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2014.07.28 (Mon)

ヨリックの金澤・2014年夏 02

ホテルKKRで目が覚めて窓の外を見るとホテルの部屋から金澤城
右のような風景。木が生えているだけのようですが、木々の間に屋根が見えます。この屋根は全部金澤城の建物。ホテルは金澤城大手門のすぐ前に建っているのです。ホテルの敷地は前田美作守屋敷の跡地で、明治維新後は国有地として召し上げられたのですから、国家公務員用のホテルが建っているわけです。
今日は朝飯前にお城と兼六園を見物に行きましょう。
大手門入口大手門枡形


まずお城入口。段を上ると巨石を組んだ壁にぶつかります。右の写真のように直角に曲がった所に大手門がありました。この構造は枡形といってどこのお城でもこういう造り方になっています。真っ直ぐに城内へ入る事が出来ない構造になっているのです。お城の銃眼
石の壁の上には櫓があって、もし敵が攻めてきた場合は銃眼が並んでいて鉄砲の弾が飛び出します。だがこのお城を作ってからは一度も戦争はなかったのでした。

大手門から城内へ入ると下の写真のように広々としております。
城内へ入る
ここの所には土蔵とか台所とか、人が暮らすに必要な施設があったのだろうと思います。お城には大勢の従業員が暮らしているのですから。





もう少し行くと菱櫓が眼前に迫ります。菱櫓


菱櫓と言われるのは建物の平面が直角ではなくて、100°と80°、つまりわずかではありますが菱形になっているからです。
こうしておくと窓から覗いた時に、西側の窓からは大手門が正面に、北側の窓からは石川門が正面に、つまりお城の防御に重要な場所であるこの二つの門の有様がはっきり見えるかららしいのです。
右の写真は大手門側から見た菱櫓。
菱櫓と五十間長屋


そしてこれは石川門方面から見た菱櫓と五十間長屋。
ちょっと判りづらいので説明をしておきます。
一番右が河北門の一部で、先ほどの写真の場所(新丸といいました)からちょっと上がって河北門を通り抜けると三の丸の広場。正面右のちょっと高いのが菱櫓でそれに続いて五十間長屋、左の森が本丸附壇と本丸のあった場所、現在は建物はありません。
菱櫓北側の窓からは真っ直ぐにこの場所の後ろにある石川門が望めるのです。

ちょっと歴史を振り返りましょう。
中世、室町時代、加賀では一向宗の信徒が結束して足利幕府の守護であった富樫政親を高尾城に攻め滅ぼして自殺させ、ここで独立国を作りました。長享二年(1488)のことです。一向一揆と言われました。京都本願寺から、本尊、開山御影、御伝、名號、佛像などが送られてきて、上の写真左の森のあたりに金澤御坊というお寺を建ててそこを政治の拠点にしたのでした。それからほぼ100年、「百姓の持ちたる國」として独立国家を作っていたのです。
天正八年(1580),佐久間盛政らの軍が金澤御坊を攻め取り、尾山城と改め、一向宗の作った國は滅びました。
天正十一年(1583) 羽柴秀吉が尾山城を手に入れてこれを前田利家に与え、利家は四月に入城した。ここから金澤城の歴史が始まります。

金澤城はしょっちゅう落雷や火災に逢っていて、江戸時代に作った建造物で今に残っているのは石垣の他には石川門と三十間長屋くらいのものです。
石垣はかなり丁寧に作ったようで、お城の周りじゅう立派に残っています。
石垣のサンプルが展示してありました。

野面積み
左のは野面積み(のづらづみ)。
石を加工しないでそのまま積み上げます。
うまく積めばとても堅固な石垣になります。

打込み接ぎ次のが打込み接ぎ(うちこみはぎ)。
外側に出る面を叩いて平らに加工しました。
遠目には綺麗に見えます。
急勾配の石垣を組めるので高石垣にはこの方法が多用されました。

切込み接ぎこれが切込み接ぎ(きりこみはぎ)。
石同士が接する面すべてを削り上げてピッタリあわせます。石垣の芸術品です。
だが水はけが悪いので、内側土壌の排水をしっかりやらないと内側から膨れてきて壊れる。

