2018-07- / 06-<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>08-

2018.05.06 (Sun)

泉光院の足跡 304 長谷寺

…夫より八木村國分寺へ詣る筈の處、夜に入りたる故に直ちに三輪山金屋茂平次と云ふ入峰の時の定宿へ行く、初夜時一宿す。

ここで國分寺というのが出てきたので確か大和の國分寺は東大寺ではなかったかな?とチェックを入れたら、東大寺は総国分寺で、大和國分寺というのが近鉄大和八木駅の近くにあった。
泉光院は吉野山の帰りに、安倍文殊堂から大神神社へ行く途中に立ち寄っているのでその時に書くことにします。
山の辺の道
夜になったので、若いときから修行のために大峰山へ行く時の定宿である茂平次宅へ行って泊めてもらった。金屋村というのは、山の辺の道の一番南の方、にあって、ここには「金屋の石佛」というのがあります。
山の辺の道、左の写真の右下石標には「山邊道」とあります。
山の辺の道金屋の石佛建物

右の小さなお堂の中に、二体の石佛が入っています。
金屋の石佛
格子の隙間から写したのが左の写真。
釋迦如來と彌勒佛だというのだがどっちがどっちだかワタクシにはよく判らなかった。金屋の石佛石棺

縁の下に「石棺」がある、と案内板には書いてあったので、穴の中も写しておいたけれども、奥のほうに何か白いものが見えるだけで、それが石棺なのかどうかそれも判りませんでした。

山の辺の道。南は三輪山の裾からずっと北へ上がって奈良盆地の東側の山裾から天理あたりまでをいまは山の辺の道、と言っているけれども、その昔はさらに北の平城宮の北の平城山(ならやま)に続く道が山の辺の道であり、「古事記」、「日本書紀」に記されていることから、日本最古の「道」なのでした。

「平城山 ならやま」という歌があります。北見志保子さんの歌集『柏樹』に、奈良旅行の記憶として、磐之媛平城坂上陵を詠んだ歌七首のうち二首に平井康三郎さんが曲をつけました。
磐之媛は仁徳天皇の妻だった、とも言われているようですが、仁徳天皇は浮気をしたようですし、仁徳陵とされているのは大阪堺の百舌鳥大仙陵と比定されているらしいので磐之媛陵とはずいぶん離れています。
北見志保子さんの思いと磐之媛とを重ねて歌った歌でしょうか。
とても美しい歌です。

   ひと恋うは悲しきものと平城山に もとおり来つつたえ難かりき
   古(いにしえ)も夫(つま)に恋つつ越えしとう 平城山の路に涙おとしぬ

楽譜も入れておきます。
平城山楽譜手書き
ここに載せるために慌てて書いたので見にくいです。

ワタクシが高校生だったころ、
文化祭などで女の子はこの歌を歌っていました。
近頃は身振り手振りに尻振りで騒がしい歌を歌うのが流行らしいけれども、、やはりワタクシには若いときによく聴いたり歌ったりしたこのような静かで人の心に染み入るような歌の方が好きです。

廿六日 曇天 金屋滯在洗濯する。夕立あり、近所慈恩寺と云ふ村へ雷落ち、家の棟を破りたり。爐内に落ちしも人に障りは無かりしなり。
廿七日 晴天。夕立あり、滯在休息す。
廿八日 曇天。平四郎少々不快に付今日も滯在。
廿九日 雨天。今日も同じく病気にて滯在。
六月一日 曇天。平四郎病氣平癒に付三輪山巳の刻立、西國札所初瀬山へ詣納經す。廻廊あり、二王門より上ること三丁、本堂八間四面、前に舞臺あり、京清水の如し、南向、寺並に寮數二千軒計りあり。京都智積院と同じ、新義眞言也。門前茶屋旅籠屋多し。…

7月初旬です。雷の落ちる時期になった。金屋から東に大和川の上流初瀬川を少し遡ったところに慈恩寺という村があって、そこで落雷があったようだけれども人には被害がなくてヨカッタ。慈恩寺というのがその近くにないのか捜してみたのだが見当たらない。泉光院も詣ったとは書いてない。
平四郎がまたまた病気になったけれども今度は軽症で済んだようだ。
長谷寺入口
長谷(はせ)寺です。初瀬(はせ)川の北岸にあって、初瀬(はせ)山の中腹に建っています。
左の参道を行くと二王門が見えてきて、それをくぐると本堂に向かって長い登廊が3回屈曲しながらつながって、400段(399段が正しい!というガイドブックがありました)の石段を登っていきます。
長谷寺階段下から

長谷寺は西国觀音札所第8番。本尊は十一面觀音です。


長谷寺階段上から

長い長い階段を上りましょう。

長谷寺階段の屋根

右は上から見下ろした階段。
左は階段の屋根。

このお寺へ来ると階段ばかりなのでつい写してしまう。



長谷寺本堂大悲閣
長谷寺本堂舞台

本堂は大悲閣。
京都の清水寺と同じように掛造りの舞台になっているのです。


長谷寺本尊十一面観音

右、本尊十一面觀音。
長谷寺ボタン

長谷寺はボタンの名所でもあります。7000株のボタンが咲くのだそうです。


.長谷寺大悲閣と階段の屋根長谷寺境内


泉光院は、…夫より室生山と云ふに詣づ、…ですが長くなりそうなので次回に回します。

前号No.303 岡寺 の項で山田寺の建物や廻廊がかなり正確に復元されている写真を入れておいたのですが、「全集日本の古寺 14 飛鳥・南大和の古寺」に遺跡の出土情況のわかる写真と文があったので少しだけ入れておきます。
山田寺伽藍遺跡
左、山田寺遺跡全景




下左、廻廊部材出土情況、
下右、廻廊屋根瓦出土情況。
山田寺廻廊部材山田寺廻廊屋根瓦出土


スポンサーサイト
14:37  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

ありがとうございます。

思い出します。
私は前夜、腹痛に苦しみまして。昼、山中の茶屋で食べた炊き込みご飯にあたりまして。旅館では何も食べられず。「おかゆを」とお願いしたのですが規定通りの食べ物しか出せないと。気の毒に思ったおばさんが正露丸をさしだしたけど。

でも不思議ですね。
長谷寺の舞台で冷気にあたっていたら元気になりました。
舞台の床はツルツルに凍っていて、ようよう明け始めた空の美しかったこと。
雨宮清子(ちから姫) |  2018.05.08(火) 08:17 |  URL |  [コメント:編集]

■写真の追加

姫サマに見て頂きたくて写真を2枚追加しました。
境内で写した写真です。
ヨリック |  2018.05.07(月) 20:40 |  URL |  [コメント:編集]

■勤行

大和の山中霜月の早朝、厳しい寒さですねぇ。
階段を登っていくうちに雑念は消えます。
舞台に上がって自然のうちに身を置けば、
朗々とした声が脳内に響く。
宗教音楽はどの宗教でもそうなんですが、
身も心も引締まる響きです。
ワタクシなりに情景を空想してみました。
有難うございました。
ヨリック |  2018.05.07(月) 06:28 |  URL |  [コメント:編集]

長谷寺。
霜の降りた早朝、本堂の舞台にたたずんで朝の勤行を拝聴しました。
声明のように美しく、冷え切った心に沁みました。
雨宮清子(ちから姫) |  2018.05.06(日) 21:52 |  URL |  [コメント:編集]

コメント:を投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメント:を表示  (非公開コメント:投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバック URL

→http://azasosori.blog.fc2.com/tb.php/520-1de2d1fc

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック:

▲PageTop

 | BLOGTOP |