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2017.11.21 (Tue)

泉光院の足跡 268 伊賀上野

關の地藏に詣納經をすませた泉光院は、…夫より伊賀國に赴く、… のですが、津から伊勢別街道を通って關宿まで行く途中に寺内町である一身田(いしんでん)の町と専修寺(せんじゅじ)があるので見ておきましょう。
専修寺如来堂

専修寺は真宗高田派のお寺です。
ワタクシがここへ行った時はちょうど御影堂の大修理の最中でした。
左は如來堂で、本堂である御影堂は右の方に少し見えている工事用の大屋根にスッポリ覆われていたのですが、特別に入る事を許可されて、ヘルメットをかぶって隅々までシッカリ見てまいりました。専修寺ふみ子ss
自分で自分のヘルメット姿を写せなかったので同行者のヘルメット姿を入れておきます。バックが白いので白いヘルメットがはっきり判りませんね。

左が修理前の御影堂。
専修寺御影堂修理前
この建物の解体修理をしているのです。


専修寺屋根修理中
修理中の中へ入りました。
屋根が全部取り払われて丸太のような物ばかりが目につきました。


専修寺屋根修理中魚

怪物のような魚が口を開けている。魚かも知れないし龍なのかも知れない。
屋根の一番端っこにこういうのが居るらしい。


寺内町というのは、室町時代から戦国時代にかけて、真宗の寺院を中心にして末寺や町屋を配置して、その外側には堀や土居をめぐらして一種の独立国のようになっていました。関西方面から北陸にかけて各地にあったようで、ワタクシの住んでいた金沢市も古くは今の金澤城のある場所に「尾山御坊」(という真宗・一向宗のお寺)を中心にできあがった町で、本願寺がここを拠点にして加賀國一国の支配権を確立し、富樫家という大名を廃して、加賀國を「百姓の持ちたる國」と言わしめたほどでした。近くには、富山県井波市瑞泉寺、福井県あわら市の吉崎御坊なども地内町でした。
そして門徒(真宗の信者を門徒と言います。前にも書きましたが、門徒もの知らず
といって、南無阿彌陀佛を唱えることで極楽往生できると、ただそれだけを信じて生きています)衆は戦国武将の管理下に置かれることに反発して、一向一揆を起こしたりしたのだが、武田信玄・上杉謙信・織田信長。豊臣秀吉といった軍事的に力を持った戦国武将にはとても敵うものではなく、大坂の石山本願寺を始め、各地にあった真宗の武装集団は徐々に解体されていったのでした。
金澤城も、前田利家の関ヶ原の戦いでの戦功によって金澤に入り、、尾山御坊のあった場所に城を築いて金澤城としたのでした。
前田利家は、金澤におおぜい居る門徒衆と融和政策をとったので、門徒たちは「おとなしい」真宗信者になりました。金澤には、東本願寺別院、西本願寺別院をはじめ、実にたくさんの真宗寺院があります。ワタクシも何れは東本願寺金澤別院の近くにある西福寺という真宗寺院の納骨堂に入る予定となっているのです。
そして今でも武士の系列以外の、金沢の町民はほとんど真宗の門徒です。
いま寺内町として江戸時代の面影を残している町には、大阪府富田林の興正寺を中心とした富田林寺内町、奈良県橿原市の稱念寺を中心にした今井町の寺内町など、これらはいずれも重要伝統的建造物保存地区として指定されています。ほかにも20をこえる寺内町というのが知られています。
一身田寺内町地図

右は一身田寺内町の様子。青い線は堀で、ここに入るには右上の「赤門」、右下の「黒門」、左下の「櫻門」という3つの橋のどれかを通って入ります。この三ヶ所しか入口はありません。
一身田堀


町は左の写真のように堀に囲まれています。広い境内には左に如來堂、右に御影堂と並び、御影堂の裏手には御陵があり、御影堂正面の山門前の通りには末寺がずっと並んでいました。
こういう町を歩いていますと、家と家との間に石佛や祠などがひっそりと祀ってあったり、やはりどこか普通の町とは違った雰囲気が感じられるものです。このような町を見物に行く時には、それなりに心の準備、というのか、見物に行く対象について若干の予備知識を持って行った方が面白いと思います。
奈良・今井町は最近ちょっとしたブームになりましたが、何も知らずに行くと全く面白くない町です。

…東海道筋關の地藏へ詣納經…した泉光院は上野國の國分寺、一の宮へ行きます。

十八日 晴天。大附村立、辰の刻。晝時國分寺へ詣納經す。寺一ヶ寺、本堂一宇、東向。山へ三丁上る、夫より一の宮へ詣納經す、本社大社也、西南向、當村傳治と云ふに宿す。信州の者夫婦大社參り同宿す。

関から鈴鹿峠を越えるのが東海道ですが、一つ南の加太(かぶと)峠を越えるのが大和街道で、関から伊賀上野、大和郡山、そして王子から大阪へ入る旧国道25号線。
この道だと伊賀國分寺へ出ます。加太の道
いまはJR関西本線と旧国道25号、そのバイパスである名阪国道などが通っています。名古屋から奈良・大阪へ行く時はこの道は便利ですが、バイパスはトラックが多くて怖いし、旧国道は険しくて狭くて怖い道です。
右が加太峠を越えたあたりの風景。


