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2015.04.29 (Wed)

泉光院の足跡 060 鳥取

三徳山三佛寺へ詣納經し、投入堂まで見物に行った泉光院は、翌日、

十九日 晴天。松崎町托鉢、所々にて博奕(ばくえき=バクチ)する家あり、禁制なるやと聞けば、御免にて運上を御取りの由、日本廣しと雖も珍しき事を聞く。晝時歸り一の宮へ詣で夕方歸り又一宿す。
倭文神社・拝殿倭文神社・本殿

伯耆國(鳥取県)の一の宮は倭文(しどり)神社です。祭神は建葉槌命と下照姫命。
左は拝殿で、右の屋根が本殿の屋根。
東郷池のほとり、丸い鉢を伏せたような御冠山186mの麓にあります。
大國主命の国譲りの後、これに従わぬ國ツ神たちをヤマト朝廷は軍を派遣して平定した。その大将が建葉槌命で、これが主祭神になったのです。このあたりに住んでいた倭文部(しとりべ)という部族が「倭文(=しず織=縞模様に織った麻布)」を織っていたのでしょうが、建葉槌命(たてはづちのみこと)が占領したので倭文部の祖神となった。
実はそれ以前、大國主命の娘である下照姫命(したてるひめのみこと)が出雲から船でここに来ていてそのお墓もあり、そのお墓から青銅製の經筒などが出土して国宝となり、現在は東京国立博物館に寄託されているという由緒の神社です。

宿屋へ泊まるとさまざまな手を使ってバクチに加わるように言われるから、それを嫌って一の宮の近くの善吉さん宅で泊めて貰った。松崎町を托鉢していると所々にバクチをしている家があり、バクチは御法度ではないのかと聞いてみると、運上、つまり利益の一部を税金として御役所に納入すれば目をつむってくれるのだそうで、…日本廣しと謂えども珍しき事を聞く。…というのが泉光院の感想でした。

京都から丹波・但馬・因幡・伯耆・出雲・石見の国々は、古代神話のロマンに満ちた街道です。因幡の白ウサギがいた海岸、國引神話の島根半島や、大山・三瓶山の山々、ヤマタノオロチの斐伊川、國譲りの稲佐浜、etc. 昔からいろんな出来事がありました。
白兎海岸・朝白兎海岸夕

上の写真は2枚とも白兎海岸の朝と夕べの風景です。
このあたりの白砂の海岸はとても美しい。今年の夏もうんと暑いでしょう。海水浴でドッと人が出る事でしょう。
この海岸で、オオナムチ神、大國主命、あるいは大黒様、みんな同一人物ですが、白ウサギを助けたのです。
白兎神社
淤岐(おき)の島の白ウサギは、和邇(ワニ)を騙して本土に渡りました。だが和邇の怒りにふれて毛皮を剥がれてしまいました。さらに、悪い神々にも騙されて潮水を浴びてしまって赤裸の白ウサギが泣いていました。
そんな白ウサギを助けたのが出雲の國ツ神オオナムチでした。綺麗な池の水で体を洗って、蒲の穂綿にくるまれば治ると教えたと『古事記』に書いてあります。

向こうに見える海蝕岩をワニの背中に見立てたのかも知れない。近くにはウサギが体を洗った不増不減の池もあるし、右の写真は白兎神社です。白兎神社は疱瘡に効き目があるそうです。ですが今の日本には疱瘡という病気はなくなってしまったようですね。

