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2017.08.01 (Tue)

泉光院の足跡 244 吐月峰

ワタクシが北國は金澤という町で高校生だった頃の国語の教科書に、岡本かの子の『東海道五十三次』という小説が入っていた。全体でもそんなに長くはない小説なのだが、教科書だから全文入っていたわけではなかっただろう。
特に印象深かったのは、丸子の宿、とろろ汁を食べてから吐月峰柴屋寺、宇都ノ谷峠の十団子のあたりでした。そしてこの中には作樂井(さくらい)さんという「東海道人種」ともいうべき人が登場します。そうしてワタクシは何故かこの東海道の真ん中あたりの土地に一種のあこがれに似た気持ちをずっとずっと持ち続けていたのでした。
ワタクシが遠州という地に引っ越したのはこの小説が頭のどこかにこびりついていたのが一つの原因かも知れない。仕事の口を捜すのに、条件の一つとして東海道の真ん中あたりにある工場を考えていたのです。そして本社は東京にあるのだけれども工場が浜名湖のほとりの鷲津という小さな田舎町にあった会社に試験!を受けて就職したのでした。(途中入社でしたからあまり条件はいいとは言えなかったと思います。そしてこの会社はワタクシが定年退職してから後、奇妙な人が社長になったためにつぶれてしまって今は跡形もなくなってしまいました。)
安藤電気鷲津工場昭和38年従業員

この写真は、1963年、ワタクシがこの工場に従業員として働くようになってから3ヶ月後、会社の創立30周年記念で写した写真です。ワタクシもどこかに入っているのだろうけれどもどこに居るのか自分でもさっぱり判りません。
当時ワタクシが住んでいたのは後の方右側の建物、守衛所の建物二階の独身寮の一室でした。

入社してしばらく経ったある日曜日、吐月峰柴屋寺へ行きました。ワタクシの頭の中には岡本かの子の文章がシッカリ残っていたのです。しばらくの間岡本かの子と一緒に歩きましょう。

岡本かの子は漫画家岡本一平と結婚して、画家岡本太郎を生んだのだが、彼女が本格的に小説を書き始めたのはごく晩年になってからで、耽美妖艶な物語を書いた。
一平・かの子夫婦の結婚生活は奇妙なものではあったのだが、そのことは関係がないのでふれません。小説の文章はいつもの通り、… … で囲っておいて、ワタクシの注釈は地の文章そのまま行頭一字明けをしないで書きます。始めの方は省略して、

 …私が主人に連れられて東海道を始めてみたのは結婚の相談が纏まって間もない頃である。…

静岡駅に着いてから俥(くるま・人力車)を雇ってあべ川餅屋の前を通って橋を渡り、重衡と千手前の恋のことなどを主人から聞かされたりしながら丸子に着いてとろろ汁を食べるあたりから、

 …午前の陽は流石に眩しく美しかった。老婢が「とろろ汁が出来ました」と運んできた。別に変わった作り方でもなかったのだが、炊きたての麦飯の香ばしい湯気に神仙の土のような匂いのする自然薯は落ち着いたおいしさがあった。私は香りを消さぬように薬味の青海苔を撒(ふ)らずに椀を重ねた。丸子とろろ汁
 主人は給仕をする老婢に「皆川老人は」「ふじのや連は」「歯磨き屋は」「彦七は」と妙なことを訊き出した。老婢はそれに対して、消息を知っているものもあったし知らないものもあった。話の様子では、この街道を通りつけの諸職業の旅人であるらしかった。主人が「作樂井さんは」と訊くと「あら、いま、この前を通って行かれました。あなた等も峠へかかられるなら、どこかでお逢いになりましょう」と答えた。主人は「峠へかかるにはかかるが、廻り道をするから――なに、それほど会い度いというわけでもないし」と話を打ち切った。
 私たちが店を出るときに、主人は私に「この東海道には東海道人種とでも名付くべき面白い人間が沢山いるんですよ」と説明を補足した。
 細道の左右に叢々(そうそう)たる竹藪が多くなってやがて、二つの小峯が目近く聳え出した。天柱山と吐月峰というのだと主人が説明した。私の父は潔癖家で、毎朝、自分の使う莨盆(たばこぼん)の灰吹を私に掃除させるのに、灰吹の筒の口に素地(きじ)の目が新しく肌を表すまで砥石の裏に何度も水を流しては擦(す)らせた。朝の早い父親は、私が眠い目を我慢して砥石で擦って持って行く灰吹を、座敷に坐り煙管(きせる)を膝に構えたまま、黙って待っている。たばこ盆
私は気が気でなく急いで持って行くと、父は眉を皺めて、私に戻す。私はまた擦り直す。その時逆にした灰吹の口に近く指に当たるところに摩滅した烙印で吐月峰と捺してあるのがいつも眼についた。春の陽ざしが麗らかに広がった空のような色をした竹の皮膚にのんきに据わっているこの意味の判らない書体を不機嫌な私は憎らしく思った。灰吹の口が綺麗に擦れて父の気に入ったときは、父は有難うと言ってそれを莨盆にさし込み、煙管を燻(くゆ)らしながら言った。「おかげでおいしい朝の煙草が一服吸える」 父はここで私に珍しく微笑みかけるのであった。…

