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2016.06.29 (Wed)

泉光院の足跡 163 中禪寺

含満ヶ淵と化け地蔵を見てから寂光寺と云ふ所へ行きます。

…夫より寂光と云ふに詣づ。原町と云ふより谷間に入ること一里半、本堂東向、諸堂多し、上に大瀧あり、至て寂寞の地也。日光を表とし、寂光は其光の裏也。當所深山故歟櫻今を盛りなれば一句、
   寂光は浮世の外歟夏櫻
日光より北に當り高山あり、男体山と云ふ、黒髪山の事也。此山未だ雪消へず、麓も春分の氣色也。因て一句、日光寂光の滝
   初汗をけふ身に知るや日の光り
夕方旅宿清吉方へ歸る。

右が寂光の瀧。弘法大師が修行のために打たれたという瀧。
この瀧の近くに寂光權現、不動明王堂などが建ち並び、修験道の中心地だったのだが、明治4年の神佛分離で廃されて、寂光寺が若子(ジャッコ)神社という変な名前に変えられてしまった。
泉光院は、鉢石町の旅宿清吉宅を出てから一日でここまで廻ったのでした。

二日 晴天。日光立、辰の刻。金剛院と云ふ山伏宅見舞ふ。夫より中禪寺と云ふに赴く。道に大日堂、庭前に巴ヶ池とて清池あり。蕉翁細道の青葉若葉の句碑あり、又蓮花石とて蓮の如き大石あり、近所に清瀧とて中禪寺前札所庵室あり。中禪寺は女人結界故に此所女人堂也。此堂に笈頼み置き中禪寺へ詣づ。…
日光芭蕉句碑あらたふと

左が芭蕉句碑、「あらたふと青葉わか葉の日の光」で、
右が清瀧寺。日光清滝寺






清瀧(せいりゅう)寺は勝道上人が中禪寺の立木觀音を刻んだとき、その裏木(先の細い方)で作った千手観音をここの本尊にしたので、「中禪寺前立」ということになっていて、中禪寺は女人禁制なので、女性の巡礼者はここへお詣りをした。

芭蕉の「細道」からここの部分を入れておきます。

 卯月朔日。御山に詣拝す。往昔(そのかみ)此の御山を二荒山と書きしを、空海大師開基の時、日光と改め給ふ。千歳未来をさとり給ふにや。今此の御光一天にかゞやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖(すみか)穏やかなり。猶(なお)憚(はばか)り多くて筆をさし置きぬ。
   あらたふと青葉若葉の日の光
黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。
   剃りすてて黒髪山に衣更(ころもがえ)     曾 良
曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり。芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟(きさがた)の眺め共にせん事を悦び、且は羈旅(きりょ)の難をいたはらんと、旅立つ暁髪を剃りて墨染にさまをかへ、惣五を改めて宗悟とす。仍つて黒髪山の句有り。「衣更」の二字、力ありてきこゆ。
 廿余丁山を登つて瀧有り。岩洞(がんとう)の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭(へきたん)に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて瀧の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。
   暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏の初(げのはじめ)

原文よりも読み仮名をふやしたりしておきました。ここへ来て曾良の素性を書いているのは出発前に曾良が剃髪したので、男体山、当時は黒髪山と言ったのを詠み込んだ曾良の句が生きると思っているようです。

清瀧寺に笈を預けて泉光院は中禪寺湖の方へ上がります。
日光華厳の滝虹

…當所より山中三里。大川に沿ひ上る事廿丁、危橋三ヶ所にあり、大なる坂廿五丁、道より左五丁に華嚴瀧とて中禪寺御池より落つる瀧あり。御池大さ竪三里横五十丁、此池の水下なり、…

今は華厳滝の下までエレベーターで下りることができて、午前中お天気がいいと大きな虹が見えます。
落差97m。那智瀧、袋田瀧とともに日本三名瀑の一。
江戸時代は「いろは坂」がなかったでしょうから、…大なる坂…を登りきって中禅寺湖の畔へ出ました。

…中禪寺本堂南向、諸堂あり、寺一ヶ寺、坂東札所納經す。門前に茶屋六軒あり。…

現在の中禅寺は湖岸へ出て左折(南側の方)して行きますが、昔は男体山の南麓、二荒山神社中宮祠と一緒の場所にあった。それが明治35年の山津波で倒壊したので現在地に引っ越ししたのです。だが中禪寺関連の写真は現在地のものしかありません。
中禅寺と中禅寺湖
左は中禅寺。遠景です。いろは坂を登って湖岸に出たところで南の方を見ると遠くに中禅寺が見えています。
中禅寺門と境内












