2018-11- / 10-<< 123456789101112131415161718192021222324252627282930>>12-

2017.12.03 (Sun)

泉光院の足跡 270 朝熊山

庶民の念願であった伊勢参宮を無事終えると精進落としと称して盛大に遊ぶわけですが、そのためここには江戸吉原・京都島原・長崎丸山などに匹敵する大きな遊郭がありました。
場所はやはり内宮と外宮の中間あたり、古市というところでした。今では殆どかっての面影はないらしいのですが、わずかに一軒、「麻吉」という旅館が当時を偲ばせています。
麻吉正面
正面も堂々としていますが、右手、「麻吉」の看板の下を降りて行くと全貌が見えてきます。
麻吉渡り廊下

江戸時代は「花月楼 麻吉」といい、油屋などとともに古市遊郭では有名でした。
木造6階建、両側とも麻吉の建物で、右の画面のように渡り廊下でつながっています。左は渡り廊下の下まで下りて見上げたところ。大きな建物です。
麻吉渡り廊下の下から

右は入口の提灯や暖簾など。内部は資料館になっているのだが宿泊も出来ますが、宿泊に当てられている部屋数は少ないので予約が要るようです。麻吉暖簾




泉光院は山伏の身でありながら伊勢神宮では神主に見つからずに一番奥まで行って参拝をすませ、納經印は外宮内宮ともにそれぞれのお宮に所属する寺(神宮寺といいます)で出して貰ってから(こういうしきたりが今の寺社詣でとちょっと違うんです)、…又河崎と云ふ所に日輪、日の丸とて二ヶ寺參詣所あり。是は法然上人の古跡也。…と河崎へ行きました。
河崎川と街並み
河崎は、JRでも近鉄でも、伊勢市駅のすぐ近く、瀬田川に沿った町(右の写真)です。
ここは伊勢の台所といわれた町で、大量に押しかける伊勢参宮の人の食事を賄う材料などを調達する場所でした。
河崎民家



ここの民家の建て方はかわっていて、左がその特徴がよく出ている家です。
伊勢神宮は平入りなのでそれに遠慮して同じ建て方をしないのだと聞いたことがあります。
切妻造りの様式




屋根の三角になった方から入るのが妻入りで、棟と平行の側から入るのが平入り。
河崎の民家はどの家も妻入りになっています。
左上の写真、まず妻入りであることが判ります。
次に、屋根の直ぐ下の所、建物本体の板壁の外側にもう一層、板壁が張ってありますが、これは河崎の民家に見られる特徴ある建て方です。何という名前だか忘れた。たしか鎧造りというのだったかもしれない。河崎街並

右も河崎の町並ですが、これはお土産物売り屋が並んでいる界隈だったような気がする。

泉光院の書いている、日輪、日の丸、などといったお寺はどこにあるのか捜したけれども判らなかった。

伊勢の民家では(京都、祇園にもよく見られるのだが)蘇民將來の注連縄をはってありまして、面白いものだからたくさん写して来たのでしたが少しだけ入れておきます。
蘇民将来玄関飾り3河崎蘇民将来玄関飾り2

河崎蘇民将来玄関飾り1
共通しているのは、「蘇民將來子孫家」という文字を、門の字を広げてその間に書いてあることです。
「七福即生・七難即滅」とか「即福即生・即難即滅」と似たようなことも書いてあります。河崎川邊七種神社
この注連飾りはお正月近くになると右の神社、「川邊七種神社」で売っているようです。
伊勢神宮内宮の横にある「おかげ横丁」商店街でもこの注連縄は張ってあるのだが、「笑門」とか「千客万来」とか、商魂たくましい文字にかわっていて、惡鬼除けという本来の目的はどこかに置き忘れてしまっているようだ。
赤福正面
左は伊勢土産で有名な「赤福」本店だが、ここの注連飾りも大きい字で「笑門」と書いたのがあった。