石川門あたりをよく見ましょう。
石川門

百間堀に架かる橋上から見た石川門。
この門はお城の裏門(搦手)です。

金沢大学がお城の中にあった頃は大学の正門でした。
入ってみましょう。

石川門・枡形
入口の門は小さい高麗門ですが、中へ入ると枡形はかなり広く(左の写真)、突き当たりの石垣は切込み接ぎ、左側の石垣は打込み接ぎになっています。
元々は文禄元年(1592)にこの門を作った時は全面が左の打込み接ぎだったのだが、宝暦九年(1759)、金澤城下で空前絶後といわれる大火があって、そのとき城内の建物百二と土蔵十九が焼けました。
石川門の再建が出来たのは焼けてから28年目の天明七年(1787)でした。正面の石垣はこの再建の時に作ったもので、前田家としては左側の石垣も同じようにしたかったのだが、幕府ににらまれるのを恐れて古いままにしておいたのだと伝えられています。
大手門もこの時の火事で焼けたのだが結局は再建しないまま明治維新を迎えてしまったのでした。
石川門・枡形から
左は石川門左側の二層の櫓。この櫓も菱櫓となっていて、内部は殺風景な建物だという事です。窓を閉めると真っ暗闇。
石川門・門扉石川門・扉の構造<>


右は枡形から右を見た所にある門ですが、非常に堅固に作ってあって、厚い鉄板を鋲で打ち付けてあるので容易には壊れないようです。また屋根瓦も鉛板で葺いてあって、いざ戦争!という時には溶かして鉄砲の弾丸にするという工夫がしてあったそうです。
明治4年になると金澤城は明治新政府の所轄になって、陸軍省のもとで不要の殿閣や倉庫はすべて破壊され、明治6年には歩兵第7連隊が、明治29年になると第九師団司令部、第六旅団司令部が置かれたのでしたが、昭和20年には日本軍隊はいなくなり、代わりにアメリカ進駐軍がやってきました。敗戦処理が終わってアメリカ軍も居なくなると今度はここに金沢大学が入る事になり、大学事務局と、法文学部、教育学部がもと兵舎を教室に改造した建物で授業が始まったのでした。
大学のグランドになった
左の写真は旧三の丸の場所が金沢大学のグランドになった風景。
真ん中に見えているのが石川門です。

工学部は以前からあった金澤高等工業學校の、医学部と薬学部は金澤醫科大學の、そして理学部は第四高等學校の校舎がそれぞれ使われました。それぞれバラバラの場所でした。
ワタクシは昭和27年から工学部に勤務する事になったので、家から小立野の坂を上がって医学部の前を通過してさらに遠くまで歩きました。
ワタクシは勤務先には内緒で、教育学部音楽科の佐々木教授、対位法の授業をコッソリ聴講するために週一回自分の仕事場を抜け出して兼六園を通過し、石川門から大学構内に入って授業を聞き、またコッソリ戻ったのでした。

もう一つ江戸時代の建物で残っているのが三十間長屋。
三十間長屋
二の丸から本丸に上がる途中にある堅固な建物で、切込み接ぎの土台の上に幅三間、長さ二十六間余(約47m)、二階建てで、腰の部分はなまこ壁、屋根は鉛瓦になっている。
用途は倉庫で、鉄砲倉と呼ばれていたらしいのだが、金沢大学が入ってから書庫として使っていたらしい。その後修理をして昭和32年には重要文化財に指定されました。
本丸へ登る

この三十間長屋の場所から振り向くと右の写真。本丸への登り口です。
今は深い森に包まれ、ここに天守閣があったとは見えません。作っても建てても落雷で炎上し、大火で焼失し、天守閣を作るのを諦めたのです。
天守閣のあったあたり、本丸の一番高い場所まで上がってみました。

左、眼下遠くの方に見えるのが菱櫓で、こちらの方にのびている建物が五十間長屋。
本丸から二の丸を望見
その左側の空き地が二の丸です。ここの所に藩主の居室があったり、お城の財政などを預かる管理事務所があったのでしょう。

城内ではまだ新しく何か建物を建てるべく工事をしているようでした。そんなものをつくるのはつまらないからよせ!と内心は思っていたのでしたが、観光客を集めるためにはやはりゴチャゴチャと賑やかにいっぱい建物があった方がいいのかも知れません。

