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2013.05.19 (Sun)

ヨリックのレコード散歩 003 世のむなしさとうつろいやすさについてのオクトネール

ル・ジュヌが生きた16世紀後半のフランスでは宗教戦争、ユグノー戦争と言われるものですが、そういうのが起こっていました。実はフランスばかりではなくて、ヨーロッパ中を巻き込んだ宗教戦争がこの時期に各地で発生していたのでした。
マルチン・ルターによるローマ教皇庁に対する批判、抗議(protest)は、カトリックに対する批判、抗議するものとしてプロテスタントという宗派となり、両派の抗争が各地で内戦の状況となったのでした。
フランス国内にルター思想が入ってきたのは、1520年代、フランソワ1世の治世時代(1515~1559)ですが、フランソワ1世は北イタリアあたりで戦争をしていたので、はじめはローマ教皇に反対する勢力に対しては放置する政策をとっていたようですが、のちに弾圧に転じます。その後を継いだアンリ2世(治世1547~1559)の時代になると、ユグノー(huguenot フランスではカトリック側がプロテスタントをこう呼んでいました)の勢力が次第に強くなってきます。アンリ2世がふとした弾みで(実は騎馬試合で相手の槍が目を貫き、それがもとで)死んでしまったのです。その後の政治的空白で、貴族の間で対立が生じました。カトリックであるギーズ家とプロテスタントのブルボン家です。
礼拝をしていたプロテスタントの人をギーズ家の側の人が襲うという事件(ヴァシーの虐殺)が発生し、これがユグノー戦争のきっかけとなったのでした。
それから約40年もの間、フランス各地で内戦が始まったのです。

ル・ジュヌが音楽を作っていた時期は、まさにこのような内戦のただ中であり、ル・ジュヌはプロテスタントだったのでした。
世のむなしさとうつろいやすさについてのオクトネール左は、『 Octnaires de la Vanite et Inconstance du Monde  世のむなしさとうつろいやすさについてのオクトネール』

オクトネールというのは八行詩集です。
八行詩というのはあまりなじみのない形式ですね。外国の詩の形式といってまず思い出すのは、ソネット(14行詩)です。

イタリアではペトラルカ、
フランスではロンサール
イギリスではシェークスピアがそれの代表格でしょうか。
音楽では超有名なヴィヴァルディの『四季』も春夏秋冬それぞれの曲にソネットをつけていて、それを朗読してから曲を演奏する、というのが本来の姿でしょう。


まず、八行詩の一つを全文書いてみましょう。全36曲中の6番目、第2旋法の3曲目、
  この世の美は消え失せるなり    というのを。

Le beau du monde s'eface この世の美は消え失せるなり
Soudain comme un vent qui passe, 突然、吹き抜ける風の如く
Soudain comme on voit la fleur 突然、ういういしい色を欠く
Sans sa premiere couleur, 花を見るが如く。
Soudain comme une onde fuit 突然、波がそれにつづきたる
Devant l'utre qui la suit. 波の前にて消えるが如く
Qu'est-ce donques que du monde? 果たしてこの世とはいかなりしか?
Un vent, une fleur, une onde. 風なり、花なり、波なり。

脚韻は、AABBCCDDときれいになっています。色々ありますが、ABABCDCDというのや、AABBCDCDなど数種類の範囲に収まっているようですね。ワタクシはフランス語も詩の形式のことも全く無知なのでこれで止めておきます。

ただ、ル・ジュヌが音楽を作っていた頃の世相というのはおそらく殺伐としたものであったろうと思うのです。ユグノー戦争は、単にフランスの貴族、ギーズ家とブルボン家の争いであったばかりではなく、カトリックであるスペイン王フェリペ二世と、プロテスタント(に近い立場)であるイングランド女王エリザベス一世との代理戦争の様相をおびてきていたし、強大な隣国ハプスブルク家が黙って見ているはずもなく、隙あらば領土の拡張、利権の強化、制海権の確保、といった私利私欲に駆られた王族・貴族が入り乱れての、敢えて私闘といいましょう、そういう戦争がヨーロッパで頻発していたのでした。

