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2013.11.05 (Tue)

泉光院の足跡

泉光院の足跡 001 発端

 私が野田泉光院の『大日本九峰修行日記』を足がかりにして、その足跡を辿りながら日本各地を紙の上で歩き始めたのは2000年1月7日でした。その頃は彼の歩いた所を地図の上で追いかけ、彼の歩いていた時代を考え、彼の考えや思いを私の心の中になぞることが楽しくて随分我儘に書き散らしました。

 メールに乗せて知友宛に送り始めたのでしたが、その頃はまだメールの本文の中に写真をはめ込んで送るという芸当が出来なくて、文字ばかりの、いわば真っ黒なページを無理矢理送りつけていたので、受け取られた方は随分迷惑だったことだろうと思いますけれども、sktサンという方はそのメールを全ページプリントして、しかも製本屋さんに依頼して豪華3冊本に仕立てて下さる、というワタクシとしては望外のウレシイ受取方をして戴いた方もありました。一通り書き終えたのは2001年3月31日、殆ど毎日といってもいいほど熱心に書いて、全469回の長い続き物となったのでした。
その後、メールの本文に絵や写真を入れることを覚えて、2004年3月3日に再スタートをしました。泉光院が通ったであろう地域の風景や、参詣した寺社、食べたかも知れない食べ物などを入れて、賑やかな読物にしたのでした。所が何故かこの時は489回、2010年4月、四国の松山、道後温泉まで行った所で中断してしまったのです。あと僅かで終わることが出来たのに残念です。中断した理由はワタクシにも実はよくわかっていないのです。

 ここであらたにブログで再々スタートをかけることに致します。
メールだと押しつけがましく送りつけることになりますけれども、ブログであれば、「わざわざ開く」という手間を惜しまない人だけに開いて貰えるのですし、今回の「予定」ではほぼ500回にもなろうかという長い続き物になるつもりですので、覚悟を決めて始めるつもりです。どうぞヨロシクお願い致します。間には古いLPレコードのお話も続けてまいります。

 野田泉光院は九州日向國佐土原(さどわら 佐土原町は2006年に今の宮崎県宮崎市に吸収合併されました)の修験寺(山伏のお寺です)、龍池山安宮寺の住職で、名は成亮(しげすけ)。宝暦六年(1756)に生まれ、天保六年(1835)年に死んでいますから、八十歳(数え年)まで生きていたことになります。何でこんな古い山伏の話をと思われるでしょうが、この人を通して、日本の昔の旅、そして日本の社会、民衆の生活、といったものが大変よくわかるからです。テレビドラマなどに登場する江戸時代のお話の殆どは誇張された作り事ですから、ドラマとしては面白いのかも知れませんが実態としては嘘八百のデタラメの話が多いのです。
そして、戦前、今からほんの80年ほど前までの日本の民衆の生活というものも、江戸時代の民衆の生活と大して差のないものだった事がわかってくるのです。

 テキストにしますのは、野田泉光院自身が旅の間克明に書いて佐土原島津家の殿様及び醍醐寺三寶院門跡様に献上した『大日本九峰修行日記』(これは三一書房刊『日本庶民生活集成』第二巻所収)と、宮本常一の著書『野田泉光院』、この二つが基本になります。両方とも浜松市立図書館(現在は城北図書館の地下書庫)に保管されていて、貸出可能です。他に江戸時代の経済、交通、等については学習院の児玉幸多教授の多くの著書などを参考に致します。ほかに、石川英輔著『泉光院江戸旅日記』という単行本も出版されておりますが、この方はいわばプロの著作家ですし、部分的には必ずしも正しくない(地名や建造物等)記述も見受けられるので、ワタクシとしては引用は避けることとします。
野田泉光院・肖像軸・宮崎県立図書館蔵

