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2014.08.31 (Sun)

ヨリックの金澤・2014年夏 05

兼六園は名園です。一木一石のたたずまい、曲水の流れ、すべてに風雅の趣。自分の足で歩いて、自分の五感で感じ取りましょう。先ほどの徽軫燈籠から川の流れに沿って上流へと歩を進めます。
雁行橋a
雁行橋。
亀甲の形をした赤戸室石が、雁の空を行くが如く配してあるので雁行橋とも亀甲橋とも言います。
橋というものは本来は人間が川を渡るために作ったものだと思いますが、磨り減るのを怖れて入場料を取るようになってからは人間の渡る事を禁じています。雁行橋b

(右の写真)よく見ると石の真ん中あたりが少しばかりへこんでいるようです。
形あるもの必ず滅す。とは佛教でもよく言われる事ですし、人間の作ったものは必ず壊れるものである事、原発事故を見てもよく判る事です。
諸行無常。すべての現象は移りかわってゆくものであると認識するのが悟りの初歩である、とお釋迦さまも言ってるじゃありませんか。石が磨り減って穴の開くのを怖れて人間が歩くことを禁止するのはどんなもんですかねぇ。
左上の写真、橋の向こうに燈籠が見えています。そのあたりが七福神山(左下)。
七福神山
よく判らないのだが大黒天とか毘沙門天や福禄寿、辨財天など言った石が配してあるのでしょう。
日本の庭園を見るためには、こういったさまざまな見立てを知っていないとダメなんです。きっと丸くて大きいのが大黒サンで、細長いのが福禄寿、だとか、弁天サマは前の方にいらっしゃるのだとか、、いろんな決まりごとがあるのだと思います。

ここから曲水にかかる橋を渡ると、大きな銅像が見えます。日本武尊・銅像
ヤマトタケルの銅像なんですが、この銅像が建てられた理由がワタクシにはさっぱり判らない。建てられたのは明治10年で、西南戦争で死んだ人の魂を祀るという目的だそうなのだが、金澤の兵隊が九州まで出かけて西郷隆盛討伐に荷担したという話は聞いた事がないのです。それよりもワタクシの記憶にしっかり残っているのは、この台座の石組が「三すくみ」になっている、という話。日本武尊・台座

三すくみというのはジャンケンのように、強いのと弱いのとがあって全体としてうまくまとまっているシステム。
左がその台座。
この台座には、ヘビとカエルとナメクジの石が組んであって、ヘビはカエルに勝つけれどもナメクジには負け、ナメクジはヘビに勝ってカエルに負け、カエルはヘビに負けてナメクジに勝つ、というのです。それでこの台座はどんな天変地異があっても絶対に壊れないのだ!と子供の時しっかりと教え込まれたのでした。だが実はどの石がカエルやヘビやナメクジなのだか、いまに至るまで誰も教えてはくれません。この銅像の前に立つたびに、どの石がどの生き物なのだか目を凝らしていているのだが未だに判らぬままです。中国での三すくみは、「螂蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食螂蛆、互相食也」となっていて、螂蛆はナメクジではなくてムカデの事だそうです。
根上がり松根上り松・根

銅像の向かいに根上り松の巨木が見えます。見事な大木。

そうして菊櫻というのがこの松の右側の方にあるのですが、初代菊櫻は枯死してしまっていま二代目に代替わりしているので写真は撮ってないのでした。
菊櫻・花弁

左は初代菊櫻の花弁です。
一つの花弁に300枚を超える花びらがついているのです。いまは二代目菊櫻ですが花弁の数の多いことは初代と違うわけではありません。
この花が咲くのは他の櫻よりちょっと遅いので、花見の盛りがすんだ頃に行くのが好いでしょう。

曲水にかかる花見橋。曲水・杜若見頃
杜若の頃が一番の見頃です。
五木寛之氏が朝早くここへ来た時、この杜若の所に人が集まっているのを見て、随分不思議がったことを何かの随筆に書いておりましたが、金澤に長く住んでいる人ならわかることです。
五木寛之氏が驚いたのは、杜若の花が開く時のかすかな音を聞くために人が集まっていたことでした。

躑躅の花が杜若より少し先に咲くので両方同時にというのはちょっと難しい。
花見橋
左は花見橋から見た躑躅。杜若にはまだちょっと早いようですね。

この橋を渡ると成巽閣の裏門に出て、そこから成巽閣に入ります。観光客が成巽閣に入る時は裏門からでしか入る事は出来ません。この建物は13代藩主斉泰が母親の隠居所として建てたのですが、江戸時代末期の大名建築として、豪華と風雅、詳しく見ていくと、日本建築の素晴らしさがよく判ります。成巽閣は別途項を改めて書くことにします。

成巽閣裏門の左へ行けば山崎山で、西麓には芭蕉句碑があります。
山崎山・芭蕉句碑芭蕉句碑・あかあかと


 あかあかと
 日はつれなくも
 秋の風

この句は奥の細道の帰り道、金澤の俳人の誘いでやってきて、犀川の橋の上で詠んだ(異説もありますが)という句です。
他にもこの句を彫った石はあちこちにあるようですが、これはわりに古いもののようです。
この山の裏側(東麓)には氷室の跡があって、冬の間に作って貯蔵しておいた氷を六月朔日(旧暦の)に掘り出して殿様に差し上げるのが「氷室開き」。氷室饅頭
庶民はその日、「氷室まんじゅう」(右の写真)というのを食べるのでした。
新暦では7月1日です。この日1日だけの予約販売。