こういう町を歩いているとところどころにお稲荷さんが置いてあったり山の神(右の写真)が祀ってあったり、なかなか楽しいものです。河崎山の神

金澤のような浄土真宗一つだけ、という町ではこういうものは殆どないのです。ごく稀にあってもお地蔵さんしか見当たりません。
河崎の町は面白い町だと思いました。

廿五日 晴天。於畠驛立、辰の刻。直ちに二見の浦へ行く、諸人知る處なれば二宮番所共委細は記さず。夫より朝熊山へ登る。本堂東向、八間四面。講堂多し、寺中あり、日も西山に落る故に山上籠り堂に宿す。夕飯寺より出る。籠り堂と云ふあ二間四面にして爐もなき堂也。高き所故雪あり、風あり、寒気指をも落とす程の事也。深更に及び寒風ふすまを通す。因て一句、
   凍へ死にもせずに生きたは諸佛力

二見浦夫婦岩
二見の有名な岩ですね。夏至の朝はこの岩の間から陽が昇る。それを見るためにおおぜいの人が集まる。

泉光院はここからすぐに朝熊(あさま)山に登りましたが、そのまま国道42で海岸を少し南に行くと松下社があります。近畿地方での蘇民將來発祥の地です。


松下社2000楠
右は樹齢2000年をこえるという楠。ここから入ると松下社があるのです。

松下社鳥居松下社蘇民将来祠

左は蘇民の森入口。ここから入ると右の松下社。

松下社本殿松下社絵馬


左がお社で右が絵馬堂にあった絵馬。
絵馬堂には蘇民將來関連の絵馬もたくさん奉納されていました。右のは多分スサノオが巨丹將來を殺している場面かも知れない。

蘇民將來のことは今までにもあちこちで書いてきたので以下省略です。

伊勢志摩スカイラインという道路で朝熊山(555m)に登りましょう。朝熊山
朝熊山にあるのは金剛證寺。
右はスカイライン途中から見た朝熊(あさま)山。
ここも「伊勢へ詣らば朝熊をかけよ。朝熊かけねば片詣り」といって、伊勢参宮の人はむりやり登らされた山でした。

泉光院が登ったのは厳冬。雪も積もっています。晩飯はお寺で出してくれたのだが、泊まる所は二間四方の小屋で、囲炉裏もなくて隙間風が入るばかり。凍え死にしなかったのはひとえに佛様のおかげ。
朝熊山金剛証寺山門

右は金剛證寺の山門。


朝熊山金剛証寺本堂
左が本堂である摩尼殿(まにでん 國重文)。
文化元年にこのお堂だけを残して全山焼失した。
この本堂の前を(左の写真だと向こうの方ではなくて手前の方へ)奥の方へ行くと龍宮門(右の写真)があって奥の院へ向かうのですが、入った途端、目につくのがおびただしい卒塔婆の大群です。朝熊山金剛証寺竜宮門


朝熊山金剛証寺卒塔婆1

一万本以上あるあるのだといいます。
グループ分けされていて、番地が付いています。こうしないと自分の納めたのがどこにあるかまったく判らないでしょう。朝熊山金剛証寺卒塔婆2
そして納めたお金の多寡によって大きくて背の高いのから小さいのまでいろいろありました。
金額がわかるのがとても「あさま」しく思われました。
延々と続く卒塔婆の前を通って行くのだが、とてもつまらない道で、奥の院まで行くのがとても長く感じられました。

泉光院はこのお寺で出された朝飯を食べて下山し、鳥羽へと向かいました。
スポンサーサイト
20:51  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

■伊勢

オ伊勢サンは日本國の中でもやはりちょっと特殊な場所のようです。
この話は「世界遺産研究の会」というところでツアーで行ったとき、河崎の町で山下先生というのが解説をしたのでした。
河崎の町でも、伊勢のおかげ横丁でも、軒先には蘇民将来の注連縄がありましたし、鎧づくりという建て方も旧家では多く見られました。
ヨリック |  2017.12.10(日) 15:00 |  URL |  [コメント:編集]

>伊勢神宮は平入りなのでそれに遠慮して同じ建て方をしない

おおお、そうだったのですか。それでみんな妻入りなのですね。
街道にできるだけたくさんの店or家が並べられるようにということかと思っていました。
Gem |  2017.12.10(日) 14:49 |  URL |  [コメント:編集]

コメント:を投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメント:を表示  (非公開コメント:投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバック URL

→http://azasosori.blog.fc2.com/tb.php/470-42c4c240

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック:

▲PageTop

 | BLOGTOP |