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2018.01.20 (Sat)

泉光院の足跡 282 鯨

泉光院は熊野三山を、…數度上る故に委細は記さず、…だったがyorickとしては委細を尽くさなくっちゃならないと思ったので詳しく書いてしまった。
熊野詣を済ました泉光院は、
…那智山の南の半腹を行くこと半道にして山八合目に平野と云ふ所あり、爰(ここ)に一軒かしこに二軒、鹿猿を友とする山中也。此所武平次と云ふに宿す。…
と相変わらず山伏的歩きぶりです。

廿七日 晴天。大井村立、辰の下刻。下に大河あり、船渡り、和田村甚太夫と云ふ社人宅へ笈頼み置き托鉢す。今晩一宿せよと申さるゝに付宿す。
廿八日 晴天。和田村立、辰の刻。川を下り高崎村と云ふに行く、此所大ヘチ街道也。…

太田川を船で渡って下流へ下ると大辺路(おおへち)街道へ出ます。
熊野参詣道地図

右がおおざっぱな熊野参詣道。
東の伊勢神宮から南へ濃紺色の道が「伊勢道」。途中で本宮と新宮の別れ道がある。
大坂から紀伊半島西岸に沿って薄青色の道で南に下るのが「紀伊路」で、
紀伊道の途中、紀伊田辺あたりで別れて黄色の「中辺路 なかへち」経由で本宮へ行く道と、そのまま南へ下って串本経由で那智大社へ行くのが緑色の「大辺路 おおへち」。高野山から本宮へ行く道が赤色の「小辺路 こへち」。
このほかに奈良県の吉野山から大峰連山を縦走して本宮へ出る「奥駈道」というのがあるのだが、これは泉光院のような山伏専用道路なのでこの地図には入れてありません。
泉光院の今度の旅は、伊勢路から入って、本宮、新宮、那智大社の順でまわって、大辺路へ出ました。これから和歌山まで紀伊路をたどる事になります。

廿九日 晴天。下里村立、辰の刻。峠を越へて太地浦へ行く。佐土原自徳寺住隠居眞龍和尚の廟所へ詣で追善一句、前あり略す。
   霞彩擁墳處 朦朧月色空 七年刹那夢 唯殘花前風


こんな所に佐土原自徳寺にいた住職の廟があった。お詣りをして墓前で五言絶句を作った。おおざっぱに意訳してみましょう。
…七年の間放浪の旅をしていたのだが、こうして死者と対面しているとそれも刹那の夢の如きもの。眼前には櫻花が散り初めているのを見るばかり。…
(この日は新暦に直せば四月四日です。櫻の花も盛りを過ぎていた。)

…夫より俗縁淺右衛門と云ふを尋ね行き一宿す。主人淺右衛門一句、
   聞及ぶ今日ぞ始めて花の客
予續墨して、
   風和らかに軒の麗か
謝して一句、
   花よりも猶言の葉の匂ひ哉
又、
   色も香も蕾に見へし花の宿
主人續墨、
   かなたこなたとさがす獨活(ウド)の芽

こんな所に友人がいたのだ。久し振りにいい句のやりとりをしています。季節がおだやかになって、櫻も咲いて、友人と句のやりとりをする。こんなに楽しい事はない。

…當所一昨日鯨四匹上る。大は長さ十二尋(ひろ、長さの単位、両手を一杯に伸ばした長さ、約六尺=1.8m)、中小、五尋、六尋、七尋あり、因て浦中賑々し。千軒計りの所皆鯨の油を取る、代金凡千兩と云ふ。乍然(しかしながら)殺生の商売宜しからず、千計りの家宅皆々貧家にて家破れ壁落ち居る也。鯨取りの次第は事多き故に爰には略す。

太地浦へ来ました。ここは日本捕鯨発祥の地。12世紀末の源平の争いの頃に発達した「熊野水軍」は、始めは平氏に荷担していたのだが、時勢を読んで源氏方について壇ノ浦の合戦で源氏の勝利に貢献した。その後太平の世が続くとこんどは捕鯨業に転職してその名を高めたのです。熊野浦捕鯨圖
右は捕鯨の圖。

