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2017.08.14 (Mon)

泉光院の足跡 247 平四郎の病気

大井川の河口付近を歩いて渡った泉光院は、

…夫より川尻と云ふ村へ上る。當村百軒計りの處善根宿一軒もなし、州崎と云ふ所に庵室あり、是に行き玉へと教ふ、因て行く、直ちに出來たり。然るに平四郎は托鉢し旁々宿求めたる由なれど一切なし、據なく予が借りし州崎の堂へ來りたり、吾儘にしてもゆかぬ物也。當庵は州崎の堂とて絶景の地也、因て一句、
   夏の外や稻葉浪寄る州崎堂

大井川河口付近地図
対岸の、いまの吉田町川尻という所に着いた。この地図で吉田町と書いてある「町」の字のあたりです。このあたりはいまは養鰻業が盛んで、「吉田の鰻」は一種のブランド化している。
ここでは泊めて貰えそうな家はなくて、州崎へ行って庵室を借りた。平四郎は自分は別の家を借りようと思ったらしいのだが、どこにも貸してくれる家がなくて仕方なく泉光院の借りた庵室に来て泊まることにした様だ。
我が儘を言ってもうまくいきませんでした。
この庵は多少高い所に建っていたらしくて、多分眼下に太平洋があり、東を望めばきっと富士山が見えたのでしょう。

…今晩出家一人同宿、此僧近頃近寺へ住職して此邊見舞に歩けりと云ふ。予に一句望むに付辭せずして短冊に書く。
   西東何障りなし薰る風
廿七日 晴天。平四郎病氣にて據なく滯在。予は托鉢に出づ。圓應院と云ふ山伏あり立寄る。夕方庵室へ歸る。

この庵に僧が一人尋ねてきた。…近寺へ住職して…と書いてあるだけなのだが、きっっと1kmほど離れている能滿寺の僧だったのでしょう。このお寺は大蘇鉄で有名で(日本三大蘇鉄の一)、徳川家康が所望して静岡の城へ移設した所、毎晩蘇鉄が…帰りたい帰りたい…と泣くので(全くウソらしい話)また元の能滿寺へ返したという話。

廿八日 晴天。平四郎病氣少し平癒に付川尻村州崎出、辰の下刻。道々托鉢。川崎村内山堂と云ふに肥後の熊本大社參り夫婦の者居る故に此方へ行き一宿す。
廿九日 内山堂滯在。平四郎病氣養生す。予は托鉢に出で、晝過歸り味噌、薪、藥等調へて川崎と云ふ町へ出たり。水汲み飯炊きしたり。…

川崎という村は今は榛原(はいばら)町といいますが、川崎小学校というのにかろうじて昔の名前が残っている。
泉光院は平四郎という男を合力(ごうりき・荷物担ぎ、飯炊きといった下男役)として雇っているのだが、ここまで来たら病氣だからと言って解雇するわけにもいかない。
この日の日記には愚痴を長々と書かれているのです。
…平四郎は病氣致し不出。予は托鉢に出る、此間托鉢の時分予が托鉢稼ぎ也。儲(はたらき)惡きとて云ひ、自分の托鉢一升多きの二升多きのと云、然れども先日より病氣をして藥代米代、托鉢米の二升や三升多く有りたりとて元へかへる事也。天理自然の道理を不知(しらず)、文盲殘念なる事也。予は飯炊きたり味噌買い等調へに出る。或いは飯炊きする事也。悋なるも時による也。…

泉光院のボヤキ節もわからぬではない。だがお互い苦しいときには助けあわなくちゃ。

卅日 晴天。今日も據なく滯在。諸事調へに町へ出づ、今日も病人看病す。
七月朔日 今日も滯在。病氣は同様の體、藥を煎ずるやら彼是(かれこれ)病人に掛かり居る。毎日町へ調へ物にも出づ。