今はもうほとんど見ることの出来なくなった煙草をのむときの作法、刻み煙草をキセルに詰めて、壺の中に埋め込まれた炭火にかざして火をつけます。喫い終わった煙草の灰を竹の筒(それが灰吹きですが、吐月峰柴屋寺の名産だったので、「吐月峰」と書いて〔はいふき〕と訓(よ)ませました)の中に落とすのですが、その時キセルの雁首を吐月峰の口の所にポンと当てるのでそこが汚れたり凹んだりするのです。上の写真の吐月峰は口の所が凹んでいて汚れていますね。それを「私(かの子)」はいつも砥石で綺麗に磨かされていたのでした。
吐月峰柴屋寺門
前号の地図で、丁子屋から少し先に行った所から右に曲がって山の方に少し入った所に吐月峰柴屋寺があります。
右は柴屋寺の門。

 …まわりの円味がかった平凡な地形に対して天柱山と吐月峰は突兀(とっこつ)として秀でている。けれども矗(直を3個重ねた字、ちょく と発音する)とか峻(しゅん)とかいう峙(そばだ)ちようではなく、どこまでも撫で肩の柔らかい線である。この不自然な二峰を人工の庭の山のように見せ、その下のところに在る藁葺きの草堂諸共、一幅の絵になって段々近づいてくる。柴の門を入ると瀟洒とした庭があって、寺と茶室と折衷したような家の入口にさびた聯がかかっている。聯の句は、
 幾若葉はやし初の園の竹
 山櫻思ふ色添ふ霞かな

吐月峰柴屋寺庭園天柱山
庭園を廻って柴屋寺の裏へ入ったのが左の写真。名月の時、ここに腰を掛けて眺めると、右の山から月が現れる。満月
それが風流なのです。この山から月が出るので吐月峰と名付けられている。左の山は天柱山。


 …主人は案内を知っていると見え、枝折戸(しおりど)を開けて中庭に私を導き、そこから声をかけながら庵の中に入った。一室には灰吹を造りつつある道具や竹材が散らばっているだけで人はいなかった。主人は構わずに中へ通り、棚に並べてある宝物に向かって、私にこれを写生しとき給えと命じた。それは一休の持ったという鉄鉢と、頓阿彌の作ったという人丸の木像であった。私が、矢立の筆を動かしていると、主人はそこらに転がっていた出来損じの新しい灰吹を持ってきて巻煙草を燻らしながら、ぼつぼつ話をする。…
吐月峰竹細工
最近はここも観光化されて、吐月峰(灰吹きの方の)だけではなくて、ビールのジョッキやコップやマグカップのようなものも販売している(右の写真)。
入場料を払って入って、玄関左の部屋から時計回りに拝観順序が決まっていて、4部屋目くらいの小部屋の棚に「私」が「主人」からスケッチを命じられた宝物がある。
かの子の小説はこのあと、この庵の創始者である宗長のことや中世の連歌師の事などが続くのですが、ここで一旦おしまいにしましょう。

 …主人は新しい灰吹の中へなにがしかの志の金を入れて、工作部屋の入口の敷居に置き、「万事灰吹で間に合わせて行く。これが禪とか風雅というものかな」と言って笑った。…

これから先、「私」と「主人」の二人、そうして泉光院も通る宇都ノ谷峠にかかります。その昔、在原業平も通り、黙阿弥の芝居では文弥殺しの場所にもなった峠です。
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