泉光院は白ウサギにはあまり興味を示さなかったようで日記にはこの海岸は登場しません。代わりに、

…青屋町朝托鉢。巳の刻出立、八旗八幡へ詣で納經す。晝過ぎ大雨、勝見と云ふ湯治場へ着き、直ちに入湯す、かさやと云ふ宅に宿す、…

またまた…入湯す…です。今度は浜村温泉です。昔はここに勝見城というのがあって勝見村だったのだが、近頃は浜村温泉という名前になりました。
浜村温泉というと貝殻節。NHKテレビドラマ「夢千代日記」で、吉永小百合さんや金魚サン(ドラマの中の藝者さん)が踊っていたのを今でも思い出します。貝殻節を踊る
ドラマの場所は浜村温泉ではなくて、鳥取県の東の方、湯村温泉なんですが、なぜか藝者さんたちがお座敷で踊るのは浜村温泉名物の「貝殻節」だった。
  ♪何の因果で貝殻こぎ習うた、
     カワイヤノ~カワイヤノ~
   色は黒うなる身はやせる
     ヤサホーエーヤ ホーエヤエー
     ヨヤサノサッサ ヤンサノエー ヨヤサノサッサ ……
写真は、8月第1土・日に行われる「貝殻節祭」で踊る娘たち。
浜村温泉で泊まると仲居さんが唄を教えてくれて、少し歌えれば「修了証」を発行して呉れるそうです。
何しろ流行った唄ではあるし、吉永小百合さんの唄い踊る姿はたいていの男の目には(ワタクシの目にも)焼き付いているだろうし、ワタクシもここへ行って「修了証」とかいうものを貰いたいものだと思っているのです。

浜村温泉に連泊して、…滯在入湯す、此處より一里南に高山あり、鷲峰山と云ふ。麓に權現の宮あり、此山美徳山より預りの由。…
鷲峰山
遠くに見える山が鷲峰山920m(じゅほうざん)です。この山の麓に鷲峰神社があって、祭神は大己貴命・オオナムチですが、因幡の名山である鷲峰山自体を大明神、つまり御神体としているようです。
写真手前の石は寺内廃寺の塔礎石。

このあたりで宿を借りようと思ったのですが、庄屋さんに聞いてみると、
…當處は因州侯御茶屋御鷹の場故旅人徘徊する事を禁ぜられ居り、因て宿出來不申(もうさず)と云ふ、然る處夜にも入りたる故仕方無く然らば辻堂を御貸し玉はれかしと云へば、辻堂を近所の者に案内す、因て行く。…

他の所でもそうなのですが、御鷹場、鷹狩りの場所は、今の感覚でいえばお殿様専用ゴルフ場の様なものでしょうか、お殿様の娯楽の為に(本来は娯楽だけではなくて、一種の軍事訓練用、練兵場、のの場所だった筈ですが)広大な土地を藩が管理していて、住民の農作業や生活にも種々の規制がありました。仕方なしに辻堂で一夜を明かそうとして、

…燈明あかし勤行せんとし平四郎は隣家へ飯炊きに行く、然る處主の女房共申す様、内々にて此方へ一宿參らせんと云ふ、因て甚次郎と云ふ人の宅へ宿す。…
お上の命令は命令として、庶民の間では内々で困っている人は助けてあげようじゃないか、というような気持ちがあるのです。
鳥取・芋代官碑

No.050 石見國 の項で、芋代官、井戸平左衛門の碑がたくさんある事を書きましたが、ここ、因幡の国にもありました。鳥取市の西、青谷町の海岸寄りの所に、「甘藷代官顕彰碑」という、右の写真です。「泰雲院殿義岳良忠居士」と刻まれています。石見にあるのと同じ戒名が刻まれています。このあたりの人々もサツマイモの恩恵を受けて飢饉の時をしのいだのですね。だがこの碑の建立は安政三年(1856)ですがから泉光院は見ておりません。

それから海岸沿いに小山村を托鉢し千代(せんだい)川の河口にある賀露明神にお詣りをし、千代川を渡って摩尼寺の方へ行きます。
摩尼寺
左が喜見山摩尼寺(まにでら)。鳥取砂丘からちょっと南の摩尼山357mの中腹です。
急な長い石段を登って、息切れをした頃に仁王門に着きます。
写真は本堂です。

湖山村(泉光院は小山村と書いていますが)の産見長者の愛娘が失踪して、捜していた所、摩尼山の頂上に帝釈天の姿になった娘に逢う事を得た。すなわち随喜してこのお寺を建てた、という伝説があります。単なる伝説です。
山頂の奥の院と呼ばれる所に立岩という巨岩があって、そこに帝釈天が現れたそうです。鎖にすがってその岩に登ると、眼下に鳥取砂丘や山野池川、大自然が広がります。
伝説の所為もあるのだろうか、このお寺は古くから女人にも門戸を開いていて、参拝・登山を許していました。