平四郎は一体どんな病気にかかったのだろうか。あと一ヶ月半ほどの間、泉光院は托鉢をして現金収入を得ながら、町まで買い物、また水汲み薪取り飯炊き、間には医者を呼んだり按摩を呼んで鍼療治をさせたりしている。
いちいち全部書いていてもしょうがないので、大きなエピソードだけにしておきます。

三日 同天。今日迄養生し居たる處、庵主回國者平四郎が病體を見、魂生の町人氣を見て、此庵に永々滯留にては近所の手前も宜しからず、宿を替へ玉へと云ふ。是より十四五丁南町丸山堂と云ふがあり。此方随分宜しき所也と教へ追立つる故、據なく晝時より出立丸山堂へ赴く。…

庵主というのがやって来て、病人がなかなか回復しないのを見て、ここに長いこと居られては近所の手前困るから、と言って、なかば追い出す様にするのです。…丸山堂というのがあってそっちの方がいいと思うよ、…というわけです。
仕方ないから引っ越した。ここだと買い物など町へ出るのに2kmほど歩かなくちゃならない。

五日 晴天。滯庵。仁王一部。米、味噌調への爲め上町へ十八丁計り行く事日に二度三度計り、水も汲む、背(かた)いたし(痛し)いたし。
六日 曇天。段々物入りに付兩替等する。南鐐一片賣、八百七十文。酒屋貞衛門方へ風呂入りに行く。新藏と云ふより加持頼みに付行く。種々饗應あり。

介護の泉光院。主夫業の泉光院。毎日こんな調子です。
お金がなくなったのだろうか、手持ちの銀貨「南鐐」というのを兩替に行きました。
南鐐
南鐐は二朱銀貨です。表面に「銀座常是」、裏面に「以南鐐八片換小判一両」と書いてあります。
四朱で一分(の金貨)、四分で一両(小判)、と四進法です。
この銀貨一枚で870文の銅銭になった。

泉光院たちがここに滞在している間、彼らの通らなかった東海道筋の宿場風景を見ておきましょう。
島田から大井川を渡った先が金谷宿、その次が日坂宿で、掛川宿、袋井宿、と続きます。
島田帯祭1
島田といえば、奇祭「帯祭」というのが3年ごとに行われます。

島田帯祭2

島田に嫁いできた花嫁は晴れ着姿で大井神社にお詣りして氏子となります。安産の祈願をすませてその足で町中を歩いて報告とするのです。しきたりだとはいえ見世物にされる花嫁の方はたまらない。それで帯を大井神社に飾ってから、大奴(おおやっこ)が腰の左右に差した大太刀に丸帯を掛けて練り歩く事になった。
日本髪に「島田髷」というのがあります。名前の由来はどうやらはっきり判らないようです。
髪型島田髷正面島田髷側面
左が普通の島田髷の正面で、右が側面。
ついでに文金高島田も。

文金高島田


大井川には江戸防衛上橋を架けさせなかった、と前に書きましたが、明治12年に蓬莱橋を架けたけれども上流で大雨が降るとたちまち急流となって、しょっちゅう壊れた。技術上の問題もあったでしょう。
蓬莱橋明治12年
蓬莱(ほうらい)橋です。
橋脚も木で出来ていた時代の橋の様子。洪水などでしょっちゅう流されたり壊れたりするので、昭和40年(1965)に橋脚部分をコンクリートにしたのだがそれでもよく壊れる。1997年に「世界最長の木造橋」としてギネスブックに登録された。
長さは897.4mなので、「厄無しの長生きの橋」と呼ばれる。長生きは(長い木)が正しい様だ。人間と自転車だけを通してくれる。料金は大人\100、小学生以下\10。
自転車も\100だそうです。

島田宿から大井川を正規の渡り方で渡った先は金谷宿。
金谷大井川遠岸東海道五十三次

廣重版画「東海道五十三次之内 金谷 大井川遠岸」

大井川の遠岸、つまり江戸から遠い方、ということでしょうか。
蟻が這うように大名行列の一行が行く。


人も駕籠も豆粒の様に小さく描いているので大井川の大きさが強調される。
最後尾は殿様の御駕籠。これを20人以上もの人足が大高欄輦台という豪華な輦台に乗せて運んでいる。
渡った先が金谷の宿です。
金谷石畳
無事に大井川を渡った旅人は、金谷の宿に着くと「水祝い」として一杯やった。箱根の峠を越えたら「山祝い」というのをやったのと同じ意味合いを込めて。