右、野田泉光院の肖像軸です。
この軸は、現在宮崎県立図書館に、日記などの所有者だった杉田氏から寄贈されて、《杉田文庫》として保管されているものです。

 前大光四十八世昭徳陰翁敬題  (朱印)
 阿闍梨者耶
 安宮寺大先達泉光院成亮
 手裡仁風春色鮮夫之謂前
 八迦咦 乾坤獨坐如々體
 先入峯三十七度奧駈十有
 日域役君苗裔鶴城行者大
泉光院・肖像











肖像の上に書いてある贊は、佐土原の禅宗寺院大光寺の四十八世住職であった昭徳陰が書きました。大光寺は佐土原島津家の菩提寺で、泉光院も主家の安泰を祈願するためにたびたび大光寺に赴いていました。この肖像画はおそらく70歳代後半ほどの年齢でしょうか、親しみ深く徳のある風貌はまさに…春色あざやか…と言う言葉にピッタリです。…乾坤…と言う文字を「宇宙」と読んでみれば、この宇宙に唯一人坐す、というような感じでしょうか。
ワタクシもとうとう泉光院の寿命と並ぶ歳になりました。このような穏やかな表情になれるように、これからの残りの人生を生きていきたいものだと思っております。

野田泉光院のいた安宮寺は京都醍醐寺三寶院に属する直末寺院で、佐土原島津家から五十石の寺社料をを受けていたお寺で、藩の安泰、主君の繁栄を祈祷する、祈祷寺となっておりました。泉光院は武士としての教養も充分あって、居合術、弓道に長じ、本業の山伏としての加持祈祷だけではなく、儒教の四書五経についても素養があり、大先達の山伏として、大和の大峰山の峰入修行三十六度、奥駈(奈良・吉野山から和歌山の熊野三山まで大峰山脈を縦走する修行)を十三度を経験しており、俳句が好きで「一葉」という俳名を持ち、立花や茶道にも通じているという当時としては相当に高い教養を持った文化人でした。
所属する宗派の総本山と、所属する藩の主君以外、誰にも遠慮する必要のない高い地位の人でありながら、五十六歳で隠居して家督を息子に譲り、自由人として乞食(こつじき)の旅に出るのです。
醍醐寺三寶院・勅使門

左、京都醍醐寺三寶院の勅使門です。
扉の、両側には菊の紋(皇室です)で、内側が七五の桐の紋(豊臣です)を彫った
見事な門です。勅使以外には開けない門ですが、開くと玄関を正面に望むことが出来ます。(観光客はこの門の左の方に料金所があって、そこでお金を払って入ります。)

 泉光院は、文化九年(1812)九月三日から文政元年(1818)十一月六日まで、6年2ヶ月にわたって、鹿児島から東北の岩手、山形まで,強力(ゴウリキ)の平四郎を連れて、托鉢・乞食をしながら歩きました。今から200年ほど昔のことです。長い旅の間、たまに渡し船を利用するほかは全く乗り物には乗っておりません。越すに越されぬ大井川ですら河口近くを歩いて渡っております。道筋も、東海道・中山道といった大きな街道筋は避けて、農村山村の間の脇道を通っております。日記には克明に通過地点、宿泊地、参詣した寺社、が記入してあるので、現代のロードマップの上でも相当高い確度で足跡を追跡出来るのです。
日記の中には退屈な記述もあるので、所々省略します。省略した場所は ‥‥‥、
本文の概要を書くにとどめた場所は …(概要)…というふうにして進めることにします。

では出発しましょう。

日本九峰修行日記第一巻      日向 大隅 薩摩 肥後 肥前 筑前 
                 筑後 豊前 長門 周防 (以上十ヶ國)

 日域九峰修行旅装の発端

  …(修験の祖 役小角(えんのおづぬ)が葛城山で悟りを開いてのち、紀州熊野・大和大峰・攝州箕面山等の霊峰を踏み開きたまい、修験の基礎を定めてより二千有余年、登山修行がいよいよ発展してきた。修験の家に生まれ、このあたりの数十人の山伏を支配する身としてここで深く思いを致して、命のある限り日本九峰の霊場を極めねばならないと考えた。)…
  と言うような前置きがあって、

