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2014.02.28 (Fri)

泉光院の足跡 007 鶴丸城

鹿屋から垂水まで船便がありました。 …海上三里… …伊兵衛と云ふ宅也。…
で翌日、

十九日 晴天。朝早々正翁院と云ふ修験寺へ尋ね行く、問屋より案内を取り正翁院宅着、正壽院と云ふ山伏も知音なれば見ゆる、晝時より手貫明神と云當所鎭守祭禮あり詣づ、正翁院同道、神輿御旅あり、御歸輿の上やぶさ馬(流鏑馬)あり、相濟み、歸路心翁寺と云ふに詣づ。當寺は即ち高祖大安公の御寺也。因て心翁寺と云ふ。惣位牌、予が先祖野田中納言とあり、不思議に拝す、外に當主御靈屋美々し、夕方夕方正翁院へ歸る。肥後權右衛門と云ふ老翁噺に見へたり、野田家系圖のこと能く存じあり、其野田家と云ふは大安公奥方高月院殿の御母公の家也、佐多家より御入り、因て中納言戦死の後、佐多上野介忠成殿次男庄右衛門と云ふを中納言の養子になされたり、御母公の爲には庄右衛門は甥也、野田中納言は高月院殿御母公寶嚴院殿妙珍大姉の家筋を御建て成されし家也、因て出水の内野田の庄を給ふと有り。右の噺し共せられ及深更。

ちょっと長くなりましたが、野田泉光院が野田の姓である歴史の一端がここで明らかになります。

九代前の先祖である野田中納言が、主君である島津忠將の肝付兼續討伐作戦に従軍して戦死した。中納言はその時まだ16歳で結婚しておらず跡継ぎがいなかったので、家系の絶えるのを惜しんだ忠將の奥方である寶嚴院殿(ほうごんいんでん)が、自分の甥である佐多庄右衛門の名を野田重清と改めて野田家を継がせ、戦死者の菩提を弔うために山伏の修行をさせ、安宮寺を建てて初代住職としたというのです。その時に出水の一部である野田庄を領地として頂いたのです。i出水の鶴
(出水(いずみ)は鶴の飛んでくる出水市で、野田庄はその少し南にある野田町です。出水の鶴は元禄時代から飛んで来ているそうです。)
薩摩島津家(本家)から分かれて佐土原島津家初代の藩祖となった島津以久は、忠將と寶嚴院殿の間に生まれた子であるから、野田家は本来は武士として佐土原島津家に仕えるべき所を、君命によって山伏となったのであるし、主君との血縁もあるのだから、武家としての待遇を受けながら、佐土原(という國)の安泰と、主君の武運を祈る修験者となり、ずっと続いて今の野田泉光院に至っているという家系が明らかになったのでした。
ですから江戸時代の佐土原の地図を見ると、安宮寺は城下の武家地のほぼ中心にあって、普通の武家屋敷の十軒分に相当するほどの広い面積を占めています。現在の地図で推測すると1800坪くらいになるそうです。

二十日 晴天。滯在。飫肥新九郎と云ふ郷士早朝噺に見へたり。予が先祖福泉院と云ふは當所にて天流の鑓(槍)家、無三と云ふの高弟にて在りし由也。其家筋今にありやと尋ね候處、伊知地定右衛門とて今に天流鑓の師範なりと云ふ。久しきこと乍ら于今存在珍重すべきこと也。巳の刻より大光院と云ふ山伏見舞に來れり、即時同道にて鹿兒島明神の祭禮に付詣づ、此の鹿兒島明神と云ふは上古天智天皇開聞岳へ御下向の時随身の公家の由也。事永ければ略す。社地海邊にて絶景の地也、神輿御旅昨日の通り、駿馬乘り人は士イ狩場の本装束也。歸途正壽院宅へ休息す、夫より大光院宅へ行き種々饗應あり、夕方大雨となり大光院宅へ宿す。
鹿児島神宮・初午祭
鹿児島神宮
飫肥新九郎という人も訪ねてきて、野田家の先祖は天流という槍の使い手だったと言うような話をします。

大光院という山伏も来て、一緒に鹿兒島明神の祭禮へ行きました。
右の写真は実は垂水の鹿兒島神社ではなくてもう少し北の隼人町にある鹿兒島神宮とその祭禮の模様です。
写真の鹿兒島神宮は大隅國一宮で、古くから格式の高い神社です。泉光院がお詣りした垂水市の鹿兒島明神はその下社に当たる神社なので写真は見当たらないのですが、祭神も同じヒコホホデミミコトなので代表として載せておきました。右の写真は初午祭といって、450年の歴史を誇る伝統行事。家畜の安全・多産を祈るとともに、豊作や家内安全を祈るお祭りです。綺麗に飾った馬が数十頭、三味線や太鼓に合わせて踊るのです。鈴かけ馬踊りというのです。

廿一日 雨天。早々正翁院方へ歸る。今日雨天なれども垂水主御用の飛船鹿兒島へ渡る由、右に付便船貰ひ鹿兒島へ渡る筈に成れり、因て諸宅より餞別贈らる、鹿兒島暮れ時着佐土原假屋へ入り、即時假屋番丸田氏へ届け申す。主人孫一殿と云ふ、折節留守なれど假屋へ滯留す。