金谷の宿を出るとすぐさま急な坂を登ります。JR東海道線金谷駅の手前を左へ曲がって、線路の下を抜けると右のような石畳の道が出てきます。
以前から石畳はわずか残っていたのだが、金谷の町民が、一人一石運動、というのをはじめて、みんなで一個ずつ石を運んでご覧の様な立派な石畳道が出来た。しかし歩きにくいですねぇ、これは。底の硬い革靴だと石が丸いので気をつけないと滑ったりする。女の人のハイヒールはとても歩きにくい様だ。草鞋であれば全く問題なく足をやさしく乗せてくれる。ウオーキング用で底の柔らかい靴を履いて、つま先でバランスを取って石の上に乗せるといい。
登り切った所は一面の茶畑。
金谷茶畑一面
明治維新になって幕府のお侍サンたちはみなさん失業したわけですが、最後の将軍徳川慶喜さんに従っていたお侍さんは慶喜サンの力もあって荒れ地だった台地を開墾して茶畑にしたのです。
電車に乗っていると北側の窓から「茶」の字が見えて楽しい。
茶の字

静岡県のお茶は、生産量だけは全国一の筈です。出もこんなに日当たりのいい場所では美味しいお茶が出来るのだろうか。上等のお茶はやっぱり少し谷になっていて、霜がおりずに霧が出るようなやさしい地形とおだやかな風の吹く様な風土がいいのではないかと思います。

平四郎の病氣はどうなっているでしょうか。

七日 昨夜より今朝迄雨。滯庵。施餓鬼略作法相勤むる。七夕なれども平四郎は大病、旅中の七夕一句、
   七夕や只短冊を見るばかり
貞衛門、源藏と云ふ宅へ祝儀に行き種々馳走、木村八郎兵衛と云ふより祈念頼む、仁王二部、
八日 晴天。滯庵。今日迄は賣藥計りにて醫師に見せず、因て日々病氣重る様見ゆるに付、庵主共々醫師に見せんと言へども平四郎聞きいれず、據なく止む。仁王一部。加持人來る。今日も木村氏より祈念頼みあり初尾來る。今日は貞衛門と云ふに頼み、醫師令齋と云ふを頼み來り是非にとて見せたれば、是れ大病也と云へり。煎藥五貼直ちに煮じ服さしむ。丸山境内に火葬場あり、無常の煙りを見て一句、
   秋風やだびの烟は余所ながら
金次と云ふと云ふ宅加持頼みに付行く。

七月七日は七夕。新暦だと8月19日でした。お盆近くだから施餓鬼法要をやりました。泉光院も竹に短冊を吊す、なんてことをやったのだろうか。江戸時代にやっていた行事は平成の今もずっと続いているようだ。だが病人が居るので吊した短冊に一句を書き込む気にはならない。

平四郎は売薬を飲むばかりで、医者に診て貰うのを拒否するのです。医者に診て貰うとお金がかかるのです。
貞衛門さんに頼んで令齋という医者に来て貰った所、…是れ大病也…と言って煎じ薬を五袋くれました。いったいどんな病気だったのだろう。症状など書いてないので見当もつきませんが、なにしろ大病のようです。とりあえず薬を煎じて飲ませた。
この丸山堂の境内には火葬場が併設してあるらしくて、たまたま火葬があったのだろうか。荼毘の煙が立ちのぼるのを見て、改めて人生の無常を感じた。普段は「今日も昨日の如くありけり、明日もまた今日の如くありなむ」と生死の事など全く念頭になく暮らしているのだが身近でこんな事があると、「諸行無常」の偈が心に浮かぶ。
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