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2017.09.23 (Sat)

泉光院の足跡 255 犀ヶ崖

鳳来寺山を下りた泉光院は、三河一の宮、三河國分寺、と詣納經をして御油の宿で東海道筋へ出ます。天龍川を渡らず、新居の関所も通らないのでその間を簡単に書いておきましょう。泉光院は浜松宿、舞坂宿、荒井宿、白須賀宿、二川宿、吉田宿に足跡を残していないので、「泉光院の足跡」の表題で書くのは心苦しいのだがワタクシの住んでいる付近なのでお許しを願います。
池田宿天竜川渡し場標石天龍川鉄橋

見付の宿から東海道を西にむかえばすぐに天龍川です。
左はかって「渡し場」だった場所の石碑と向こうに見えるのが天龍川の堤防。暴れ川だから堤防も高くて大きいです。右の写真は天龍川を渡って浜松市の側の堤防から見た天龍川の川原と国道1号線の通っている橋。
天龍川明治天皇碑
明治元年、明治天皇は新しく東の方、江戸と言われた場所に都を作って「東京」と名付け、そこへ行くためにこの場所で一休みしました。
向こうに見えている神社の下から東海道です。

中野町東海道表示

ここが中野町で、『東海道巡覧記』には「中の町 京・江戸の眞中と云ふ」と説明している。ここからまた東海道が始まります。
中野町道路原票










中野町東海道スタート地点振り返れば中野町の町並。これが今に残る「東海道」の町並。
このままほぼ一直線に濱松城の下あたりまで続いているのです。
東海道松並木薬師町
中野町からもう少し行くと松並木が少々残っていたり(薬師町)、鳳来寺道という道標が見えて、東海道から分かれて浜名湖の北から本坂峠越で三河国へ、あるいは秋葉山経由鳳来寺山へというルートも見つかります。本坂越分岐点
目立たないけれども、ここが東海道と姫街道(本坂越えの道)の分岐点。鳳来寺道道標安間
まっすぐ行くと「鳳来寺道」という標石が見つかったりします。鳳来寺道道標


保永堂版「東海道五十三次之内 濱松 冬枯ノ圖 」
浜松冬枯れの図保永堂版

濱松宿に程近い街道筋のようだ。浜松冬枯れ城と松拡大
雲助たちが焚き火をしている手をかざして暖を取ったり、キセルで煙草を一服しているのも居る。遠くには濱松宿の家並みも(屋根だけだが)見え、徳川家康築城のお城も見える。右手に松が数本生えております。お城と松の木の部分を拡大しました。松の木(左から2本目)の横に立札が見える。「此宿、もと引馬(曳馬が正)の宿と云ふ由、いざよひの日記(十六夜日記、阿佛尼が1280年頃鎌倉幕府へくだった時の道中記)に見へたり」と書いてあるのだそうです。

この松の下で、永享四年(1432)、足利義教が富士山を見に行く途中に宴を催しました。そのとき、♪濱松の音はざざんざ♪、と謡ったことから、それまでは曳馬と呼ばれていたこの地が「濱松」となったということです。颯々松圖會颯々松圖會義教氏


義教氏だけ拡大もしておきました。
将軍足利義教が富士山を見に行くために京を離れたのは1432年9月10日のことで、歴史年表を見ていると、1441年6月に赤松氏に殺されるまでの義教氏は実に多忙な政治生活を送っていたことがうかがわれます。


颯々松野口町b
この松は浜松市の中心部からちょっと東にはずれた野口町の民家に一本だけ(代は替わっているのだろうが)残っていて、以前(ワタクシが浜松に住むようになった頃)その松の木の横にやはり立札が立っていて、「ざざんざの松」の由来が書いてあった。
颯々松野口公園

その後、右のお宅の松は廃せられて(有名な物を個人のお宅で管理するのは大変です)、近くの野口公園に何代目かの颯々松(この字でざざんざの松と読みます)が植えられ、由来を記した石碑も建てられました。

その後さらにこの颯々松は近くの八幡宮境内の片隅に移されてしまって、小さな松の木と石碑はあるのだが松の木は小さなものになってしまって今は見る影もありません。
謡曲のことをまったく知らないヨリックなので、本当は♪濱松の音はざざんざ♪というのは何かの謡曲に入っているのだろうと思うのですが、恥ずかしながら出典を書けないヨリックです。
それにしても!と思うのです。
「濱松」という地名は将軍義教氏によって名付けられたのであれば、浜松市長はもっと足利義教氏に対して敬意を払うべきではなかろうかと思うのでした。

江戸時代古地図で颯々松とワタクシの家の場所を入れておきました。
東海道は、右端、馬込川の「川」の字の所から右に真っ直ぐに伸びて、鍵の手に曲がってから下の方に延びている道です。左上のゴチャゴチャしているのは濱松城。
浜松古地図颯々松

