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2017.04.09 (Sun)

泉光院の足跡 222 米饅頭

…此所より新田八幡へ詣づ。是れは矢口の渡しにて終命の新田義興の廟所也。御殿は小社也。後ろに廿間廻り計りの大竹藪あり。垣結ひ廻らしあり、是れ廟所也。矢口の渡しとは此宮の西にて田地となれり、心願の者弓矢を献ず。門前に矢賣店あり。…

新田八幡は、八幡太郎義家の子孫で、源氏の左兵衛佐源朝臣新田義興(さひょうえのすけ みなもとのあそん にったよしおき)を祀る神社です。
新田神社竹藪
よくは知らないのだが、新田義興は舟で多摩川を渡る途中、はかりごとのためにここで殺されたのだがその怨霊が現れるのでここに祀ったのがはじまりだと伝えます。
歌舞伎「神霊矢口渡」に脚色されて江戸時代の人は知らないもののない物語らしい。
この神社の境内には左の写真に見られるように(そして泉光院も書いているように)篠竹の藪があって、平賀源内という(江戸時代には珍しい自然科学者だった)人がここの竹で破魔矢というものを作ったのが評判になって、參詣の人びとが買い求めたのだそうです。新田神社
二本買って、一本を奉納して、もう一本を持ち帰って魔除けにするのだそうです。右が新田神社で、この裏手にある古墳が義興の墓だといいます。


矢口渡跡

左は戦後しばらく経った頃の矢口渡の風景だが、すでに渡し場はなくなってしまって、昭和24年に多摩川大橋という立派な橋が出来ている。


…夫より大師川原と云ふに詣づ。川崎の驛と云ふに出で戌亥の方海邊に十八丁行く在村に三丁計りの石垣あり、内に本堂六間四面、本尊不動、愛染、中段は大日、護摩三段。納經後川崎驛森田屋と云ふに宿す。

日本橋を出発して最初に渡るのが六郷川。いまは六郷川とは言わずに多摩川と言っている。
徳川家康はこの六郷川に大橋を架けさせたのは慶長五年(1600)で、千住、両国と並ぶ「江戸の三大大橋」と呼ばれるほど立派なものだったのだが、洪水のたびに流れるので、享保年間(将軍吉宗の頃)に川崎の本陣や問屋、名主が渡し船を始め、船賃を宿場収入としたことから宿は繁盛した。
川崎広重保永堂
廣重保永堂版「川崎」です。
六郷から川崎河岸に向かう渡し船。

下の方にちょっと拡大をしてみました。
乗っているお客は右からタバコを一服している商人ふうの男、荷物を組み直している男、近郷の女、侍らしい男、いろいろ居ます
船頭が竿を力一杯押している。

対岸の川崎河岸で待っているのは樽を四つ背中に乗せている馬や客を乗せたまま待っている籠、旅人らしい人も二、三人居るようだ。
川崎広重保永堂部分
さまざまな人たちがこの渡し船を利用している。馬や駕籠もそのまま船に乗せて運んだのでした。

右向こうに見える家は渡し船の運賃を支払う川会所の建物。当時の運賃は十三文だったという。


こちゃえ節、というのがあります。
♪お江戸日本橋七つ立ち、はつ上り、行列揃えてあれわいさのさ
   こちゃ高輪 夜明けて提灯消す こちゃぇ~こちゃぇ
♪六郷渡れば川崎の、まんねんや、鶴と亀との米饅頭
   こちゃ神奈川 急いで保土ケ谷 こちゃぇ~こちゃぇ
京の都まで全部の宿場を唄いこんで、京へ行く方の上り歌と、京から江戸への下り歌と両方、別の歌詞で出来ています。江戸時代の俗謡ですからちょっと色っぽい思わせぶりな歌詞があったりして面白い。
例えばワタクシの住んでいる浜松付近ではこういう歌詞になります。
♪袋井あたりで見付られ、浜松の、木陰で舞阪まくりあげ
   こちゃ渡舟(わたし)に乗るのは、新井宿

六郷川を渡って川会所で料金を支払って東海道へ入ると、奈良茶飯を商う茶店がありましたが、有名なのは万年屋。
川会所の反対側、『諸國道中旅鏡』という旅行ガイドブックんいは、道の左側に二階屋で描かれていて、弥次・喜多も万年屋に立ち寄って…ならちゃをさらさらと…食べた。一人前36文だった。万年屋江戸名所図会

右は『江戸名所図会』に描かれている万年屋の繁盛している様子。「万年」という看板がちょっとだけ見えている。
奈良茶飯
左は復元した奈良茶飯です。
この由来は、奈良東大寺などで始めたのが浅草金龍山淺草寺の門前の茶屋あたりで売り出して評判になって、…明暦の大火後、浅草金龍寺の門前の茶屋に始めて茶飯、豆腐汁、煮染(にしめ)煮豆等を調へ奈良茶と号(なづ)けて出せしを、江戸中端々よりの金龍山のならちゃ喰ひに往かんとて、殊の外珍しき事に興ぜり。…と、最初は浅草で流行っていたのがこの川崎でも評判になって名物になったようだ。
♪お江戸日本橋七つ立ち…するとちょうどこのあたりでお昼になってお腹がすく頃、六郷川でとれたシジミの味噌汁が付いているご飯です。
川崎大師平間寺
…夫より大師川原と云ふに詣づ…
こちらは泉光院がお詣りをした大師川原。正式には金剛山金乘院平間寺(へいげんじ)。川崎大師の名前で通っています。
初詣の集客力はとてもすごくて日本第三位。300万人近くが押しかけます。亡息も一度初詣に行った事があると言っていました。

