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2018.05.01 (Tue)

泉光院の足跡 303 岡寺

橘寺で二面石を見たついでに明日香村に点在する石造物をたくさん見てしまった。
泉光院は、…夫より岡寺へ詣づ、…ですが、その前に川原寺跡と、山田寺跡、高松塚などを見ることにします。
川原寺弘福寺と中門跡
橘寺の西門を出て北の方向を見下ろすとすぐ前に川原寺跡。
正面にお寺が見えますが、これは川原寺中金堂跡に建てられた弘福寺(ぐふくじ)というお寺で、お寺の手前に中門の跡、右端隅っこに茶色の土壇が半分程見えていますがそれが飛鳥時代に建てられた川原寺の塔跡です。
川原寺配置図

左が創建当時の配置図。
南門から中門を入ると正面に中金堂、西に西金堂、東に塔があった。
創建年代ははっきりしないのだが、7世紀中頃にはあったようで、天武二年(673)にここで一切經の書寫が始めて行われた、という記録がある。
川原寺塔跡

右が西金堂跡あたりから見た塔跡の土壇。





川原寺寺域
そして非常に広い川原寺の寺域。
遠くに弘福寺が小さく見える。



奈良へ来るたびに思うことだが、飛鳥時代・奈良時代にはまだ日本の人口は少なくて、空き地がいっぱいだったからだろうか、法隆寺や東大寺・興福寺、薬師寺や唐招提寺に西大寺、みんな広い土地に大きな建物を建てている。川原寺もこのように大きなお寺だったのでした。

飛鳥の地を離れる前に、飛鳥時代の遺跡を見ておきます。
まず山田寺跡。山田寺跡碑パネル

先号で出しておいた飛鳥資料館、正式には奈良國立文化財研究所飛鳥資料館、というのだが、そこから道をはさんですぐ東側に山田寺跡があります。立派な碑が立っています。展示パネル兼用のようです。
山田寺配置図
左がその配置図。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式で、橘寺のように西向きではなくてちゃんと南向きです。

このお寺は大化改新クーデターのとき中大兄皇子側についた蘇我倉山田石川麻呂が、舒明十三年(641)に造営を始めた氏寺です。
彼はクーデターの時の功績で右大臣に任ぜられたのだったが、親戚の者からの讒言があってそのためにこのお寺で自殺してしまった。
その後、天智・天武大王の頃になって彼の疑いは晴れて、このお寺の造営工事は続行され、天武十四年(685)には本尊の丈六佛の開眼供養が行われ、山田寺の完成を見ました。山田寺金堂土壇

右が「史跡山田寺跡」の金堂跡の土壇と標柱。

こういう場所へ来たとき、雑草の生えた空き地、などとは思わずに、朱や緑に塗装を施され、大きな瓦を乗せたどっしりしたお堂や、天を突く塔があり、中には金色まばゆい大きな佛様がおわします…といった気持ちで見ないといけません。
始めの方に載せておいた展示パネルに描かれている堂塔の様子を頭の中で拡大して空想しましょう。するといつの間にかここは雑草の生えた空き地ではなくて万葉人が見た飛鳥の風景になって、万葉人と楽しげに会話を交わしている自分を発見するでしょう。

飛鳥資料館にはこの山田寺跡や、今まで見て来た飛鳥寺、高松塚、その他から掘り出された夥しい資料が整理されているので一緒に見ておいた方がいいでしょう。
山田寺跡を掘り起こしたときには、廻廊がそのまま倒れて埋まっているのが発見されて、それを丁寧に保存してあるのを見せてくれたり、かっての美しい姿を(部分的ですが)再現してあったり、なかなか好い資料館です。
山田寺佛頭

右は山田寺の本尊であった佛頭のレプリカ。
この佛像は平安時代に興福寺に持って行かれて、そこで兵火で焼かれてこの頭部だけが今は興福寺の宝物館に納められていて、ワタクシの大好きな佛頭ですが、本来はこの山田寺にあったものなんです。この資料館にはそれのレプリカが置かれているのはちょっと残念な気もします。

掘り起こした廻廊をもとに復元した軒瓦と廻廊も展示してあります。


山田寺軒瓦
山田寺廻廊

こんなのをシッカリ見てからもう一度雑草の生えた空き地へ行くと、空想力の乏しいワタクシでも少しは飛鳥時代の大寺の姿が目に浮かぶのでした。

川原寺、橘寺のところからもう少し南に高松塚古墳があります。高松塚調査用穴
1972年。発掘調査で美しい壁画が見いだされて一躍有名になった古墳です。
右はその古墳の側面ですが、ワタクシの行ったときは調査中ということで、この上下の入口の奥には空調設備が設けられていて、一年を通じて気温11℃=17℃、湿度95%以上、と一定にしてあるということでした。
人間は隣の高松塚壁画館という場所で復元模型と復元模写を見せてくれました。
高松塚婦人群像西壁