濱松城は徳川家康が元亀元年(1570)、岡崎城を息子の信康に譲ってここに城を建てて入ってから17年住んでいて、この間に、三方原、姉川、小牧、長久手、と有名な合戦が行われています。江戸時代になってからの濱松城は譜代の大名が次々と入れ替わり立ち替わり入って、替わるたびに少しずつ偉くなって「つぎの領地へと」転勤して行くので「出世城」と呼ばれた。だが平和な時代になって、戦功を挙げることが出来なくなってからは出世するためには余程の才能があればともかく、普通の人が上司から「お覚えめでたく」偉くなるためにはやはりワイロが必要であっただろうし、そのためには集めた年貢のうちからかなりの部分がワイロに消え、数年ごとに城主が代わるので城主も「自分の領地」という愛着心に乏しいから、文化政策といったことに力を注ぐことはなかった。そのためだろうか、浜松という町は文化的には非常に後進地となっております。
金澤という町は、前田家代々が百万石余の財力を(軍備にはまったく使わずに)文化芸術のために投資して、京から師匠や職人を招いて、茶の湯、能楽、陶芸、漆芸、料理や菓子といったことに力を注ぎ、、さらには色町(東・西・主計町といった)を造って藝者さんを育てて、笛や太鼓の芸を楽しむといったことを広めたために、市民もそれに乗ったのでした。金澤では「謡が空から降ってくる」といわれましたが、それは植木屋が松の芽を摘みながら謡曲を謡うのでそのように聞こえたのでした。
浜松城天守
浜松城です。
「本坂越」の道は、江戸時代になって正式に東海道が制定されてからは脇道になってしまったのだが、浜松城の城郭を廻るようにして北へ、ワタクシの家のすぐ近くを通り、道路標識には国道257と「姫街道」を併記してあります。
姫街道は徳川家康が武田信玄の軍と戦って惨敗した記念の戦場である三方原を経て、浜名湖の北側、気賀から峠越えで三河国へと行きます。徳川家康おしかみの像
右は「徳川家康 三方ヶ原戦役画像」、俗に「神君お顰(しか)みの像」といいまして、当時31才だったのだが、この時の敗戦がよほど応えたらしくて、憔悴しきった老人のような顔に描かせて、この画像を座右に置いてその時の屈辱をかみしめ、将軍職に就く者は必ずこれを見るようにと遺言をしております。
なにしろ武田信玄の策略に乗せられて命からがら濱松城へ逃げ帰ったのですから。そしてそれは家康の戦歴の中で唯一の敗北でしたから。
犀ヶ崖三方ヶ原古戦場碑
犀ヶ崖を見下ろす

当時は荒野だった三方ヶ原から左、濱松城へ逃げ帰る途中にある犀ヶ崖古戦場の碑です。
そして右がその碑の裏から崖の下を見下ろした場面。
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この時の戦争の情況を書いておきます。

元亀三年(1572)10月、上洛の野望を抱いた武田信玄の軍はは甲斐國を出発します。甲斐から信濃へ入り、先号の所で書いた兵越峠、青崩峠あたりから遠江國に進軍して遠州北部を次々と手中におきながら南下して、三方ヶ原台地に陣をはりました。
老練な信玄は、堅固な濱松城を直接攻めるより、若い家康をおびき出して戦った方が有利と考え、一旦、台地から西に逃げ去るそぶりを見せます。
家康は直ちに濱松城を出て追撃します。
この時の武田軍は北条氏の援軍も併せて約35,000人、信玄52才。「魚鱗の陣」。
対する家康軍は約11,000人、家康31才。「鶴翼の陣」。
数に勝る武田軍に家康軍は総崩れとなり、家康も九死に一生を得てお城に逃げ帰るのです。だが家康は反撃に出るために一計を案じました。犀ヶ崖の所に布を貼って堅固な橋が架かっているように見せかけると共に、濱松城近くの普済寺に火を放って濱松城が炎上しているように見せかけたのです。武田軍は、チャンス!とばかり濱松城めがけて軍を進めたら布橋に乗り上げ、布橋は崩れて、人も馬も次々と崖下に転落したのでした。武田軍はそれ以上濱松城の攻撃をあきらめて西へ進みました。
徳川軍はこの時の戦死者1,000人に及び、大敗北でした。多くの将兵を死なせた家康は、この時の敗戦を教訓として無謀な戦争をしないようにしたのでした。
犀ヶ崖合戦図
左は「三方ヶ原合戦之図 揚州周延筆」。
左側が武田菱の文様があるので武田軍かと思われます。右の白馬に乗っているのが家康でしょうか。注釈が書いてないのでわかりかねます。


濱松城も、犀ヶ崖、普済寺も、みんなワタクシの家から徒歩10分ほどの所にあって、お散歩コースでありますし、犀ヶ崖周辺の町の名前は布橋一丁目、二丁目、などと古蹟を偲ばせる名前がついているのです。
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