摩尼寺の参詣を済ませた泉光院は、…夫より城下鳥取へ赴く。…

鳥取市は千代川左岸に発達した町で、市街地の東に聳える久松山263mの地形を利用して築かれた鳥取城は、その険しい地形のために難攻不落と言われていました。
羽柴秀吉は織田信長に命ぜられて、天正八年(1580)に鳥取城を攻めます。この時の城主であった山名豊國はあっさり降伏して秀吉の軍門に降って、一応山名氏は安堵されたのですが、家臣たちはそれを不服として山名氏を追放して毛利氏に援軍を乞い、石見の吉川経家が城主として鳥取城に入り、籠城して戦争が継続するのです。
鳥取城・石垣鳥取城石垣2


翌天正九年、秀吉は再度鳥取城攻撃を行います。
秀吉はこの2度目の攻撃の時、因幡上陸に先立って一計をめぐらせました。鳥取地方の米を高値で買い占め、隣国但馬・丹波の米も輸入されないように若狭の船主たちに手を回しました。兵糧攻めです。次に秀吉は御城の背後の山に陣を築いて、三里四方に柵や塀をめぐらして、城の内外を完全に遮断しました。

孤立無援となった鳥取城は、吉川経家以下1000人の兵と400人の農民が秀吉相手に奮戦しましたが力尽き、200日に及ぶ籠城の末、経家は自分の命と引き替えに城兵の助命を秀吉に申入れ、翌日、自刃しました。「鳥取城の渇殺(かつえごろし)」として知られる悲劇です。

右は仁風閣から見た石垣と背後の久松山。右の白い建物の部分が仁風閣。

御城は明治12年に取り壊されました。その時城門一つだけが残されたのですが、昭和50年、大風で倒壊したので復元的に再建して江戸時代の面影をかろうじて残しております。
鳥取城・城門

左がその城門。

仁風閣というのは御城の下にある明治に建てられた鳥取県に残る数少ない洋館建築です。
旧鳥取藩主であった池田家が、明治40年、当時皇太子だった大正天皇山陰巡行の宿泊所として建てたもので、鳥取県で最初に電灯がつけられた、というエピソードもあります。先年ここへ行った時忘れずに電灯を写しておきました。螺旋階段もとても見事なものです。明治の洋館建築というのは、どれもみんな非常に立派なもので、隅々まで、というか、隅々をしっかりキチンと見ておいた方が好いかと思います。
仁風閣
左の仁風閣は、御城の石垣の上から写したものです。仁風閣・電灯

仁風閣・螺旋階段




螺旋階段は、この姿も美しいのだが、説明によると手すりの木が【継ぎ目なし】の木材で出来ているそうなんで、一本の長い棒をうんと手間暇かけてこんなに見事なカーブに仕上げてあるのです。
合理的、という観点からすれば、無駄な仕事なのかも知れないが、手仕事の極限という感じ。

泉光院の見た鳥取城下は、
…町は半道四方計りなれども甚惡し、且貧家多し、御城追手廻りも至て麁末の様見ゆ、追手南向、北に高山あり、…

で、次に内陸の方に入って因幡一の宮である宇倍神社、因幡國分寺の方へ行きます。
私たちはその前に鳥取砂丘を見ておきましょう。
鳥取砂丘3
山陰海岸国立公園は、東は京都府から西は鳥取県まで延長約77kmの、海岸美を中心とする地域について昭和38年に指定されました。
鳥取砂丘は千代川の河口両岸一帯に広がります。特色としては「スリバチ」と呼ばれる凹地形が見られる事、さらに意外な事に砂丘の下に透水性の悪い火山灰層があるために巨大な「水甕」の役割を果たしている事、があるのです。


鳥取砂丘2


砂丘のくぼみに水がたまった奇妙な風景。


鳥取砂丘1
また砂丘独特の風紋が様式的に形成される事、などがあげられます。

鳥取砂丘の東の方に浦富(うらどめ)海岸という、今度は砂丘とは正反対の、起伏に富んだリアス式海岸、「山陰の松島」と呼ばれる美しい海岸があります。



浦富海岸1浦富海岸2


ワタクシが行った時には、午後、急に風雨が烈しくなって、観光船に乗ったのだが船は途中迄行ってまた引き返してしまった。ワタクシは揺れる船に乗るのが大嫌いで、周りの風景などろくに見なかったのですが、綺麗な海岸のようでした。観光船の船長は、まだ一度もひっくり返った事はないと自慢をしていたが、そんな事は自慢になるのだろうか。
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