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2017.12.06 (Wed)

泉光院の足跡 271 伊射波神社

廿六日 晴天。今朝も掛合出る。辰の下刻朝熊山を下り志州鳥羽城下へ出る。晝時也。追手西向、御城島の如し、海中の城也。町數大分あり。此所より安樂島と云ふに渡船あり、此所の一の宮へ詣で納經す。一の宮は村より十八丁計りなる島の出崎にあり、小社二社、地は豆州石室に似たる所也。日も西山に落つる故當村に一宿求む、早助と云ふ宅、折から餅搗取込なれど善人故に宿借されたり。即時餅搗一句、
   餅搗や寶打出す槌の音
夜話に年宿の事話したる所年宿やらんと云ふに付年宿と定む。

朝熊山から下山してきたらもうお昼になっていた。いまの鳥羽水族館の向こう側の山一帯が鳥羽城の址で、九鬼水軍の御城です。
鳥羽城跡丘
泉光院はここへ来て、
…御城島の如し、海中の城也。…
といっているとおり、現在は周囲を埋めたてられて陸地になっていますが、九鬼嘉隆が織田信長と結託してここに城を築いた頃は島で、大手門は海に面していて、陸地の方に家臣団の武家屋敷と町屋を作りました。
この城下町がのちの鳥羽市の始まりです。城址は小学校と幼稚園の敷地になりましたが、おかげさまで石垣は保存されました。
鳥羽城幼稚園石垣

左は石垣がよく残っている鳥羽幼稚園のあたり。




鳥羽城跡鳥羽湾風景

そして右は城址から見た鳥羽湾。
鳥羽城跡石垣

江戸時代になると徳川家康は九鬼水軍の力を恐れて九鬼氏を摂津の三田、、つまり山の中に移して水軍の力を消滅させてしまい、この御城を徳川家譜代大名の居城にしてしまった。

この鳥羽湾は半島に囲まれ、沖には答志島、管島などの大きな島が波を防いでいるのでとても好い港です。江戸時代中期以降、物資の流通が盛んになって、千石船というような大きな船が日本海。太平洋を股にかけて(ちょっと大げさな表現ですが)航海をはじめるようになりました。しかしこの時代の帆船は徳川幕府の方針もあって一本檣で横帆一枚の船しか造船を許可しなかったため、順風、つまり追い風でないと走れなかった。それで、船乗りたちは天気予報をすることになるのですが、そのために、港の付近には「日和山 ひよりやま」というのがありました。しっかり調べた人がいて、日和山という名前の山は日本中で100箇所くらいあるようです。鳥羽日和山絵図

この鳥羽でも今のJR鳥羽駅の後に、右の絵図にあるように日和山がありました。

この絵図は明治になって「汽車」が通るようになってから描かれたもので、左の方に「停車場」がって、汽車が走っている。その右に「無線電話」の高いアンテナがあり、その右に日和山があって、「海越松」という松の巨木がありました。
鳥羽駅エレベーター

1970年頃まで鳥羽駅には左のようなエレベーターの塔があって、駅の構内から日和山まで行く事が出来たのでしたが、鳥羽駅の火災でこのエレベーターも類焼してしまって、なくなったのはとても残念なことです。残っていれば世界遺産とまではいかなくても、土地の文化遺産にはなったでしょうものを。




鳥羽日和山松の木

日和山の役目はもちろん観天望気に便利なことですが、出船の見送り、入船の望見、入船の目印になること、とか、遊覧場所にもなることなどがあげられます。右は日和山公園といわれた頃の絵葉書で、「海越松」が上の絵図と同じように写っています。
港に入ってくる船はこの松を目当てにしたでしょうし、美しい風景を愛でる人もここに集まってきたでしょう。
日和山には風の方向を知るための方角石というものも設置されていて、ここには文政五年(1822)のものが今でも設置されています。
鳥羽日和山方角石側面

鳥羽日和山方角石上


右が鳥羽日和山方角石の上面と側面。
側面には「文政五年壬午二月 石工平吉 攝州灘 樽廻船中」という文字が刻まれているので、1822年に兵庫県の樽廻船業者がお金を出しあって寄進し、石工平吉が刻んだのでしょう。材料は紅御影石を磨いて作ってあって、上面には子・丑・寅…と十二支による方位と東西南北の方位と磁針による南北が刻まれている立派なものだそうです。これで風の方向や雲の流れを見て、さらに永年の経験をもとにして船出の可否を判断したのでした。