近くまで行きましょう。樓門が見えてきました。
ここは坂東觀音札所第18番。中禅寺千手観音

勝道上人が桂の大木を立木のままで自ら刻んだという木造千手観音菩薩がここの本尊です。
立木觀音と言います。
日光中禅寺立木観音

身の丈約6m。両脇に四天王を従えた見事な像です。








日光中禅寺五大堂
左が五大堂。
上左の写真で山側の高いところに見えるのがこの五大堂。
外廊からは中禅寺湖が一望できて絶好の展望台。

先に書いたようにこの中禅寺は新しく建てたものなので、泉光院の納経したのはここではなくて、二荒山神社中宮祠の近くに建っていた方の中禪寺でした。

…當所、黒髪山禪定とて一ヶ年に七月七日一日だけ登山し奥の院に參詣す。一日に凡そ千五百人詣りと云ふ。七日以前より中禪寺に籠もり前行す。新客は山役錢金子一両二分出す。度衆は二分三百文出る也。此籠り家池の岸に作れり。又此池に大船を浮かべ、行人島廻りとて船に乘り方々へ詣る事也。…
日光中宮祠唐門男体山
左が男体山を御神体山としている二荒山神社中宮祠です。
後の山に、佛である千手観音菩薩が、日本の神であるオオナムチとなって垂迹している。それを崇めて拝殿を作ってお詣りをする。これが日本の宗教の姿です。
山の頂上には神様の依代となる岩などがあって、そこへ降りてきた神様を、奥社を建ててお迎えして祀ります。
山は神の領域で、里は人間の領域ですから、その中間のところに「中宮」を造ります。
ふだんは里に下社、あるいは里宮を建てて、そこで神様にお願い事をしたり、お神楽を奉納して楽しんで貰ったり、五穀の作柄の吉凶を聞いてみたりするのだが、この中宮祠では神と佛が人間と一緒に交わる場所でした。少し詳しく見ましょう。
日光二荒山神社中宮祠湖岸鳥居

左が湖岸に立つ鳥居。
中禅寺湖を觀音浄土であるポータラカ(補陀落)渡海の海に見立てたのです。湖岸からこの鳥居をくぐって樓門を通ると左上の写真のように唐門の向こうに御山、「ふたら」の山がきれいに見えるのです。
そして唐門・拝殿・本殿と続きます。拝殿では巫女さんたちがワタクシを迎えてくれたような気がしました。日光二荒山神社中宮祠巫女

本殿は8月の登拝祭の日だけ内陣への参拝が許されるそうですが、ふだんは開かずの間。


日光二荒山神社中宮祠奥社正面

社殿の右手の方へ行きますと登拝門というのがあってここから男体山へ登ります。日光二荒山神社中宮祠奥社

右の写真の登拝門が開くのは、今の暦だと5月5日の開山祭から10月25日の閉山祭までの期間で、社務所に申し出てこの門から登山が出来ます。門をくぐると左の石段。

日光二荒山神社中宮祠登山口石段

ここから頂上までは標高差にして1200mほど、距離にして約6km。
3~4時間ほどの時間で登れるでしょう。

泉光院がここへ行った頃は旧暦の七月七日、たった一日だけの登山だったらしくて、この日一日だけで1500人も押しかけました。入山料は、初めてここを登る人は1両2分、2度目以降の人は2分300文。ものすごい高額です。仮に新客が1000人、リピーターが500人として勘定すると約1600両。これだけの大金をたった一日で二荒山中宮祠は稼ぎ出したのでした。
今は7月31日から1週間、登拝祭というのが行われますが、中でも7月31日の真夜中、8月1日の午前0時には日本全国に50ほどある二荒山登拝講の信者たちが押しかけて、境内は数千人の人であふれかえるのだそうです。そこで危険防止のために100人ほどずつ区切って登山させているのだそうです。
勝道上人が難行苦行の末に頂上へ登って、そこに小さな祠を建てたのは天応二年(782)のことだった。そしてこの偉業を果たした人の足跡を慕って修験行者たちが集まってきます。この山に登って、佛と神と、そして自分自身の一体感を味わう醍醐味、そんな感覚を昔の修験行者たちも感じたのだと思います。
ワタクシが登山を始めた頃も、朝の暗いうちに目指す山の頂上へ登ってお日様の昇るのを見ると、佛や神はさておいて、やはり一種の感動に包まれたものでした。日光男体山頂上岩峰
日光男体山頂上御来光



標高2484m。左の写真、頂上には対面石と鳥居、そして大岩の上には10尺の真剣が立っています。近くの旧噴火口の縁には右の写真のように巨岩があって、山伏たちはここで腰縄をつけて逆さ吊りにぶら下がって修行をします。
泉光院がここに来たのは五月二日。新暦だと5月28日。

…黒髪山は未だ大雪なれば一句、
   黒髪も真白なりけり夏の雪
下山して又荒澤と云ふを一見す。是所に裏見の瀧とて清瀧あり、山中に入る事廿五丁、大瀧の中程に洞あり、石の不動を安置し右より左にぬけ通る、瀧の高さ三丈、瀧を裏より見るに付ウラミの瀧と云ふ。清瀧庵へ夕方歸る。中禪寺參詣の回國者十人計り泊まれり。…

黒髪山は男体山の別名。歌枕で黒髪山なんです。新暦の5月末というと谷筋には雪が残っているだろうが、山全体が真っ白ということはないでしょう。
二荒山神社中宮祠には神佛混淆の名残を示す物がたくさんあります。
日光二荒山神社中宮祠懸佛三佛日光二荒山神社中宮祠懸佛梵字



左から、
三佛の懸佛、阿彌陀如來を示す梵字、そして錫杖の頭部。日光二荒山神社中宮祠山伏錫杖頭部

その他に銅鏡、、銅印、古銭や刀剣が非常に沢山。   

泉光院は下山してもとの大谷川の支流荒沢川へ入ってその上流にある裏見の瀧を見物しました。
左側の道を歩いて行くとちょうど瀧を裏側から見る事が出来るのです。日光裏見の滝

泉光院は芭蕉や曾良がここへ行った事を知っていたのでしょう。だからわざわざ裏見の瀧まで見物に行くのです。
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