成巽閣裏門の所を右に行くと金澤神社で、その前を降りていくと金澤という地名が生まれた泉、「金城靈澤」に出ます。

金城靈澤
芋掘り藤五郎という貧乏な男が山科(金沢市南部の山)で自然薯を掘って暮らしていました。男のもとに大和国から…わこ…という娘が砂金の袋を持って嫁いできました。男は、こんな物いくらでも落ちている、というのです。金の値打ちを知らなかったのです。金城靈澤・泉
芋はいつもこの泉で洗っているのだが、泉の砂の中に砂金が混じっているのです。
わこに教えられて砂金を取り、男は金持ちになりました。その泉はいまも綺麗な水をたたえては居りますが、昔のように砂金は出てきません。
金城靈澤・扁額

この建物は、大工をしていたワタクシの祖父が昭和初期に建てたものだと聞いております。
扁額に「金城靈澤」と書いてあります。
昔はこの泉を「金洗いの澤、かねあらいのさわ」と言っていたのだが、前田利家がここを領地にしたとき、それまで尾山と呼んでいたこの地名を、この泉にまつわる伝説を聞いて、金澤と改めたのだそうです。

ここに出口があるので一旦兼六園を離れましょう。
向かい側には石川県立美術館があって、その右側に陸軍第九師団の師団長官舎跡が県立美術館の別館になっていて休憩も出来るようになっています。氷室まんじゅうの写真はこの師団長官舎跡の一室で写したものです。右の坂道をずっと降りていけば最近有名になった金澤21世紀美術館。
石川県立美術館の左隣には加賀藩家老であった本多家の藏品館、その左隣が石川県立歴史博物館、その横に石川県立能楽堂、その向かいが成巽閣の正門と石川県立伝統産業工芸館、などなど、美術館・博物館がいっぱい並んでおります。
成巽閣・なまこ塀
成巽閣の正門の方へ向かいましょう。
堂々としたナマコ塀が並んでおります。
左突き当たりまで行くと正門です。
成巽閣・正面入口





金澤城内には藩主の住居は一つもありません。この成巽閣が唯一江戸時代の大名屋敷の面影を残す建物です。
前田家十二代藩主齊廣の夫人眞龍院は江戸本郷の邸(現在の東大の場所)に住んでいたのだが、夫の死後、金澤城二の丸に移り住んでいた。十三代藩主齊泰は、この母の隠居所としてこの建物を建てて、金澤城の東南方向に当たるので巽(たつみ)御殿と名付け、後に唐詩の一句、…成於巽而徳風備矣…から採って成巽閣とした。
この建物は廃藩後だんだん縮小されてついには三分の一程になってしまったのだが、それでもなお宏壮且つ優美な姿を見せてくれます。始めて写した写真

右の写真は、ワタクシが始めて写真機というものを買ったとき、この成巽閣の正門の中で撮影会というのがあったのでその時に写した写真です。
ワタクシにとっては貴重な記念写真ですのであしからず。
成巽閣のことは、《ヨリックの散歩道 金澤035 兼六園3》の項でかなり詳しく書いてしまったので、今回の兼六園はここでお終いにしましょう。

帰り道はもう一度公園の中へ入って、桂坂口から白鳥路、お城の周囲の堀だった道へ出て、ホテルKKRへ戻りました。左の上がが金澤城の三の丸から新丸にかけての領域で、右側は加賀藩家老職の奥村家邸や細工所などがあったのだが現在は裁判所が入っている。
白鳥路
きれいに整備されているのでお散歩道に好適です。いろいろの銅像や彫刻なども入っているので公園の延長のような雰囲気です。

白鳥路・三文豪

右がそんな銅像の一つで、金澤の生んだ三人の文豪。左から室生犀星、泉鏡花、徳田秋聲。
泉鏡花についてはちょっと書きたいこともありますので、何れ項を改めましょう。

ホテルKKRへ戻ったのは8時ですから、2時間半程の朝のお散歩でした。
KKR食堂から大手堀

窓から眼前に大手堀が見えます。
お城の石垣や堀を眺めながらの食事はとても気持ちがいいし、ここの食事はかなり「金沢風」料理なので、バイキングとは言えワタクシにとっては少しばかり懐かしい朝食。
そして近江町市場へ行って昨日のうちに頭に刻み込んでおいたお店に行って、「どぜうの蒲焼」や「金時草」や、ふぐとふぐの卵巣の粕漬、ニシンの糠漬、「へた紫茄子」等々の食材を買い込んだのでした。

どぜう・蒲焼
河豚とその卵巣・粕漬


左がどぜう(ドジョウ 泥鰌)の蒲焼、
右の上がふぐ(河豚)、下がふぐの卵巣の粕漬。
ふぐの卵巣はそのまま食べれば猛毒なのではありますが、3年程塩漬けにしておけば毒は抜けるので、その後粕漬けにするのです。
お墓参りに行きました。
大乗寺・参道入口
左は曹洞宗・大乗寺の参道入口。左側に屋根が見えますが、ワタクシの祖母はこの家から嫁に来たのでした。
柴木家・お墓


右がお墓。参道入口から100mほど登って左の石段を登った所にあります。

これで「2014年夏」の項を終わりにします。
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