左は西壁の婦人群像圖。
美しいので有名になりました。
全部で12人描かれているそうですが、人物の顔は男女を問わず一つの型を引き写してあるのだそうです。左右の違いも型を裏返して描いてあるのだそうです。
四神、青龍・朱雀・白虎・玄武は四方を守る神様ですが、これも脚や胴体など共通する部分は同じ型紙を組み合わせて描いてある、ということが判ったそうです。


ここにはどんな人が葬られていたのか判りませんが、金箔を貼った木棺と一緒にビーズのような飾り物や海獣葡萄鏡やさまざまな副葬品が出土しました。


高松塚海獣葡萄鏡
高松塚副葬品


今では高松塚といえば知らぬ人はいないでしょうが、ワタクシが始めて飛鳥の地を訪れた(1955)頃には知っている人は居ませんでした。
その頃は交通もいまより不便だったので、ほとんど全部歩くのです(若かったから出来たのです)。
近鉄吉野線飛鳥駅からまず右の天武・持統陵へ行きまして、そこから川原寺跡、橘寺を見てから岡寺へいき、近鉄八木駅まで戻るのが一日の行程としては精一杯でした。右はその時の天武・持統陵の写真です。天武持統陵

その後、縁あって櫻井に住むタクシーの運転手の人と知り合って丸一日、あちこちを案内しながら連れて行ってくれたり、世界遺産研究の会のツアーでガイド付きの観光バスで効率よくたくさん見て来ました。だがワタクシの頭の中ではいつも若いときに見た風景の方が素敵に!見えていたのでした。

やっと岡寺へ行きます。
橘寺と川原寺の間の道を東に行って、坂の向こうに二王門が見えてきます。

…夫より岡寺へ詣づ。西國札所也、納經す。本堂南向、七間に六間、諸堂あり、樓門二王を安置す。寺一ヶ寺。…
岡寺本堂

西國觀音札所第7番です。
白衣の巡禮が団体で来ているのでその人たちが見えなくなるまで写真を写せない。
龍蓋寺正式名称なのだが、場所が岡という地名なので岡寺もほとんど正式名称のようになってしまった。

ここの本尊は如意輪觀音といっているのだが、像高4.6mの、日本一大きな塑像で、それが本堂の段を上がるといきなり目の前に見上げるばかりの大きさで現れるのでビックリします。
岡寺本尊如意輪觀音
岡寺胎内佛如意輪觀音
この大きな像の胎内に右の小さな銅造の、やはり如意輪觀音といっているのが納まっているのだそうです。
ですが右足を左膝に乗せて、右手を顔に当てている様子は、前に中宮寺の所でのせておいた弥勒佛と同じように見えます。



これから泉光院は、長谷寺、室生寺、吉野山から山上ヶ岳まで登って、戻りにまたこの近くの談山神社から安倍文殊堂へ詣り、三輪神社を見てから今の奈良市内の方へ行っていますので、その途中にある聖林寺など泉光院の見なかったお寺も含めて丁寧に見ていきましょう。
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*Comment

■まり姫さまへ

いつもお訪ねいただき有難うございます。
ワタクシはGWとは言ってもおとなしくすごしております。
たまたま今日は、嬉しいことに亡息が横浜で参加していた古楽器演奏団体のMusica Concertinio 略してムジコンのメンバーであった人が来訪して下さり、浜松市立楽器博物館や濱松城跡を案内しながら往時の想い出のお喋りをすることが出来ました。
亡息の葬式にはムジコンの人たちも来て下さって、ワタクシも亡息の代わりにしばらくの間その古楽器演奏団であるムジコンでリコーダーをもって横浜まで練習に出かけたこともあった之下。
これからもまり姫さまのブログには御邪魔させて頂きます。宜しくお願い致します。
ヨリック |  2018.05.02(水) 22:11 |  URL |  [コメント:編集]

■omachiさま

コメント有難う五合います。
まだまだ不慣れではありますが、これからも宜しくお願い致します。
ヨリック |  2018.05.02(水) 21:55 |  URL |  [コメント:編集]

こんにちは~♪
Gw中ですがいかがお過ごしでしょうか(*^^*ゞ
体調不良でしばらくの間お邪魔できませんでしたが今日からまたお邪魔させていただきます。
よろしくお願いしますね(^_-)-☆
まり姫 |  2018.05.02(水) 10:48 |  URL |  [コメント:編集]

歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)
omachi |  2018.05.01(火) 18:35 |  URL |  [コメント:編集]

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