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2011.06.23 (Thu)

ヨリックの散歩道 金澤006 モナミ

金澤で私の通った喫茶店は、竪町にあった「郭公」と「モナミ」、本多町
石浦神社の隣にあった「木呂場」、殆どこの3軒でした。
それぞれ特色があって、いずれかの喫茶店の椅子で私を発見できる、という
ような状況でした。

「郭公」はアンティークな感覚で統一されていて、ひと言でいえば《美しい》
ことが特色でした。ママも、店の女の子たちも、みんな上品な美しさでしたし、
店の調度や椅子・コーヒーカップもいいものを使っていました。中でも立派だった
のは、スピーカーがイギリスのタンノイ社製、エジンバラという名前の大きな
スピーカーで、これを鳴らすための装置は中二階の仕切りの中に入っていて直接
私たちの目には触れませんでしがスピーカーはよく鳴っていました。

「木呂場 ころば」にはバッハのレコードがたくさんありました。おそらく
発売されていたバッハのレコードは全部買ってあったのだろうと思います。
夜も11時を過ぎるとママは二階へ上がって寝てしまうので、それから後は私たち
金沢大学オーケストラの連中の時間、夜が明けるまでレコードをならして
楽しんだのでした。

この二つのお店のことはまた別の機会に書くこととして、「モナミ」のことです。

まず当時のお店の雰囲気を伝える写真を載せておきます。
monamishitsunai

「モナミ」は鞍信一さんが昭和8年8月に竪町で、石川県における喫茶店経営の
先駆けとして開業したモダンな喫茶店でした。鞍さんは名曲を聴かせるモダン喫茶の
名物マスターとして知られましたが、鞍さんにはいくつもの顔があって、生涯、
モダンボーイとしての一生を送り、また金澤における大衆文化の担い手として
幅広く活躍していた人でした。

鞍さんは喫茶店のマスターとしての仕事のほかに、映画興行の企画や宣伝の仕事を
手始めに、雑誌「モダン金澤」の編集・発行、演劇の劇団の組織、といったさまざまな
仕事をしていたようなのですが、それは伝え聞くだけですからここに書くのは
差し控えます。
鞍さんの風貌です。レコード盤を持って笑っている図です。
monamikurashinichi
昔のモダンボーイはベレー帽をかむるのが定番でしたし、だからワタクシも
今でもベレー帽をかぶっています。友人であった横山サンもいつもベレー帽でした。

お店へ入ると左側が天井まで届くレコードの棚にギッシリSPレコード
(このSPというのはLP、Long Play が出てからそれに対応する形で付けられた
名前で、Standard Play 、つまり片面約4分間の演奏時間、落とすとすぐに
割れてしまう、という厄介なレコード盤。ベートーヴェンの第9交響曲だと
トスカニーニは早かったので8枚、ブルノー・ワルターはゆっくり指揮したので
8枚半という量が必要でした。)
が積んであり、それを横目で見ながら洒落た椅子に座ってマスターにコーヒーを
頼むのでした。
monamiko-hi-miru
この写真は、平成元年 講談社刊「昭和・二万日の記録」第4巻に載っていた記録写真で、
お店に貼ってあったポスターと、お店で使っていたコーヒーミルです。
このコーヒーミルの写真の横に説明文がついています。「米・ホバート社製。
昭和八年開業の金澤の喫茶店「モナミ」は昭和10年、アメリカ製のコーヒー挽きを
購入した。この製品は、東京芝の木村コーヒー店が販売を取り扱っていた」と書いて
あります。
ブラジル珈琲のポスターには「明朗と健康を與へるこの一杯!」と書いてあります。
昭和初年の雰囲気を伝える資料です。

その頃コーヒー一杯は¥80でしたがここモナミでは「学生コーヒー」というのが
ありまして、それは¥50でした。お金のないときにはそれはとてもありがたい値段でした。

このような「喫茶店」というのが流行しだしたのは昭和10年頃からのことであって、
それまでのカフェーというのは女給さんが客の横にはべってサービスする場所で、
コーヒーを飲むというより酒を飲ませる所だったのだが、高いのと、チップを
要求されることなどから次第に衰退して、純喫茶とか、名曲喫茶という喫茶店が
増えてきたのと、レイモンド作曲・瀬沼喜久雄訳詞の ♪小さな喫茶店に入った時の
二人は、お茶とお菓子を前にして一言もしゃべらず、そばでラジオが甘い歌を……♪
というような歌が大流行して喫茶店ブームが到来したのでした。
東京・銀座ではオデオン・コロンバン・資生堂・サヴォイアといったハイカラな店が
立ち並び、綺麗なウエイトレスを眺めつつコーヒーを飲み、芸術論をたたかわすのが
当時の最先端の風俗でした。大学の学生がたくさんいた神田神保町あたりの
「アイネクライネ」という喫茶店でもNo.005に写真を載せておいたクレデンザと
いう蓄音機が鳴っており、コーヒー一杯の値段も、銀座では15~20銭でしたが、
学生街の喫茶店では10~15銭とちょっと安かったのです。

喫茶店には決まって看板娘がいました。私が行っていた頃のモナミでは鞍さんの娘
である久子さんが店に出ておりまして、チャコチャンと呼んでいました。
レコードを鳴らして貰う時でも、一万枚を超えるという大量のレコードの中から
すぐに目的のレコードを探し出して、学生コーヒー一杯でいつまでもねばる私のような
客もいやがりもせずつきあってくれたのでした。

私にとって、モナミ=Mon Amie = 私のいい人 だったのでした。
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14:10  |  金澤  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

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 |  2017.10.27(金) 20:44 |   |  [コメント:編集]

■Re: こんばんわ。

ヨリックのブログをお訪ね下さりありがとうございます。

ワタクシが金澤に居りましたのはもう半世紀も昔のことでした。
その頃は金澤城内に金沢大学があって、オーケストラの練習が済んでから、下主馬町、
いまは幸町というのですが、そこへ戻る途中に、石浦神社の隣にあった「木呂場」へ
立ち寄ったのでした。
たくさんレコードがあって、ご迷惑だったでしょうが、夜遅くまで勝手に鳴らしていたのでした。
あなたの曾祖母さんだったのですね。
ワタクシ共が夜遅くまで一杯のコーヒーでねばっているのをいやな顔を見せずに
お付き合い下さったことを今でもはっきりと思いだします。
今でも感謝の念をもって思い出すのです。

ワタクシのブログでは、半世紀前の金澤の状況をワタクシの思い出とともに書いております。
もしお読みくださるようでしたら、次の日付のものを開くと出てくると思います。
2011年6月12日が一番最初で、2012年5月26日がこのシリーズの最後。全部で45回。
そして、2014年7月25日から8月31日まで別のシリーズで5回分。
宜しくお願いいたします。
             柴木勇一 拝。

> こんばんわ。
> コロバは私の曾祖母がしていた喫茶店でした。
> 先日102歳で天寿を全うしました。喫茶店コロバを検索したところ、こちらの記事がヒットしました。
> 当時の様子を知れて、書いていただきとても嬉しいです。ありがとうございます!!
ヨリック |  2017.10.26(木) 22:05 |  URL |  [コメント:編集]

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 |  2017.10.25(水) 20:18 |   |  [コメント:編集]

■ヨリックさん

こんばんは。
いかにもモダンボーイのヨリックさんらしいモナムール=モナミの記事を、楽しく拝見いたしました。お気に入りに登録させていただきます。
もぐ |  2011.08.01(月) 20:27 |  URL |  [コメント:編集]

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