同じ町に暮らしていた人々が、いつの間にか抗争に巻き込まれ、血で血を洗う殺戮を繰り返すのが現実の「この世」になりました。

そんな時、ル・ジュヌとしては、甘い恋の歌ばかりを書いているわけにはいきません。
プロテスタントとしての生き方と、音楽家としての自分とをしっかり見つめて、さて自分のなすべきことは、と改めて考えてみたのかも知れません。
ル・ジュヌの肖像

右はクロード・ル・ジュヌの肖像。

ルネサンスの時代のフランス語、などという事は無学なワタクシに書けるわけはありませんのでそれは専門書に譲るとして、
ル・ジュヌの時代に至る16世はじめの頃のフランスは、イタリアで花開いたルネサンスの文化を取り入れる事に夢中だったようです。
フランソワ1世がアルプス越えをして北部イタリア・マリニャーノの戦いで勝ち(1515年)、ジャヌカンがシャンソン「マリニャンの戦い」を作ってその勝利を讃えました。この戦争でミラノ公国に勝利をしたので、その和平会談をローマ教皇レオ10世列席のもとで行ったのでしたが、その席にはレオナルド・ダ・ヴィンチも列席していたようで、レオナルドの才能に驚嘆したフランソワ1世は、乞うてフランスに来て貰いました(1516年)。レオナルドは「モナリザ」の絵を携えて、ロアール河畔にある名城の一つで、その頃フランソワ1世が住んでいたアンボアーズ城近くのクルーの館に住み、そこで死にました(1519年)。一説によるとレオナルドはフランソワ1世の腕の中で死んだと伝えられています。フランソワ1世はのちに「かってこの世界にレオナルドほど優れた人物がいたであろうか。絵画・彫刻・建築、さらには哲学者として。」と讃えています。
文芸の方では詩人でフランソワ1世のお気に入りであるクレマン・マロや、「ガルガンチュア」のフランソア・ラブレー、プレイヤード派の盟主で「恋愛詩集」のピエール・ド・ロンサール、少し遅れて「エセー(日本では随想録と訳されている)」を書いたミシェル・ド・モンテーニュや、「箴言・Maximes」の作者、ラ・ロシュフーコー公爵といった人たちと、それに前にも書いた「詩と音楽のアカデミー」のジャン=アントワーヌ・バイーフらがフランス語を美しいものにしました。
音楽の方は、これからもいろんな音楽を紹介しなくちゃならないので一旦お終いにしておきます。

つまりフランスの16世紀という年代は、ルネサンスが花開いた年代ではありますが、その一方でユグノー戦争という嵐も吹き荒れていたのでした。
そこで、ル・ジュヌの『世のむなしさとうつろいやすさについて』という音楽も作られるのです。
曲は、第1旋法~第12旋法 という、いまの私たちには耳慣れない、「旋法」という音組織の上に作られている、ということで、それぞれ3曲ずつありますので、12×3=36曲あります。それぞれの曲の頭の部分を書いておきました。全部読む必要もありませんが、斜め読みでもして全体の感じをくみ取って下さい。訳は美山良夫。全体の三分の一程度の量ほどを書いておきました。