垂水の佐土原問屋から鹿兒島の佐土原假屋(佐土原藩鹿児島出張所のようなものでしょうか)へのメール船が出るので、雨天だけれどもそれに乗りました。出張所長である丸田孫一殿は不在だったけれども宿泊しました。
今は垂水フェリーというのが垂水と鹿児島の間をつないでいます。私たちもそれに乗りましょう。35分で鹿児島に着きます。

廿二日 雨天。假屋滯在。夕刻より修權法頭般若院方へ見舞す、院主連長院と云ふ、折節不例に付寝所へ通る、此度思ひ立ち九峰修行の事申し入る、法建立の事感心あり。十ヶ年も過ぐること老少不定の世の中也、右に付御暇乞に參上仕りたりと申入れ候へば、院主涙を流し、修験道に志しの厚き事今に始めず、日本廣しと雖も六十歳に近き身を以て捨身求道の行、又とあるまじと御勇み悦び有り、同家士伊東傳右衛門殿と云ふが來り合せ、院内皆々同席種々饗應あり、當所より出水御番所へ出る迄の諸外城、山伏名前並に參詣所書付貰ふ、夜に入り假屋へ歸り休息す。
廿三日 晴天。朝般若院より爲見舞(見舞のため)煎茶其外菓子香の物種々贈り被下。合力平四郎當所始めてなれば爲見物召連れ廻る。築島より始め、八幡宮、花倉、濱の御殿、愛宕山、諏訪明神、稲荷、大乘院、當寺折節灌頂あり拝す、福昌寺、淨光明寺、夫より冷水と云ふ方へ行き御屋形並びに南泉院、醫薬院、明師館、南林寺、折から御忌日、御靈屋内陣へ參る。夫より辨天、大清院と云ふ修験寺へ見舞ふ、父子在院種々饗應あり、夜に入り假屋へ歸る。

薩摩國の山伏のトップは連長院という人でした。たぶん老齢なのでしょう、伏せっておられるので寝所へ行き、…この度思い立って日本九峰修行の旅に出るのでお暇乞いに参じた…旨の挨拶をしたので、院主は涙を流し、日本広しといえども60歳に近い身でありながら、日本九峰回國修行という修験道の修行としては最高の大事業に出る事に感動しておられたのでした。

翌日、合力の平四郎は鹿児島が初めてだというので観光案内です。
荒田八幡宮・クスノキ
23日の項に書いたように一日で随分たくさん歩きました。右は荒田八幡宮(文中では単に八幡宮としている)の大クスノキとその向こうに拝殿が見えています。この神社は古来マムシよけの神とか安産の神様だったのですが現在は交通安全も扱っています。

濱の御殿は島津家の別邸で、磯庭園、仙巌園とも言って、正面に桜島を借景とし、錦江湾を池と見立てた豪快な庭園です。(下の写真)
磯庭園
江戸時代初期、藩主島津久光が別邸として作って、その後代々の殿様が埋め立てたり拡張したりして、現在のような池泉回遊式の立派な大名庭園になりました。邸内に奇岩が多く、中国の龍虎山の仙巌に似ているというので仙巌園と言うようになったのです。昔は庭園の前に砂浜が広がっていたのだが、近代になってそこに国道が通り、日豊本線が走るようになってからは石塀と生垣で仕切られることになり、更に昭和56年に日豊本線が電化されて電柱や電線がこの風景を台無しにしてしまった。

愛宕山というのは多賀山公園と名前が変わっているが、磯庭園の少し南の方で、諏訪明神はいまは南方神社と名前を変えていて、、稲荷神社もほぼ同じような場所にあります。
鶴丸城
左は泉光院が御屋形と書いている鹿児島城跡です。鹿児島城は近世の平城が立派な天守閣を築いたのとは違って、屋形、つまり普通の居館風の建物でした。
橋の左手に「鶴丸城跡」と石柱が立っていますが、これは御城の裏手の山を鶴丸山と呼び、御城の名前もここからとったのでした。いまは少しばかりの石垣と堀を残すだけです。

大乘院は廃寺にされてしまいましたが、大きなお寺だったようで地図には大乗院跡というような記号や大乘院橋という地名として今に残っているようです。南林寺も廃寺になって、戦国大名であった島津貴久の廟があったので今はそれを松原神社と改称しています。玉龍山福昌寺も廃寺になったのだが、他の多くのお寺が瓦葺きだったのに
このお寺は茅葺き屋根で風格があったのだと伝えています。跡地には市立玉竜高校というのが建っています・淨光明寺には西南戦争の時の西郷隆盛以下の戦死者の墓がありますが、泉光院はそんな事は知りませんね。
ザビエル教会
鶴丸城の少し南にザビエル教会があります。天文十八年(1549)八月十五日、ザビエルが鹿兒島に上陸しました。島津貴久はキリスト教布教の許可を与えました。これが日本におけるキリスト教布教の最初です。たちまち数百人の信者が出来ました。右の写真の手前のアーチは明治四十四年(1911)に石造りの教会が建設された時のものです。その建物は昭和20年の大空襲で殆ど失われ、ここに写っているほんの僅かの石の壁が残りました。1949年(昭和24年)、ザビエル上陸400年祭が行われて、奥に見える新教会堂が建設されました。

大急ぎで鹿児島名所を見物しました。
最後にあげたザビエル教会には当然のことながら泉光院は行かなかったでしょう。鹿児島市の繁華街には天文館通りのいうのもありますが、これもずっと後に出来たものだろうと思います。

泉光院は親切に合力平四郎を案内したようです。
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