
この道を真っ直ぐ行くのが本坂道です。
そして左に立っている進入禁止の道路標識の下の所に昔は「鳳来寺道」の道標が立っていたのでした。

鳳来寺道道標・安間
鳳来寺道道標・安間起点
左の石標は、「鳳來寺」とかすかに読み取れますが、本当は「従是鳳來寺」と書かれていた筈で、上部の従是の部分が欠落しているのです。この付近の道路拡幅か何かの工事の際に本来あるべき分岐点の場所からはずされて、その位置から150mほど西の方にある天龍公民館の敷地の中に移設されています。それが一番左の写真。立札には 「鳳来寺道 道標 この道標は、旧東海道と姫街道の分岐点にあった道標です。姫街道は、旧東海道から分かれ、県道中野子安線を横切り、北上する道路です。三河の鳳來寺薬師堂へも詣でられるコースでした」と説明してあります。
鳳來寺は、鳳来寺山695mの中腹にあるお寺で、昔はたしか新城の近くの門谷という村から1425段の石段を登った上にあるお寺で、私が遠州に住むようになってから2度ばかり歩いて登ったことがあり、その後鳳来寺山パークウエイという有料の自動車道路が出来て、車の免許を取ってからも車で2度ばかり行ったことがあります。この山には、「コノハヅク 」という鳥が住んでいて、「ブッポウソウ」と鳴くので、もうかなり昔のことになりますがNHKでこの鳴き声を録音して放送したことがありました。「ブッポウソウ」という名前の鳥もいるのだが、その鳥はブッポウソウとは鳴かないので、姿のブッポウソウと声のブッポウソウと、2種類のブッポウソウがいるのです。
本坂道分岐点の西には江戸から64番目の一里塚がありました。東海道宿村大概帳にはこの一里塚を「安間新田地内 壱里塚 左右之塚共木立榎」と紹介してあり、道路両側に一里塚があって、榎が植えられていたと書いてあります。

余談はそれくらいにして、先ほどの本坂道分岐点を進みます。するとすぐ右のような全く現代的な道路群が現れるのです。
姫街道安間交差点

下の道は昔からの国道1号線ですが、そのバイパスとして出来た道や、東名高速道路への取り付き道などが高い所を縦横に通っております。大きなトラックがバンバンに通る道です。自動車優先で歩行者用の信号はなかなか開きません。

信号が開いて、歩く人間は本坂道を進みます。道標・笠井気賀
するとすぐ、とある民家の庭先の植え込みの隅に道標が見えました。
苔むしていて磨り減っていて殆ど読み取れません。浜松市役所編纂の「姫街道を歩く」という冊子にはこの道標を説明してあって、「右笠井 秋葉山 左市野 気賀 金指」「嘉永元申年(1848)三月」と彫ってあるそうです。建立した九名の名前も刻まれているそうです。(冊子は図書館で借りてきました。)
だがもともとあった場所から移設されたのだろう、一本道なので右も左もありません。そのまま真っ直ぐに進みます。
しばらく行くと左手に立派な秋葉燈籠が見えてきました。
長泉庵・秋葉燈籠
広い空き地の奧に長泉庵というお堂(正面に見える建物)があり、ここには馬頭觀音が祀られているのだそうですが無人のお堂で確かめようもありません。このお堂は新しく建てたもののようです。馬頭觀音像はワタクシの大好きな像ですからもし見ることが出来ればここに写真を載せたい所です。
燈籠には「秋葉常夜燈 大正十二年一月」と彫ってありました。ずいぶん新しい秋葉燈籠です。左側に二本の石柱(幟立)が立っていますがこっちの方は「明治五年」の銘があるので、もともとあった燈籠は少なくとも明治五年かそれ以前に建てられたものがあって、それが破損したか何かで新しく作り直したものだろうと思います。

こんな道を歩いていてよく思うことですが、遠くの方に森が見えるとその下には神社仏閣があって、それを目当てにして行くと案外迷うことなく古い街道を間違いなく行くことが出来るものです。

下石田八幡宮
右は下石田八幡宮ですが、手前、火の用心看板の向こうも秋葉燈籠です。
秋葉路の燈籠はこのように建物(鞘堂といいます)の中に収まっているものが多いのです。
この八幡宮の場所を地図で確かめると、この項冒頭の地図にあるように、江戸方面から来た街道は見付宿の所で東海道(茶色の線)と姫街道(ピンク色の線)の二手に分かれ、天龍川を渡ってからまた二手に分かれるようになっておりますが、見付宿から池田を通る方の道、前に書いた「天龍川を渡る」の、行興寺、熊野の長藤、そして天龍川の渡船場の碑の所で舟に乗ってそのまま真っ直ぐに来るとこの八幡宮に出ますし、今来たように安間の分岐点から北上するとこの八幡宮の所に出るのです。
この八幡宮の裏手の方にこの神社に関する由緒のようなことを書いた石柱と、道標が一本、置いてあるのを発見しました。
道標・半僧坊池田道
それには、「右 奥山半僧坊 気賀金指道 ・ 左 池田橋新道 見付中林近道」と書いてあります。浜松市編纂の「姫街道を歩く」の冊子にはこの道標が発見できなかったように書いてありますが、神社の裏手の隅っこに写真のようになっているのですから発見するのは難しかったのでしょうか。
 


ここから本坂道=姫街道は、池田道と安間からの道と、二つ一緒になって、市野の宿場へ入ります。



市野・熊谷館
右は市野宿に残っている料理旅館のようです。
熊谷館と看板が掛かっていますけれどもいまは営業をやっているとは思えない感じでした。


市野宿は全体が大きな枡形のようになって、つまり直角に折れ曲がったり、コの字のように見通しが出来ないような形になっていたりする町並です。城下町や古い街道筋によくある道路の形です。
市野宿付近地図

左上の丸印のあたりが市野宿で、右下からの黄色の道が安間分岐点からの本坂道。
右ちょっと上の赤丸印は現在の浜松市東区役所のある場所ですが、その上の黄色の道が池田道となります。そして両方一緒になるあたりの赤星印が下石田八幡宮や法傳寺の場所となります。









市野・熊野神社

右上の写真は市野宿を出たところの熊野神社。
左下は熊野神社にある秋葉燈籠。
市野神社・秋葉燈籠
こちらの方には「奉納 正一位秋葉神社」と大書した幟が二本も立っていました。

ここから先の本坂道はずっと西に向かって進み、浜松市中心部を通る一番新しい本坂道=姫街道と三方原追分で合流するのですが、それは次回に回すことにして、ここで一旦お休みいたします。
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