朝早く、人の来ぬ間にひとまわり急ぎ足で見物してきました。細部や注意点などについては何れ又機会があれば書きましょう。
兼六園はほんとうは有料なのですが、6時45分までに開いている門を見つけて入れば無料だという事です。7時少し前になると料金所の係員が出勤してきて入場料徴収という課せられたお仕事を始めるのですから。

ここで次に兼六園に入るのですが、その前にちょっとワタクシ事のお知らせを一つ。

日記7月27日の項に書いた事ですが古本屋「百寿堂」主人が企画した「一箱古書店」にワタクシが出品する予定の本をここでも紹介させて下さい。
お店の名前は「ヨリック書房」とでもするつもりです。

奈良の寺 全21冊 1975年岩波書店刊第1刷 
 1. 法隆寺 西院伽藍         2. 法隆寺 東院伽藍と西院諸堂
 3. 法隆寺 金堂釈迦三尊       4. 法隆寺 五重塔の塑像
 5. 法隆寺 夢殿観音と百済観音    6. 法隆寺 玉虫厨子と橘夫人厨子
 7. 法隆寺 小金銅仏         8. 法隆寺 金堂壁画
 9. 薬師寺 金堂薬師三尊と聖観音  10. 薬師寺 東塔
11. 興福寺 八部衆と十大弟子    12. 興福寺 東金堂の諸像
13. 興福寺 北円堂と戒壇院の諸像  14. 東大寺 大仏と大仏殿
15. 東大寺 法華堂の乾漆像     16. 東大寺 法華堂と戒壇院の塑像
17. 東大寺 南大門と二王      18. 唐招提寺 金堂と講堂
19. 唐招提寺 金堂の仏像      
20. 唐招提寺 鑑真像と木彫群
21. 西大寺 舎利塔 十二天

大和の古寺 全7冊 1981年岩波書店刊第1刷大和の古寺4新薬師寺他

1. 中宮寺 法輪寺 法起寺      
2. 当麻寺
3. 元興寺 元興寺極楽院 般若寺 十輪院
4, 新薬師寺 白毫寺 海龍王寺 大安寺
5. 秋篠寺 法華寺 円城寺 不退寺
6. 室生寺
7. 浄瑠璃寺 岩船寺 海住山寺

岩波書店では「奈良六大寺大観」という超豪華なシリーズを出版しましたが、これはその廉価版シリーズといえるでしょうか。
本のサイズはA4より大きいので表紙の一部を入れました。


ユリシーズ  James Joyce 著
          丸谷才一・永川玲二・高松雄一共訳 集英社刊
         Ⅰ Ⅱ Ⅲ の3冊本
この3冊に 「ユリシーズのダブリン」という写真集(+原文・訳文 少々)というのをあわせてセットとして出します。柳瀬尚紀編著 松永学写真 河出書房新社刊
ユリシーズのダブリン・内容
ユリシーズ本文の中にに登場する街や建物や橋や塔、そういったものの写真が満載ですから難解を以て知られたユリシーズの理解に幾分か役に立つ事でしょう。写真は写真集の真ん中あたり、第11挿話シレーヌの最後のページと第12挿話キュクロープスの冒頭。



奥天龍ろまん紀行 全6巻  新葉社刊奥天龍ろまん紀行巻四表紙
巻一 一億年の旅 南アルプス       
巻二 百谷百俗 天龍川
巻三 神々のかよい路 東山道
巻四 馬千匹、賑わう 伊那街道
巻五 炎乱れ舞う 秋葉道
巻六 素顔のジパング 飯田線

巻五の表紙です。

これを書きながら、もう一つ、
よく飛ぶ紙飛行機 vol.1~vol.5の5冊も出そうかと思っています。
よく飛ぶ紙飛行機・表紙
本に印刷してあるパーツを切り抜いて貼り合わせて作る紙飛行機です。
1冊あたり10機ほどの紙飛行機が入っていますから全部で50機の紙飛行機が作れます。
一つも切り抜いてない、完本です。飛行機好きのオジサンに好適です。


興味のある方は、8月2日(土)・3日(日)の両日、浜松市中区中沢町の古本屋「百寿堂」のお店の前で、
「ヨリック書房」の名前で出ております。
是非お立ち寄り下さい。
場所は二俣街道、(国道152の1本東の道、ヤマハ工場の裏側の通り)中沢郵便局の隣です。ワタクシにメールをされる方は yorick@royal.ocn.ne.jp 宛にご一報下さい。
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21:11  |  金澤  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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