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2017.05.21 (Sun)

泉光院の足跡 232 箱根峠

小田原から早川の左岸を辿って行くと、今の箱根登山鉄道・箱根湯本駅のちょっと手前に三枚橋があって、箱根峠道(の旧街道)はその橋を渡って芦ノ湖へと進むのだが、そのまま直進すると温泉道で、いろいろの温泉が湧いていた。
箱根広重常ヶ島温泉

左は廣重の「人物東海道・とうじば」と題された一枚。箱根七湯といって、1.湯本湯 2.塔ノ沢湯 3.常ヶ嶋湯 4.宮下湯 5.底倉湯 6.気賀湯 7.芦之湯、というのがあった。泉光院もきっとこれらの湯のどれかに入湯したでしょう。この温泉での一宿は、千里の道を歩いた疲れも一夜にしてとれる、と宣伝されたものです。左の絵では白糸の瀧が見えているので常ヶ嶋湯でありましょう。
右は廣重「東海道五十三次之内 箱根 湖水圖」。
廣重版画箱根湖水図

廣重の箱根湖水図は箱根の難所を強調するように切り立った峰々を誇張して描く。芦ノ湖へ向かって坂道を下って行く大名行列の姿が、山の間を頭だけを見せて歩いている様子も道の険しさをあらわしているようだ。

十八日 晴天。湯治場立、辰の刻。直ちに坂に掛る、…
箱根杉並木の道

右は旧東海道の杉並木です。
♪昼なお暗き杉の並木♪です。

疲れたら甘酒茶屋に寄って,砂糖や添加物を使わず昔通りの作り方で作った甘酒と、臼と杵で搗いた力餅を食べましょう。海苔を巻いたのが「いそべ」で、きな粉のが「安倍川」。昭和48年に通りがかりのハイカーが捨てたタバコで全焼したのだが、また復活して昔通りに売っている。
箱根甘酒茶屋箱根甘酒茶屋甘酒とお餅


この茶屋は赤穂義士の一人、神崎与五郎が、馬子の丑五郎に言いがかりをつけられたのだが、「大事の前の小事」、とこの茶屋で詫び証文を書いたという逸話のある店で、ということはかなり古くから開業していたのでしょう。
泉光院はどうやら立ち寄った形跡はありません。
箱根山から富士山秋

登りつめると芦ノ湖が見え、お天気がよければ富士山も見える。

…箱根權現へ詣納經す。本社南向、湖の岸也、花表前人家少々、夫より賽の河原と云ふを通り關所へ出づ。…

箱根芦ノ湖と鳥居

箱根神社の鳥居が見える。
古い案内書には芦ノ湖を、
「一名芦の湖(うみ)といふ。富士八湖の其一也。箱根の山嶺にあり。長さ三里許(ばかり)、幅壱里余。… 産物は鱒、腹赤(はらか)也、山椒魚は山中の谷川に生ず。小児五疳の妙薬に用ゆ。」と解説している。箱根山椒魚
ハコネサンショウウオ(右)は箱根に限らず全国の500m~2000m程の高さの谷川に住んでいて、金澤時代のワタクシがよく登った石川・富山の県境にある醫王山の三蛇ヶ瀧の下にも住んでいた。
胴よりも尻尾の方が1.5倍程も長く、スリムな体つきで、大きいのは20cm程にもなる。
黒焼きにしたものは、子供の疳の虫を抑えるのによく効く、といわれていて、上記の案内書にも書いてある通りだが、実はこれを生きたまま吞むと精力剤になる、とまことしやかに伝えられているのです。それも頭から吞まないとまた這い出てくる、などともっともらしく言われていた。みなさん聞き伝えのことを言うだけで,実際に吞んで効果を確認した人はいないようだった。
医王山大池から鳶岩


右はワタクシがよく登った醫王山、尾根の途中にある鳶ヶ岩で、左下からこの岩のテッペン迄登ってから向こうの尾根へと進みます。この岩の向こう側に三蛇ヶ瀧というのがあってそこの所にハコネサンショウウオがいるのでした。

医王山鳶ヶ岩金大合唱団
鳶ヶ岩のテッペン付近。写っているのは金沢大学合唱団の人たち。右は鳶が岩の下、大池。
医王山大池鳶岩から


箱根権現は古くから山岳修験の中心地であり、湖岸に朱塗りの大鳥居が立ち、そこから鬱蒼とした杉の並木の中を真っ直ぐに石段が上に伸びていて、その上に右のような社殿がある。左が門で右が御本殿。
箱根神社
箱根神社本殿



山伏である泉光院は当然ここにお詣りをしてから、賽の河原というのを通って御關所へ行きました。
箱根賽の河原

左が賽の河原。
芦ノ湖の畔にお地蔵さんや五輪塔などが立っています。
ここを過ぎればすぐ御關所です。

箱根お関所平成19年春

箱根関所は昭和40年に観光用として本来の場所から離れた所に「関所」を建てたのでしたが、伊豆韮山の代官江川太郎左衛門(反射炉で有名なところ)宅から資料が発見されて、それを元に平成10年から発掘調査・復元をして、平成19年春、江戸時代の「御關所」が復元しました。左が復元間もない頃の御關所と付属の建物群。