Ⅰ-1 ひと、習慣となりし歩みを止めしとき、天の偉大なる使者、光をもたらさん
Ⅰ-2 まなこを高きにあげ、天の歩みの止まりたるを見て驚かざる者
Ⅰ-3 むしろかくの如く為されよう、 光にあふれた昼はもはや持たぬであろう
Ⅱ-1 火、空、水、地は常に変わり、互いの要素に移りゆく、永遠なるものが……
Ⅱ-2 かくも強く、荒々しく手に負えぬもの有りや?
Ⅱ-3 この世の美は消え失せるなり、突然、吹き抜ける風の如く、
Ⅲ-1 すばやく大きな翼を持つ空の鷲の如く、風にあおられし海の小舟の如く
Ⅲ-2 水は速く流れゆく、矢が飛ぶのはさらに速く、裸女をさらう風はなお速く吹き抜け、
Ⅲ-3 汝、川よせせらぎよ、汝、水清き泉よ、すべるような歩みをすすめよ、
Ⅳ-1 あまりの欲深きは大いなる惡、馬鹿げた野心は大いなる惡、
Ⅳ-2 なかば死にたる魂の、心貧しき恋する人よ、嗚咽をもたらせし風に向かいて…
Ⅳ-3 これはこの世の樹なり、その根は深くのび、地獄にまで届きたり、
Ⅴ-1 我が魂よ、大地の息子なるこの人間の、偉大なる価値は何処なりや?
Ⅴ-2 太陽の子たる昼、我らを目覚めさす、山は色どられたり、黄金色の光に、
Ⅴ-3 傲慢な情けを知らぬ者も、厳しき嵐に襲われりと感じたり。恐ろしき雷は大樹に落つ。
Ⅵ-1 天の暗き面(おもて)が我らが目の前にて昼を覆し時、記憶を我思いおこせり。
Ⅵ-2 滅びるべきこの世に生き死んでゆく人々よ、哀れなるは汝が生なり。汝が死なり。
Ⅵ-3 汝、忘却せしか。自らのありのままの少年期を?笑い歌い飛ばす若気の過ちを、
Ⅶ-1 我がそこに見し、様々なる種の多くの頭、多くの耳、多くの目を持つ奇怪な者は、
Ⅶ-2 止まれ、待たれよ、この世の者よ、聞け、耳を傾けよ、
Ⅶ-3 むしろ天の眼差しは、規則だたぬ動きならん、また放浪の者は波の如きならん、
Ⅷ-1 野心に富める者は高き甘美を望むを常とし、誉れに誉れを重ねんとす。
Ⅷ-2 我また欲も野心も持てしが、まあお聞き下され、大いなる未練と悲嘆をば、
Ⅷ-3 貧しき者は働き悩む、倦むことを知らず。名誉、或いは僅かの金を貯めんがために。
Ⅸ-1 春の大地が緑に覆われし時、草木が再び花をまといし時、
Ⅸ-2 その炎を再び燃えたたせし夏、耕作人は喜びにあふれ、彼の辛苦も報われん。
Ⅸ-3 氷は耀き美(うる)わし。この世も耀き美し。氷から人、水中に落つ、
Ⅹ-1 葉が枯れて落つる時、秋はその黄ばんだ醜態を以て、名誉をばそこなわん。
Ⅹ-2 霜と寒さに、うずくまらせ髪をさかだてられ、しかめ面を強いられる冬を汝知るか?
Ⅹ-3 この世に安息を持つことが出来ると考える者、また希望をこの土台に置こうとする者、
ⅩⅠ-1 この世の者、その虚しき説による希望を以て身を養うを常とす、
ⅩⅠ-2 我が見しこの非常なる美しさは何ぞ、その髪、その声、その眼、その魅惑、…
ⅩⅠ-3 それは狂気であり虚しき事、この世に心がとどめられているのは。
ⅩⅡ-1 野心、悦楽、欲。人が仕えしは、この三人の婦人。人は名誉・快楽・富を得んと、
ⅩⅡ-2 金銀細工屋は我を真に球状のものに彫り込めど、それは風のようなものに満ち、
ⅩⅡ-3 この世は一つの巡礼なり。…… われを俗世の道からひき上げさせたまへ。

一応、全部の旋法を書いておきます。旋法といって私たちがまず思い出すのは、ドリア旋法とか、ミクソリディア旋法などといったギリシャ旋法に倣った教会旋法ですが、それとは違った様式です。

旋法の配列   終止音   旋法
第1旋法     ハ ハ音上の正格旋法
第2旋法     ハ   ハ音上の変格旋法
第3旋法     ニ   ニ音上の正格旋法
第4旋法     ニ   ニ音上の変格旋法
第5旋法     ホ   ホ音上の正格旋法
第6旋法     ホ   ホ音上の変格旋法
第7旋法     ヘ   へ音上の正格旋法
第8旋法     ヘ   ヘ音上の変格旋法
第9旋法     ト    ト音上の正格旋法
第10旋法     ト    ト音上の変格旋法
第11旋法     イ   イ音上の正格旋法
第12旋法     イ   イ音上の変格旋法

文字ばかり書いていると画面が暗くなりますので、きれいなお菓子の絵でも入れて明るい画面にしてこの項を終わります。
川の流れ

   右が越野の「花の流れ」

   左が皓陽堂の「加賀志きし」

   金澤のお菓子です。美味しそうですね。
加賀志きし

  このレコードの演奏者を書くのを忘れていました。
  ジャック・フーイ声楽アンサンブル 
No.001の『春』全曲版と同じ演奏団体です。
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