「東海道名所記」に、…むかし弘法大師入唐して、わが御影おみづからつくり玉ひ、流沙川にながし給ふ所に年へて後に此浦にながれ寄り玉ふを、獵師引あげ奉りてあがめしより大師川原と名づく。…で、海から引き上げたその木像には…牡蠣がらがひしととりつきて今にあり。…でした。
またこのお寺は、京都醍醐寺三宝院の末寺なので、泉光院のお寺、安宮寺もやはり三宝院の末寺なので同系列なのです。
江戸時代の川崎宿の繁栄は川崎大師のおかげといってもいいようです。厄除祈願は庶民ばかりではなく、武士にも広がり、将軍家斉、家慶、家定、家茂らまでもが厄除け詣りをして、御成門を建立し御膳所としたので格式も高まったのでした。
その後の平間寺の発展に大きな役割を果たしたのは明治32年に操業を開始した大師電鉄(現在の京浜急行大師線)で、この頃から大師門前町が発展したのでした。

泉光院はここにお詣りをしてから川崎宿の旅館森田屋に泊まりました。

川崎の宿場を立って神奈川、保土ケ谷、と東海道を歩いてから金澤街道の方へ曲がって、鎌倉を一回りしてから藤沢のほうへ出ますが、ここではゆっくりあたりの風景を見ながら進むことにしましょう。
市場村一里塚拡大

川崎宿の本陣の前を通り過ぎると鶴見区に入って左手に「武州橘樹郡市場村一里塚」の石碑と赤い鳥居のお稲荷さんがある。
市場村一里塚稲荷社
左がお稲荷さんのあたりだが、右が「市場村一里塚」の石碑で日本橋から5番目の一里塚で、明治後西側の一里塚は壊されたが東側のだけが残って、石で土留めをしてお稲荷さんを祀った。

このあたりで東海道は鶴見川を渡るのだが、『江戸名所図会』には「橋より此方に米饅頭を売る家多く、此地の名産とす。鶴屋などいへるもの尤も(最も)旧(ふる)く慶長の頃より相続すると云ヘリ。」
米饅頭
これが復元された米饅頭(よねまんじゅう)。
鶴屋というのが一番古くて江戸時代初期からあったという。寛政十三年(1801)、太田南畝・蜀山人が幕府の仕事で大坂へ上がった時の紀行文『改元紀行』に、ここには鶴屋、亀屋ほか七軒の米饅頭を売る店があって、…一つ三文、籠代二文…と書いている。籠代というのは、買った米饅頭を(持って帰るために)入れる籠のことで、10個饅頭を買って籠に入れて貰うと32文払うことになるわけです。その場ですぐ食べてしまえば籠代は要りません。当時の米饅頭は、塩味のアンコを入れた大福餅を焼いたようなもので、皮も厚かったようです。これらのお菓子屋さんも、江戸時代が終わって明治になり、幕府の運営していた「東海道」という制度が崩壊すると次々と廃業に追いやられ、一番最後まで商売をしていたのは亀屋でしたが、これも明治末年で姿を消したのでした。JR鶴見駅の近くのお菓子屋さんで最近復元版の米饅頭を売り出しましたが、今の(上の写真のような)米饅頭は、薄いギュウヒ(求肥=羽二重餅のような)の皮に甘い漉餡がたっぷり入っていて、ぜんぜん昔の面影はないようです。
太田南畝(なんぽ)は、昼は有能な幕臣でしたが、夜は狂歌師太田蜀山人となり、「世の中は、酒と女が敵(かたき)なり、どうか敵に巡りあいたい」などと人を笑わせていた。大坂からの帰り道は中山道を通って、紀行文『壬戌紀行』というのを書いている。いずれ中山道のことを書くときにはこっちの方から引用するつもりです。
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*Comment

■伝統

いつもお立ち寄りいただきありがとうございます。
江戸時代のことを書いていて思うのですが、人間の考えることやしていることなど、昔も今もあまり変わりませんねぇ・・・というのがワタクシの感想なんです。
これからも食べ物の話をできるだけ拾い上げていきたいと思っております。
ヨリックです |  2017.04.11(火) 13:09 |  URL |  [コメント:編集]

■食べ物ばんざい♪

こんにちは。いつもお世話になっております。

ならちゃ飯にシジミの味噌汁を組み合わせる点、お江戸ですね。
どんぶりにいっぱいでも、さらさらーっとかきこむことが出来る便利なご飯だったのかな。

米饅頭、やはり当時の分厚い皮に塩味の餡が美味しそうです。
ご飯がわりにもなりそう。

有料のかご、スーパーのレジ袋みたいで面白いです。
つねまる |  2017.04.11(火) 01:58 |  URL |  [コメント:編集]

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