 因て(よって)文化八辛未(シンビ・かのとひつじ)年の春、五十六齢にして致仕し、君上の御免を蒙り、翌壬申(ジンシン・みずのえさる)の秋九月三日吉辰をもて、草庵を旅立んと、太陽東に顯れ玉へる比(あらわれたまえるころ)、鈴掛に紐し、胎藏の脚半(はばき)、八つ目の鞋ちの緒をしめ、緑笈を肩にし、合力(ごうりき)平四郎と云へるに床皮等の具を荷はせ、宿出の法螺を立、獅子の引敷に鞭を揚て、飛錫(ひしゃく)の勢ひを催し、駈出の折から、直ちに爰(ここ)かしこの朋友の三つ四つの風雅の詠をもて送別を物しけり(是等の事多き故に別帳を作り記し置き爰に略す)、依て予も一章一句を殘して別れぬ。
山伏衣装・當山派・正面山伏衣装・當山派・側面


 これが六年二ヶ月にわたる旅のスタートでした。

山伏の衣装や持ち物についての説明が出てきましたので、図解をしておきます。

右は當山派(泉光院の属する宗派)の山伏の衣装。

鈴掛に紐し、…
歌舞伎「勧進帳」、富樫左衞門以下太刀持ち・番卒たちが居並ぶ所へ義経の一行が花道から登場しますが、その時、
♪旅の衣は鈴懸のぉ~、旅の衣は鈴懸のぉ~、露けき袖やしをるらん。♪ と謠が始まります。鈴懸は山伏の衣服の上に被う衣です。足に脚絆を巻き、草鞋を履いて身支度を調え、法螺貝を吹き鳴らして、 いざ、出立! というのが山伏の出発儀礼。

これから泉光院の足跡を追って古い時代の日本各地を旅します。
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15:34  |  街道周遊  |  TB(1)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

■Re: 山伏の写真を使用させていただくことは可能でしょうか

> 突然申し訳ありません。「日本人の信仰と聖書について考える会」の吉村忠敏と申します。ブログに掲載されております山伏の写真(正面向きのもの)を私のウェブサイトの日本とユダヤの類似点を説明するサイトで使用させていただきたいのですが、許可いただけますでしょうか。

ヨリックと申しております。
使ってもらっても構いませんが、一応出所をはっきりさせておきます。
書名  : 山伏入門
監修  : 宮城泰年
発行所 : 淡交社 平成18年

この本は現在の日本における山伏の現状をかなり丁寧に書いております。
ワタクシが使ったのは當山派の装束です。
山伏の装束にはほかに本山派というのがあります。
本山派は京都聖護院、當山派は京都醍醐寺三寶院。

少々気になりますのは、山伏とイスラムの精神の違い。
山伏はあらゆるものに「神性」を見てこれを尊んでいます。
イスラムは、ワタクシはよく知りませんが、
「唯一の神である、アッラー、以外のものを
認めない思想だろうと思います。

衣装というものは、内心を外に表すもの。
山伏の装束と、イスラムの着物の間に共通性はあるとは
考えられません。

単純に外形だけをあげつらうのはいかがかと思います。
ヨリック |  2016.05.08(日) 23:01 |  URL |  [コメント:編集]

■管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
 |  2016.05.07(土) 14:35 |   |  [コメント:編集]

■泉光院さんのお話し、懐かしいです。

メールで拝見していました頃から何年経つでしょうか。
再びヨーリックさんと、泉光院さんとの二人三脚?がはじまりました。(*^_^*)
お元気に、日本中の旅を楽しんでくださいね。
時々、覗かせていただきたいです。
秋が無くて、いきなり冬になってしまった冷え込みです。
くれぐれもご自愛ください。よち
もぐ |  2013.11.12(火) 09:28 |  URL |  [コメント:編集]

■野田泉光院のこと

ヨリックと申しております。
かなり以前から野田泉光院の日記が好きになっていて、その足跡を追って少しずつ部分的に歩いたりしております。
今後色々ご教示下され度お願い申し上げます。
yorick |  2013.11.06(水) 11:54 |  URL |  [コメント:編集]

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