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2017.04.28 (Fri)

泉光院の足跡 226 露座の大佛

…夫より山を越へ半道計り坂東札所岩殿寺と云ふに詣納經す。本堂五間四面、東向の堂一宇、門はなし、寺一ヶ寺門前茶屋なし。…
2番岩殿寺観音堂
左が坂東観音札所第二番の岩殿觀音。
このお寺は鎌倉の東隣り、逗子にあります。
山門から長い石段を登り詰めた所にある小さなお寺です。



…夫より在村へ下り田代寺と云ふ坂東札所へ詣で納經。本堂五間四面、寺一ヶ寺、至て小寺也。…
3番田代寺観音堂
田代寺千手観音

左が坂東観音札所第三番の安養院というお寺です。本名は長樂寺というのだが、北條政子が夫頼朝の菩提を弔うために建てたといい、北條政子宝篋印塔政子の遺骨もここに葬ったというので、政子の法名である安養院に改めたのと、本尊の阿彌陀如來像の後ろに高さ1.8mの千手觀音が祀られていて、その觀音様は田代寺から移されたものであることから、田代堂の觀音、昇龍觀音とか良縁觀音という別名もつけられていて、立身出世や良縁を求める人たちから篤く信仰されているようです。泉光院がここへ来た頃は田代寺として知られていたのでしょうか。

左は政子のお墓と言われている寶篋印塔です。本堂の裏手に徳治三年(1308)の銘のある大きな寶篋印塔(國重文)があって、その横にある小さなのがそれです。

…夫より由比の濱街道へ出で蕉翁の塚へ行く、兵(つわもの)どもの夢の跡の句あり。…
六地蔵芭蕉句碑

田代觀音・安養院から長谷寺へ行く道が「由比ヶ浜大通り」といって、昔の刑場跡であった所に右のような六地蔵が祀られていて、そのお地蔵さんの裏の石碑に芭蕉の句碑があるのです。この場所を芭蕉の辻とも言うのだそうです。
石碑が三つか四つほどあるように見えますが、そのうちの一つでしょうか。

…夏草や 兵どもの 夢の跡…

…夫より光明寺と云ふ淨土本山、尾州侯御靈屋あり、御菩提寺と云ふに付詣納經す。…
光明寺山門
左が光明寺の山門。
大きな門で、もとは鶴岡八幡宮の建物だったと言われているのだがよく判りません。
江戸時代には徳川家康が定めた浄土宗学問所の関東十八檀林の制度の中でも主席の江戸増上寺に次ぐ次席の地位にあって、建長寺・圓覺寺および藤沢の遊行寺とともに鎌倉四大寺に数えられていた。

泉光院は芭蕉句碑の次にここへ来たように書いているけれども、このお寺のある場所は安養院から南の方、海岸に近い方ですから、順路としては安養院→光明寺→そこから若宮大路へ戻って、六地蔵の所から由比ヶ浜大通りへ入るのが道順です。でも泉光院は一日で鎌倉を歩き回って、宿へ着いてから記憶を頼りに詣でたお寺を日記にしたためるのですから、多少の間違いは見逃しましょう。

…夫より由比ヶ浜へ一見に出る。…

六地蔵の場所から真っ直ぐに由比ヶ浜まで道があります。若宮大路の西側に、殆ど平行に走っている道で、江戸時代の昔もきっとそうだったと思います。
由比ヶ浜稲瀬川河口

右が滑川河口あたりから見た由比ヶ浜。遠くに見える岩場の所が「稲村ヶ崎」です。
元弘三年(1333)、新田義貞が鎌倉を攻めるために稲村ヶ崎の西側(この写真では岩場の向こう側)の七里ヶ浜に陣を布き、潮が引いて(つまり干潮になると砂浜が現れるのです)、全軍無事に渡れるように黄金造りの太刀を海中に投じたところ、たちどころに干潮となって砂浜伝いにこっち側の由比ヶ浜に入る事が出来たというのです。

稲村ケ崎

満潮の時の稲村ヶ崎です。これでは海岸伝いに向こう側には渡れませんねぇ。

文部省唱歌「鎌倉」の第一節はこういう歌詞です。
♪七里ヶ浜のいそ伝い、
 稲村ヶ崎 名将の、
 剱投ぜし 古戦場。

この歌は戦前の国民学校初等科(いまの小学校のことです)6年生が音楽の授業で習う歌でした。楽譜も一緒に載せておきましょう。
唱歌鎌倉
第2節目以降はこんな具合です。
♪極楽寺坂越へ行けば
 長谷観音の堂近く
 露座の大佛おわします
♪由比の浜辺を右に見て
 雪の下村過ぎゆけば
 八幡宮の御柱
♪上るや石のきざはしの
 左に高き大銀杏
 問わばぞ遠き世々の跡
♪若宮堂の舞の袖
 しずのおだまきくりかえし
 かえせし人をしのびつつ

以下、6,7,8節と、鎌倉の昔を偲びます。
…建長円覚古寺の山門高き松風に昔の音やこもるらん…

…八丁計りにして長谷寺坂東札所へ詣納經。本堂八間四面、東向、二王門、寺二ヶ寺、門前旅籠屋多し。…
長谷寺坂東札所四番

右は長谷寺、坂東観音札所第四番。本尊十一面観音は大和の長谷寺の本尊と同じ木で作られたと伝えられている像高9.18mの日本では最も大きな木像佛の一つです。
長谷寺長谷観音

左がその長谷観音。


先に楽譜を載せておいた「鎌倉」という歌。
小学校6年生のときに習うのですが、鶴岡八幡宮には大きな銀杏の木があることや、大きな寺社の名前や、静御前が♪しずのおだまきくりかえし、かえせし人を偲びつつ…と歌って義経を想いながら頼朝の前で白拍子の舞を舞ったことなども子供の時から覚えているのです。

…夫より大佛と云ふに詣づ。南向、唐金(からかね)濡れ佛、高さ五丈のビルシャナ佛也。腹中の本尊を拝す。鎌倉一句、
   夢に入るや鎌倉山の時鳥
露座の大佛高徳院

長谷寺から次に高徳院淨泉寺の阿彌陀如來坐像の所へ来ました。この金銅佛が鋳造されたのは建長四年(1252)で、本来は大佛殿の中にいたのだが地震や大風で破損や倒壊がたびたびあったようで、明応四年(1495)の津波で建物は流されて以来、露座のまま。
高さは13.4mで重さが124㌧。この像の背中の所に胎内に入る入口があって(有料)、ワタクシも入ってきました。胎内には聖観音や愛染明王があって、泉光院も…腹中の本尊を拝…しました。

…日も西山に落つる故長谷寺門前に宿す。

と一日でこれだけ鎌倉の中を歩きまわって詣納經をしてきたのでした。
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