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2013.03.15 (Fri)

街道周遊 012 姫街道その3

江戸時代の五枚橋は残っていないのでコンクリートで出来た橋を渡り、旧道を捜して見ます。宇藤坂手前の石段

突き当たりに石段があってその向こうがガードレール付の道になっています。
つまり旧道は橋を渡って真っ直ぐに細い道でここまで来ているのだが、現代になると今まで単に細い道だけだった所にも家を建てたりトラックを動かしたりしなくちゃならないし、街道筋には大型のトラックもいっぱい通さなくちゃならないので緩い坂にコンクリートやガードレールで固めた道路を作るので、このような風景になるのでしょう。

宇藤坂先ほどの石段を上った上にはちゃんと左の写真のような道、宇藤坂というのが続いております。
手前の道は現代の自動車のための道。S字状に大きく屈曲していますが、旧道は人間が歩くための道。
五枚橋から登ってきてこの宇藤坂の先にある道標、それは姫街道に残る道標の中では一番古いものですが、そこまでの約700mは町の中に残る姫街道の中でも昔を偲ばせる街道です。


宇藤坂を登り切ったあたりに秋葉燈籠が見えました。
宇藤坂にある秋葉燈籠
宇藤坂・欠下秋葉常夜燈秋葉燈籠・正一位秋葉神社守護

鞘堂の中にはやはり灯明台があるのですが、中を覗き込むと、「正一位秋葉神社守護」と書いたお札も貼り付けてあります。欠下(がけした)の秋葉常夜燈です。
先へ進みましょう。
最古の道標・位置
手前の道右脇にちょっと大きな石が見えます。
姫街道最古の道標

これが浜松市域の姫街道沿いに残る道標の中では最古のものです。天保三年(1832)の建立です。
宇藤坂を登ってきた旧道はここで先ほどの広い道に合流し、右へ進んで三方原台地の上へと登りつめます。

なかなか立派な石で、道標にしておくのはもったいないくらい。京都醍醐寺三宝院庭園の中心石、「藤戸石」というのにちょっとだけ形が似ています(色も少し違います)。
書いてあるのは、「右 きが かなさし 左 庄内道」。
右へ行くと追分一里塚を過ぎてそこで気賀の関所・本坂峠・三河国御油宿へ至る道と、金指から奥山半僧坊へ至る道との追分があります。
左へ行けば浜名湖東岸経由で東海道舞坂宿へと行けます。

姫街道・旧道から新道へ

道標の所から広い道に合流して、今来た旧道を振り返りました。
旧道は、横断歩道を渡った先の左側真っ直ぐ先なのだが、車で走っているとこの旧道への入口がなかなか判らなくてつい通り過ぎてしまいそうです。見事な道標もこれではどこにあるのか判りません。

これが追分一里塚。江戸から数えて66番目です。三方原一里塚

昔は道路の両側に塚が築かれていたのだが、これも道路の拡幅のためだろうか、北側の塚は完全に消失してしまって、南側にこれ一つが残っている状態です。そして本来の塚はもっと大きいものだったのだろうがようやくこれだけのサイズで一里塚が保存されていました。


もう少し進めば三方原追分、左の写真。三方原追分
追分・里程石と道標ちょっとわかりにくい写真なのだが、中央の柱には「左 気賀 ・ 右 金指」という車用の道路標識があって、今来た道は右下から、そして浜松から来た姫街道は左下からです。
そして中央の柱の下(の三角地帯・右の写真)に半僧坊里程石と道標が立っていて、手前の石には「右みやこだ 中かなさし 左きが」と彫った慶応四年の道標。後ろの白くて高いのは正面に「奥山半僧坊大権現へ三里廿九丁」右側面に「都田瀧沢道」とあります。
いずれも元の位置からは移動しているようです。



これで一旦姫街道の項はお終いにして、次に気賀関所や半僧坊、秋葉山のことなどのことを書くことにしましょう
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