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2016.09.29 (Thu)

泉光院の足跡 181 新発田

泉光院は親鸞上人七不思議をいろいろ見て来ました。戸野村という所に逆さま竹というのがあったのだが、いまは普通の竹藪になってしまっていて、…古への逆さま竹は新潟と云ふ所に寺の寶物となれり。…で、新潟の西方寺に寶物として保管されているようです。

…戸野村と云ふよりまた川船にて新潟と云ふに下る。此新潟と云ふは大湊にて人家數千軒千石の大船を繋げり、東遊記に悉しき故に略す。當所船渡り柴田の城下へ赴く、本庄と云ふ村へ宿す。
七月一日 晴天。本庄村立、辰の上刻。今日は托鉢もなく芝田近所樋渡新田村萬次郎と云ふ善根の宿へ宿す。

信濃川を船で下って新潟へ来たのだが西方寺へは立ち寄らずに阿賀野川を船で渡って新発田城下のほうへ向かいます。
新発田城大手門

左は新発田城の大手門と、左遠くに二の丸隅櫓(ともに国重文)。
新発田藩初代城主溝口秀勝が築いたもので、当時は周囲に湿地が多く、アヤメがたくさん咲いていたので「あやめ城」と呼ばれていた。
今でも菖蒲は咲いています。

右は二の丸隅櫓の下で咲いているアヤメ。
新発田城二の丸隅櫓

日記では新発田を柴田と書いたり芝田と書いたり、さまざまですが気にしないことにしましょう。


二日 晴天。樋渡立、辰の刻。芝田城下へ出づ、御城平地、追手口(大手)南向、廓は甚だ惡しき地なり、町は多し、袈裟頭地藏寺、明王院と云ふ兩院に立寄る、内山先達同行。夫より菅谷の不動とて靈佛あり、城下より二里半、本堂東向、杉山の内、門前茶屋多し、此本尊眼病を平癒し玉ふとて眼病の者多く籠り居る也。納經す。又乙寶寺迚(とて)大日の靈佛の方へ赴く、藤井新田と云ふに宿す。

菅谷寺
左が菅谷寺(かんこくじ)。
こっこは源爲義の末子で頼朝の叔父にあたる護念上人という人の開基で、上人は源平合戦の兵乱をのがれて不動明王の首を笈に入れて諸国を歩き、この地に落ち着いて寺を開いた。その不動はいまも眼病に霊験があると言うことで多くの信者の參詣で賑わっているそうです。
ところで、眼病に効くというお不動さんはほかにもたくさんあって、江戸は目黒のお不動さんも、近江木之本の浄信寺も有名です。ほかにもあるのだがワタクシの記憶は曖昧なのでここには書きません。

三日 晴天。昨夜大雨大雷。藤井新田村立、辰の刻。乙寶寺大日へ詣で納經。本堂十間四面南向。大日、彌陀、釋迦三尊、婆羅門僧正と云ふの招來と云ふ。釋迦左の目に舎利と云ふ寶物あり、聖武帝の時渡りしと云ふ。夫より平林と云ふ驛に出で宿す。
乙寶寺三重塔

右は乙寶寺(おつほうじ)の三重塔。三間四面、均整の取れたこけら葺の屋根が美しい。越後では上越市の五智國分寺の三重塔(No.178に写真を入れてあります)とここしか三重塔はありませんし、國分寺のものは幕末の再建ですからこっちの方が古い。
靈佛大日如來は国宝に指定されていたのだが、昭和12年の火災で堂宇もろとも焼けてしまったので今は鉄筋コンクリの大日堂が建っている。お釋迦さまの左眼という舎利を納めた塔はいまもその鉄筋コンクリの堂内に展示してある。
大日堂の左手に「結びの堂」という六角堂があり、格子戸に祈願の杉皮を結びつけると良縁が得られると言います。

泉光院は平林からさらに国道7を北に向かって庄内、今の名前では山形県へ入ります。これから先、泉光院の足はずいぶん早くなります。遅れないようにどんどん進みましょう。

四日 雨天。平林立、辰の刻。羽州街道へ出で村上と云ふ城下を通り、庄内早生村と云ふに出で宿す。

村上で有名なのは「鮭」。鮭というと北海道や東北を思い浮かべる人が多いのだが、なんと言っても鮭は新潟。村上の鮭
中でも新潟県と山形県にまたがる朝日山地を水源として村上で日本海に注ぐ三面(みおもて)川は古くから鮭の川として知られ、土地の人々は鮭を「魚の中の魚・イヨボヤ」といって貴んできました。三面川で生まれた鮭は北太平洋で育ち、4~5年後には生まれた川へ戻ってきます。その距離2万km。日本の鮭の中では最長といわれるその回遊距離が、脂肪が少なくて身の引き締まった美味しい鮭を育てるのです。
この鮭の味をさらに引き立てるのが「塩引き」という江戸時代から行われている村上独特の加工。
単に塩蔵をする新巻(あらまき)鮭とは違って、「風干し」、醗酵をさせることでさらに美味しくなります。これを作るのは一家の主の仕事で、鮭の姿形や面構えにまでこだわるといいます。村上の鮭風干し
村上の風土は風干しを作るための気温・湿度・風速が最適で、湿度が低ければただの干物に、高ければ旨み成分が醗酵しないうちに腐敗しちゃう。村上という土地がとても好い具合にこういう美味しい食べ物を作ってくれるのだそうです。
村上市の中心部には、鮭公園、イヨボヤ会館、などというのがあって、ここの鮭が最高であるという自負を持っているようです。

村上城本丸石垣
村上は戦国時代にここの領主だった本庄氏が城郭を作ったのに始まり、江戸時代にここの藩主となった村上氏が天守閣を造って城として完成し、城下町として整備もされたのだが、天守閣は寛文七年(1667)に落雷で焼失し、以後天守閣は造られなかった。
享保五年(1720)以降は内藤氏五万石がここを領したが、戊辰戦争の時、明治政府軍の攻撃に遭って落城。現在は苔むした石垣だけが残っています。
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