鯨の捕り方について書きましょう。
江戸時代の初め、鯨を網に追い込んで捕る大がかりな捕鯨法が考案されました。
一組40人ほどの刺手組が4艘から5艘の船に乗り込みます。まず頭に網をかける。これが一番最初の大きな仕事です。だいたい3重くらい網をかけると、もう鯨は網を破る力がなくなって泳ぐ速度がグッと落ちるんです。そこへ勢子組というのが押しかけて一斉に銛を投げる。何本も銛を刺して、鯨の勢力が衰えたところで、人間が鯨の背中に飛び乗って、刃刺し包丁で鼻の下の所へ穴を開けます。そこへ綱を通して括りつける。もう一つ、鯨の下側へまわって心臓を突きます。これで鯨は参ってしまう。すると持双(もっそう)という船が二艘寄ってきて、大きな丸太に鯨を括りつけて海岸まで曳いてくる。
浜へ引揚げると、まず包丁で切っていって厚い白い皮の脂肪を煮て油を取る。
鯨の油は揚げ物にもいいのだが、主として灯油に使いました。油を取った滓はコロといって美味しいので関西の人は大変喜びます。
次に赤身のいい所は船に積んで兵庫まで持って行く。とにかく四丁艪か八丁艪で漕ぎだして、人数は倍乗って交代しながら全然休まずに漕いで、潮岬を越えて一気に兵庫まで漕いで行く。そして兵庫で「番取り」ということをする。どの船も一緒に行くので浜へ着くと同時に提灯を持って問屋へ行って、最初に提灯を投げ込んだのが一番になる。それが大阪の雑魚場で鯨を売る時の順番になるのです。少しでも早く売れれば肉が傷んでいないから高く売れる。(氷はこの時代まだありませんでした)
九州の方だと、大消費地である大阪まで運搬するのに時間がかかるから塩漬けにする。塩漬けにして長く置いた赤肉はどうしても臭みが出るからあまり喜ばれないのです。
販売用の肉を取ったあとの、骨の付いた肉は地元で消費するのだが、一斗樽の中に肉を削って入れて塩で漬けておいて、殆ど一年間くらいは食べる。
残った骨は叩いて割って、次に臼に入れて搗くのです。これは燐酸カルシウムを含んだ大変いい肥料になる。太地や土佐のものは大阪平野で綿の肥料になり、九州のものは鹿児島の煙草の肥料になった。
鯨のヒゲはゼンマイの材料になって、いろんな細工物、例えば飛騨高山の屋台のからくり人形の動力になったり、和裁の物差、「鯨尺」の材料になったりする。竹の物差と違って、ささくれが出ないから滑りが良くて絹物も傷めないのでいいのです。

このように鯨はすみからすみまで全部利用できたので、一頭捕れれば七浦賑わう、といわれたほどでした。
泉光院が来た時には4頭も捕れて村は賑わっていた。大きいのは22mから中小のでも13m~9mもあった。
…代金はおよそ千両…というのは4頭全部なのか一頭平均の値段なのか詳しいことはわかりませんが相当の大金です。これだけ上がれば村はずいぶん豊かになるはずなのに、非常に貧乏だった。捕鯨は九州の五島列島や土佐の室戸あたりでも盛んで、しかもこっちの方は割に経済は豊かであったらしい。そうすると太地が貧乏であったというのはやはり制度の問題じゃないかと思うのです。誰か悪い奴が居て、バクチ場を開いて吸い上げるとか、花街を大規模にやって吸い上げるとか、そういう社会構造があったのではなかろうか。

鯨は昔の日本人の生活に深く結びついていたもので、以下、鯨のついた言葉を並べてみました。

鯨帯  片側が黒繻子、片側が白の博多織で作った帯。鯨の皮の黒色と腹の白色を重ねた色を鯨に見立てて名付けた。
鯨餅  道明寺粉などで作った竿菓子。鯨餅
上の一面が黒くて鯨の皮に似て、下の方が白くて鯨の脂肪層に似ている(右の写真)。
ワタクシはこのお菓子が大好きで、出張などで各地のお菓子屋さんを廻って見つけたら必ず買います。
鯨汁  鯨の白肉、つまり脂肪層を入れた味噌汁。
鯨熨斗 鯨の筋肉を精製したもので、三杯酢とか吸物にして賞味する。博多名物。
鯨幕  黒と白の布を一幅おきにはぎ合わせ、上縁に横に黒布を配した幕。凶事用。
鯨尺  布を測る物差。和裁に用いる。鯨尺の一尺は曲尺(かねじゃく 建築用)の一尺二寸五分(約38cm)。鯨のヒゲで作る。前に書いておいたように絹物などの布を傷めない。鯨尺一寸
右の写真、下が鯨尺の一寸四分ほどが写っていますが、鯨尺の一寸と、上のcmとあわせてみると3.8cm程になっているのが判るでしょう。

太地には鯨捕りの出稼ぎが各地からたくさん来ていました。ここで働くと、一日に米が四合もらえる。そのうち二合を食べて、足りない分は鯨の肉とサツマイモを食べる。そうすると10月から春5月までの稼ぎの期間に5斗ばかり残る。これを故郷へ持ち帰るのが出稼ぎの大きな目的でした。
またこのような大きな産業を支えるためには、直接船に乗り込む漁師ばかりではなくて、船の建造や修理をする船大工、桶を作るための樽屋、網を作る網屋、銛や釘を作る鍛冶屋、といったさまざまな技術者集団も必要だし、管理や販売を担当する組織も必要だったでしょう。太地の鯨漁の組織は和歌山藩の支配下ではなくて、和田一族というのが管理する独立の経営体、つまり今でいう「民営」だったのでした。
だが明治11年(1898)、111名の犠牲者を出す大惨事があってここの鯨方の組織は崩壊してしまいました。
くじら浜公園
いま太地町には、くじら浜公園、くじらの博物館、捕鯨船資料館、くじら供養碑、鯨方漂流記念碑、鯨浜トンネル、etcと鯨でいっぱいです。右がくじら浜公園、左がくじらの博物館の天井から吊してあるクジラの実物大模型
(体長15mのセミクジラ)。
くじら博物館鯨の模型

太地の町はクジラで一杯です。

泉光院が…鯨取りの次第は事多き故爰には略す。…と書いてしまったので、代わりにワタクシが略しないでいっぱい書いてしまった。
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