伊賀國分寺址はいまの伊賀市中心部から3kmほど南東の岡の上にあります。
伊賀国分寺看板伊賀国分寺標柱
伊賀國分寺跡です。
伊賀国分寺礎石






案内板と礎石と標柱があって、あとはガランドウです。
平安期以降に火災で消滅してしまったものと推定されているのです。近くに國分尼寺と思われる遺構もあるようです。
だが泉光院はちゃんと…詣納經…をしております。どこへお詣りしたのでしょうか。
伊賀国分寺廃寺医王殿
上 に載せた「國分寺跡」よりもずっと北の方、JR関西本線伊賀上野駅の東北に当たるところに平成元年になって伊賀國府跡というのが発掘されて、そこから南の方に一直線に伊賀一の宮である敢國(あえくに)神社、そして伊賀國分寺が並んでいるのだが、國府跡の近くに右の写真のような廃寺があって、ここはいまでも「醫王殿」いう扁額が上がっていて、これが国分寺と称されていたらしいのです(右の写真)。だからここを國分寺だと思ってお詣りをしたのでした。

ほかの場所でも、本当の國分寺が土中深くに埋もれてしまっていても、人びとの間にこのあたりに國分寺があったのだという伝承が伝えられていて、このような小さな御寺を造ったのかも知れない。

次に一の宮の敢國神社です。
敢國神社両部鳥居敢國神社拝殿



鳥居(左)と拝殿(右)

一の宮の村では、傳治サンという家に泊めてもらったのでしたが、この家で信州の夫婦者というのが泊まりあわせていた。江戸時代も後期になると庶民の間にも旅行ブームというのが発生したし、そういう人を泊める「善根宿」、つまり一種のボランティアで旅人を泊めてくれる家があったことが分かります。

十九日 晴天。一の宮村立、辰の刻。上野城下へ赴く。大西風にて難儀。御城追手南向。町數多し。夫より西蓮寺と云ふ城主御菩提所へ詣納經。夫より八旗へ詣納經。小社西向
杉林の内也。夫より伊勢街道へ出で、市兵衛村宇左衛門と云ふに宿す、大雪風にて寒氣堪へ兼ねたれば一句、
   今日迄の寒い處の上野哉
伊賀上野城空撮
伊賀上野城を築いたのは築城の名手であった藤堂高虎。
大坂方の襲撃に備えるために西側の備えを厳重にし、伊賀盆地の高台の上に堀をめぐらし、大手門を南側にして、右の空撮写真に見られるような立派な城を造った。
伊賀上野城高石垣
高さ30mという日本一高い石垣です。

伊賀上野城天守閣と堀






天守閣も写っていますが、この天守閣は昭和五年になってから拵えたもので、築城の時には五層の天守閣を造ったのだが完成直前に台風で倒れてしまって、江戸時代には天守閣はなくて、本丸を構成する建物群があっただけでした。

二十日 晴天。市兵衛村立、辰の刻。青越街道伊勢路と云ふ驛に出づ、三里の山中を通りカイトウと云ふ驛に宿す。

松坂経由で伊勢へ行きます。市兵衛村ではなくて市部村。伊賀上野城下から少し南へ下った村、そこを出てから初瀬街道(国道165)を東に向かい、伊勢路、青山峠、を越えて、垣内(かいと)で泊まって、伊勢街道(国道23)へ出てから伊勢神宮の方へと向かうのです。

廿一日 晴天。海東(カイトウ)立、辰の刻。本街道六軒茶屋と云ふに出で塚本と云ふに舎る。
廿二日 晴天。塚本より引返し、又別の國分寺へ詣納經。夫より一里北に行き淨眼寺と云ふに詣納經す。天照大神の御牌所と云ふ小堂、方丈の後ろにあり、大神の繪像出る。此寺より塚本へ行く道コワサカ村政治と云ふに宿す。

…又別の國分寺…というのは伊勢國分寺。
伊勢国分寺標石
碑の所から入りましょう。
伊勢国分寺敷地


松坂市の西の方にあって、発掘現場は今は公園のようになっていて、花いっぱいの國分寺跡。
中央あたりに赤い花で囲まれたのが「金堂」跡。左下の方へ行ってやはり赤い花で囲ったのが「中門」跡。中門の左右から回廊が丸く大きな花壇で金堂の方に向かって伸びている。遺蹟全体も、一番手前左から右下に花壇が見えているように、寺域全体を囲んでいるようだ。なかなかしゃれた遺跡の保存方法ですね。
伊勢寺伊勢国分寺

泉光院が…詣納経した…のはこのような廃墟ではなくて、古くは伊勢寺といい、江戸時代に伊勢國分寺と改名し、現在は慶雲寺という右のお寺に詣納経したのでした。
浄眼寺山門