泉光院は鳥羽の港から船に乗って安楽島(あらしま)にある志摩國一の宮、伊射波(いさは)神社へ行きました。
このお宮は修験者が必ず詣でるところ、といわれています。
伊射波神社鳥居
志摩国には一の宮がもう一つ、伊雑宮(いぞうぐう)というのがありますがそれはまた後ほど行くことにしましょう。
安楽島といっても島ではなくて半島なんですが、伊射波神社はそこの加布良古(かぶらこ)岬というのの山中にあって、写真に見えるように鳥居が海岸に立っていて、江戸時代にはここへ行くには船に乗ってこの鳥居の所から登って行くことになっているのです。
伊射波神社本殿

かなりきつい道なので覚悟を決めて行きなさい、というのが案内文でした。
多岐津姫(たぎつひめ)というのが祭神で、縁結びの神様で、女性がよくお詣りに行く
とも記されています。
ところで「たぎつひめ」というと、福岡県の宗像大社や広島県の厳島神社に祀られている三女神の中にも文字は違いますが湍津姫(たぎつひめ)という女神がいて、海洋交通の守護神にもなっているので、ここの女神も同じ役割の女神なんでしょう。

泉光院はここへ来て、…地は豆州石室(いろう)に似たる所也。…と書いているのは、伊豆の先端、石廊崎によく似た地形だ、と感じたのでした。
そして日が暮れたので早助さんの家へ来て、…折から餅搗取込なれど善人故に…泊めてもらう事が出来た。そして年宿を頼んでみたら承知してくれた。これで一安心。

廿七日 晴天。滯在。
廿八日 晴天。滯在。平四郎は鳥羽城下へ調へ物に行く。内儀予が一重物洗濯し呉れらる。
廿九日 晴天。滯在。終日障子張り等する、近所の行燈三つ計り張つてやる、年宿へ中折一束、大塵紙五十枚、柿、蜜柑、煙管一本進ぜる。門飾り椎柴、竹、内に注連を引き神佛の前へ餅供へる、歳末一句、
   何氣なく越へて身輕し年の坂
              是にて留筆

                     日本九峰修行日記 第五巻 畢


平四郎は年末の買い物に行ったり、泉光院は年宿をしてくれる早助さん宅の障子の張り替えや、世話になるために贈り物などをしている。それなりに忙しいようだ。
除夜の鐘知恩院

泉光院が旅先で年末を迎えるのはこの年が最後になります。
年末らしく除夜の鐘の写真を載せておきましょう。
京都・知恩院の鐘です。
大きい事で有名な鐘です。
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*Comment

■鳥羽駅のエレベーター

sazanamijiroさま、コメントありがとうございます。
ワタクシの笛吹仲間で鳥羽の出身者がいらっしゃるのですが、子供の時に現在地に引っ越してきたのでやはり記憶にはないようでした。
ワタクシも昔の絵ハガキから、面白い!と思って拾い出しただけなので、実際に乗った人の感想を聞いたわけではないのです。
ヨリック |  2017.12.11(月) 23:08 |  URL |  [コメント:編集]

鳥羽駅には、レトロなエレベーターがあったんですね。よく行ったのに、全然知りませんでした。
いつも貴重な写真を見せていただき、ありがとうございます。
sazanamijiro |  2017.12.11(月) 10:20 |  URL |  [コメント:編集]

■おだいじに

ごめんなさい。ご病気のこと、気が付かなくて・・・
早くお元気になって楽しいお話をのせてくださいね。
もしお差し支えなければ、メールアドレスを入れてありますので、そちらの方にお知らせくだされば嬉しゅう存じます。
ヨリック |  2017.12.08(金) 20:24 |  URL |  [コメント:編集]

こんにちは~♪
いつもご訪問ありがとうございます(*^^)
今日も寒い日になりましたね。
いよいよ明日から病院に入院します。
手術日まで時間があればお邪魔できればスマホで訪問させていただきますのでよろしくです(^_-)-☆
あまりあてにしないでくださいね(*^^*ゞ
まり姫 |  2017.12.08(金) 15:02 |  URL |  [コメント:編集]

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