箱根お関所復元
左が御關所。
そして前に建てた観光客用の関所は取り壊してしまった。

この關所はよく「入り鉄砲に出女」といわれているように、江戸への武器搬入と、江戸在住の大名の妻子が無断で國元へ行くことを禁止することで有名だった。
古い案内書には、
「御關所――小田原の城主勤番也。女人と武具は御證文なくては通さず。鑓持たせざる者は主人の手形、あるひは所の庄官の手形持参して通る。」、「明六つ御開門、暮六つしまる」と書いてあります。
ここへ来た泉光院は、…關所へ出づ。番衆口上、…と、関所役人とのやりとりを記録しているのでそれを書きましょう。泉光院は醍醐寺三寶院発行の通行手形を持っていて、これは権威のある通行手形なんですが、ここではそれが通用しなかったらしい。佐土原島津家の江戸屋敷事務局が発行して、宛先が箱根の御關所御役人様となっている手形の提示を要求されたのです。

…其方共江戸屋敷よりの引合差出すべしとありけり。吾々共は日本回國の行者、左様なる事は存知申さず、諸國通行の往來手形は所持致居候外はなんにも存知申さずと云へば江戸屋敷よりの引合無之(これなく)ては通ること罷りならず、又回國の者とても聞合せもある筈也と言はれければ一切左様なる事に氣も付申さず、且又江戸御屋敷と云ふも存知申さず、又屋敷共へ出る様な吾々共にても御座なく候と云へば、其方共は名は何と云ふと尋ねらる。私は一葉坊此者は合力助と申しますと云へば、先づ今日は内分にて罷り通す、重ねては決して罷り通すことはならぬと云ふて通されたり。

今度だけは通してやるけれども次回は絶対駄目だぞ、と言って通してくれた。
文化文政時代になると関所の取り調べもきびしい所やフリーパスの所もあったようです。
No.177 出切手 の項で、立山登山の帰りに越中と越後の境の関所を通る時、富山城下にあった加賀藩役所で、一人前80文の料金を取られて出切手をもらって提出したことや、No.186 象潟 の項で、出羽庄内、鶴岡城下を出る時、女鹿の関所でやはり一人前35文と、その向こうの藩、久保田藩の関所でまた35文取られた。そんなことを思い出して日記に注釈を付け加えているのです。

…此所も加賀の境川、出羽庄内鶴ヶ岡、當所と同様成る事にて切手ばかりにて往來手形也。當所錢の出ざる分がよかった。…
箱根関所通行手形

右は箱根御關所で通常取り扱っていた通行手形。
字が難しくって読めないのだが、一番頭に
…○○通行手形之事…と書いてあって、次にこの手形の所持人である武州(武藏國)何とか村の百姓らしい人の名前、
本文に入って、旅行目的が伊勢参宮であること、御關所御通行の許可を求めること、などが書いてあって、年月日、発行者氏名印(これは村の村長さんまたはそれ以上の人、菩提寺の住職など)。最後に相州(相模國)箱根御關所御役人○○様、となっている。
泉光院の持っている通行手形は、醍醐寺の権威でもって…この手形を所持している者は日本国中どこでも通行勝手たるべし、…と言うような内容の、幕府の権威を無視したような通行手形ではないかとワタクシは想像しているのです。
ここで面白いのは、泉光院が自分の主人である佐土原藩の名前も、佐土原島津家の殿様、島津忠徹の名前も出さず、自分は一葉坊という山伏であり、供をしているのは助という名前の荷物担ぎの人足にすぎないよ、という返事をしていて、役人もあまりしつこく追求はしないで、「今回は大目に見てやるけれども、次回からは決してこのような事は許さないよ。」といって通してくれた。境川の関所や女鹿の関所のようにお金を取られなくてヨカッタ、と書いているのが可笑しい。
彌次郎兵衛・喜多八の両名も箱根関を通る時、「夫より御關所を打過ぎて、…春風の手形をあけて君が代の戸ざゝぬ關を越ゆるめでたさ…斯く祝して峠の宿に悦びの酒酌み交わし…」ました。このように無事箱根の関所を越えると、山祝いと称してお互いにその困難を克服した事を祝うのでした。

泉光院はこれから先、東海道を三島の方に下らないでずっと伊豆半島を廻るのです。

…夫より宿を通り抜け辻堂あり、左山中へ入る、大峰奥駆けの道より少しはよし。三里行き日金の地藏と云ふに駈け出す。此地藏靈驗新たなるとて參詣多し、…

箱根峠の所は十字路になっていて、そこにコンビニがありますが、真っ直ぐ行けば国道1号線で三島、右へ曲がれば芦ノ湖スカイラインで、泉光院は左へ行きました。ずっと行くと十国峠。十国峠標識
たいそう景色のいいところです。展望は十国・五島に及ぶといいます。
伊豆・相模・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・安房・上総・下総の十国と大島・新島・神津島・三宅島・式根島の五島。
富士山がすぐ近くに見えます。
十国峠日金山東光寺標識
左の案内標識の一番下のは日金山東光寺を示しています。右の方へ下って行くとすぐ東光寺です。
十国峠真鶴方面展望

見下ろすと右、真鶴のあたりが見えます。ここを下れば東光寺。

伊豆では昔から死者の霊はみなこの日金山に集まる、といわれているのです。

日金山東光寺
日金山東光寺地蔵群

左が日金山東光寺で右がおびただしい地藏群。
春秋のお彼岸にこの山に登ると、通行人の中に逢いたい人の後ろ姿が見える、といい伝えられています。またこの山のどこかには地獄と極樂があって、お地蔵さんは地獄の辻にいて死者を極樂の方に導いてくれると信じられています。今もおびただしい地藏さんがこのお寺に奉納されているのです。
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