左が淨眼寺の山門。藥醫門という形式の門のようです。

どういう由緒があるのか知りませんが、「伊勢 山の辺の道」というような名前のついた道のあたりにあって、ハイキングの人がついでに立ち寄ることもあるらしい。天照大神の繪像をわけて呉れる、ということが今でもあるなら、と思ってネットで捜してみたのだが、捜し方が悪いのか出てこなかった。
淨眼寺のある村が阿坂村で、伊勢自動車道松坂ICが小阿坂村(泉光院の言うコワサカ村)にあります。伊勢自動車道を走っていると淨眼寺の屋根が見えるそうです。

廿三日 晴天。コワサカ村立、辰の刻。本街道へ出でヲバタの宿へ舎る。本宅は酒屋也、其の隠宅へ宿す。老翁六字の名號を以ていふだすきにつらね版にして諸人に施す。歌は道歌也。予にも一枚贈らる、予が宿へ折々話しに來らる、予も六字を折て一首、
   あさ露の みと知りながら たよりなく ふきくる風の つらき世の中
又老翁野風子の健やかなるを祝して、
   雪折れも なくて静かや 竹林

度会郡小俣町へ出て、酒屋の隠居の別宅に世話になった。この隠居は信心深いようで、南無阿彌陀佛の六字の名號を印刷した木綿のタスキを作って諸人に配っている、と言うのです。泉光院も一枚貰ったので、アミダブツを頭に詠み込んだ歌を作ってお返しをした。さらに隠居の健康を祝して一句贈った。
よく「柳に雪折れなし」といいますが、竹も、雪折れなし、でしょうか。
ワタクシも若い頃はずいぶん痩せていて、今でもシッカリ覚えているのだが、霧ヶ峰のヒュッテ・ジャヴェルで知り合った大阪・泉佐野のお嬢さんがワタクシを評して「柳に雪折れなし」と言った。見かけはなよなよとしている奴が、以外にしぶとく大病にもならずに生き延びるものだ、というつもりで言ったらしい。その時はかなりの酷評のように感じたのだが、一方で「当たり ! 」という気もした。そうして今、八十路をこえてまだ生きていて、キィボードに指を走らせている事が出来るので、柳でも竹でもいいから折れずに生き延びていて仕合わせ
ような気がしております。
(柳に雪折れなし、という俚諺は、他人からの悪口雑言いじめetc.の数々もヘラヘラ受け流して生きる人のことも言うようですが)
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*Comment

■怒らない

ちから姫さま。
前に、怒るべき時に怒らないのは卑怯である、と書きました。
でもワタクシは怒るべき時に怒らない場合があるのです。
それは、ワタクシの妻がワタクシに対して根拠のない事件のことで罵詈雑言を発した時です。
ワタクシは妻のワタクシに対する発言に関しては理非曲直を云々する前に先ずダンマリを決め込み、次にとりあえず謝っておきます。絶対にワタクシは妻に対して「怒る」ことはありません。
どんなに暴風雪があろうともワタクシはしなやかに生きているのです。
ヨリック |  2017.11.27(月) 19:59 |  URL |  [コメント:編集]

■怒り

コメントありがとうございます。
怒らなくちゃぁならない時に怒らないのは卑怯であるのかもしれません。
でも、単に腹が立つだけで怒るのは小人のなす事。
怒りは静かに表現すればいいことです。
怒りの相手の人の人格があさはかであることをはっきりと思い知らせてやれば宜しいのです。そして二度と相手にしなければ宜しいのです。
理不尽な相手、という人は、自分の人生にとって結局は不要な種類の人間なのでしょう。黙って離れれば宜しいのではないでしょうか。
有難いことにワタクシの周囲には理不尽な人はいらっしゃいません。
素敵な人たちに囲まれてワタクシは日々を生きているのでございます。
ヨリック |  2017.11.26(日) 22:51 |  URL |  [コメント:編集]

「柳に雪折れなし」って、雪が降らないところではピンとこない言葉ですね。
本当の意味は悪口雑言いじめをヘラヘラ受け流して生きる人のことでしたか。

今までに二人ほど、年配の男性でしたが「柳に雪折れなし」の人に会いました。で、二人とも同じことを言ったんです。
「腹が立つことがあっても怒りは指の第一関節で止めるのがいいんだ。怒りが指先から飛び出していくようじゃあ未熟だ。人間関係がうまくいかないよ」

うまいこと言うなあと思ったのですが、結局、卑屈にヘラヘラ生きているだけじゃないの?って思いました。私は子供のころからずいぶん自分を抑えた生き方をしてきましたが、それではダメ。やっぱり怒るときはしっかり怒る、それで理不尽な相手の横暴さも抑えられることを知りましたので。

ヨリックさんはイエスノーをはっきりさせつつ、しなやかに人生を歩かれてきた方だと思っています。
私もそんなふうに「しなやかに」老後を楽しもうっと。
雨宮清子(ちから姫) |  2017.11.25(土) 21:28 |  URL |  [コメント:編集]

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