2018-09- / 08-<< 123456789101112131415161718192021222324252627282930>>10-

2018.05.13 (Sun)

泉光院の足跡 306 吉野山

室生村と山一つ隔てた隣はもう伊賀國です。いまも紅葉の名所である赤目四十八滝の方へ行きます。

三日 晴天。今日は先祖正忌日也回向し呉れ候様にと二軒より申すに付行きて讀經す。夫故に巳の刻出立伊賀國アメ嶽と云ふに赴く。室生山より三里、瀧口村と云ふにて茶漬施行に逢ふ。夫より大いなる峠を越へ、赤目瀧村赤目不動と云ふに詣納經す。此赤目瀧と云ふを俗呼してアメタキと云ふ。寺一ヶ寺、本堂三間四面、南向、村は人家八間計り、札所なれども諸人參詣する所にあらず、因て道も一切知れざる所也。夫より谷を一里下り柏原村油屋半兵衛と云ふ宅に宿す。
赤目四十八滝不動滝
四十八滝というのは「たくさんある」という意味で、実際はもっとたくさんあるのだそうです。
右はその中でも一番大きな「不動瀧」。
赤目不動というのが延寿院というお寺に祀ってあって、そこへ行ったのです。これも役行者ゆかりのお不動さんらしい。

五色不動というのがあって、目白・目黒・目赤・目青・目黄のお不動さんです。

江戸にはこの五色不動が全部揃っているのだが、地名として残るほど有名なのは目白と目黒。
この五色は、青春・朱夏・白秋・玄(=黒)冬と季節にあてはめたり、青龍・朱雀・白虎・玄武(武=亀)とか、青=東、赤=南、白=西、黒=北、黄色は中央、というほういにもあてはめたりします。

泉光院の時代には赤目四十八滝はいま程有名な観光地ではなかったようで、道が判りにくかったようです。それからもとの伊勢街道、いまの国道165へ戻って吉野山を目指します。

四日 晴天。柏原村立、辰の刻。伊勢街道片賀村と云ふに出で、元の灰原(榛原でしょう)へ歸り、宇田村の方へ赴き、松本屋と云ふに初夜着一宿す。
五日 晴天。宇田村立、辰の上刻。吉野山辻村氏宅着、晝過藏王へ詣納經す。本堂南向、十二間四面、諸人知る處なれば記さず。
金峯山寺蔵王堂遠望
櫻の名所吉野山は修験道の拠点。泉光院は何度も来ています。辻村氏宅は定宿なんでしょう。
藏王というのは金峯山寺。
今だと近鉄吉野駅で下車して(ロープウエイには乗らないで)七曲がり坂を登りつめるとそのあたりが「下千本」。
黒門をくぐって10分程、茶店や土産物店の並ぶ道を歩けば仁王門と蔵王堂です。
吉野山桜1
本堂である蔵王堂は、高さ34m、横幅・奥行きとも36m。奈良東大寺に次ぐ大きな建造物です。
いま建っているこの建物は、天正九年(1592)に豊臣家の寄進で建てられたと言います。いいこともしたようだ。

8世紀初め頃だろうか、役行者はこの吉野の山で蔵王権現を感得してその像を刻み、山上ヶ岳(1719m)の山頂に大峯山寺を建て、そこはちょっと遠いので、吉野山に金峯山寺を建てた。以後、ここは山岳修行、修験道の霊地となります。

10世紀から11世紀にかけて、山岳・海洋信仰が基底にあって、外国から伝来した新しい宗教である佛教、なかでも「真言秘密」の教えである密教や、中国の古い宗教から発展した道教・陰陽道といった多様な信仰を取り入れ、神佛習合思想で成立したのが修験道であり、修行者は修行に際しては山を駈け野に伏すので「山伏」と言われた。
大峯曼荼羅圖

金剛峯寺蔵王堂秘佛金剛藏王権現








蔵王堂の本尊、藏王権現です。
とても怖い顔をした像が三体。釋迦・觀音・彌勒の三佛が一つになって、權(仮の姿で)現れる、というのが蔵王権現です。

そして右は大峯曼荼羅圖。
藏王権現を中心に、役行者や吉野の諸神を配列したものです。
一番上の方の大峯には寶珠があってそれを八代童子が取り囲み、右に天川辨財天、左に川上地蔵を配してあります。
中央の藏王権現を囲む吉野の神々は、上段右・左に、金精明神と牛頭天王、その下は役行者と八王子神、その下は子守明神と勝手明神、一番下の段の右・左に佐抛(さなげ)明神と天満明神(一番下中央は不明)、といった具合に吉野の神様が勢揃いしています。
大峯山全図

左は大峯山全図。

下右から始まる吉野側から蛇行する登山道は、修験道の厳しい修行のための難所をいくつか経てから山上ヶ岳の大峯山寺へ至る道程が描かれています。



大峯覗き修行
右が[西の覗き]と言われる行場。
大峯山絶壁




こんな絶壁の一番高い所から身をのりだして、呪文を唱えながら心身を鍛えるのです。
後の人が命綱を持って支えてくれている事は判っていてもこれはとても怖いことらしいです。

15歳になった男の子はこれが通過儀礼でした。 先達が横にいて、…親の言うことを聞くか?…、…ハイ、キキマス、キキマス、!…とか、大人だったら、…浮気をしちゃいかんぞ!…、…ハイ、モウイタシマセン、カンニンシテクダサイ!…というようなことを真剣に叫んでいるのです。

六日 晝時小雨。吉野立、辰の刻。洞川の方へ赴き、鳥栖鳳閣寺と云ふに詣で納經す。當山は中興大峰開山理源大師の寺、廟所は寺より辰巳に當り山中三丁の山上にあり、大師堂寺の前にあり、自作の尊像を安置す。庭に柴燈、護摩壇あり。夫より洞川龍泉寺へ詣納經す。本尊彌勒菩薩、女人法界の地也。洞川定宿藤七方へ行く、平四郎は天の川へ詣づ。先例の通り蕎麦切馳走あり。謝禮出し候へども日本回國とあれば一錢も不請。
大峰女人結界石柱
吉野の、奥の千本からさらに奥の方へと行きます。
右の方に「從是女人結界」という石碑が見えています。この向こうへは女性の入山を禁じているのです。

ここから下へ降りると洞川(どろがわ)で、そこから南の方、尾根道が「奥駈道」。山伏の世界になります。
吉野と、熊野三山を結ぶ大峯奥駈道は修験者にとって必須・最高の行です。泉光院もここへ来て、今までの峯入り修行のことを回想しています。

七日 曇天。洞川立、辰の上刻。山上へ登る。納經は宿坊小松院也。當山は秘所故委細は記さず。小松院に坊入す。山上本堂は十間に八間、藏王權現神變菩薩を安置す。奥の院小笹は未だ山の口あかざるを以て登らず。今日は神變菩薩正忌日に付登山す。山中宿坊より衆僧法會あり、其時に登山す。爰に不思議成る事あり、予登山は此間にて卅六度也。是れは大越家法印の滿數互具の六根にて六々三十六度の數也。然る處今度登山すれば三十七度也。是又不思議に都合せり、三十七尊の數也.熊野詣での數は奥駈十七度の處今度を合せて十八界也。旁々珍ら敷事と我ながら感嘆す。奉納一句、
   涼しさや無漏の風吹く夏の峯
夕方下山し、吉野安太夫へ宿す。

洞川(どろがわ)は聖地山上ヶ岳1719mの西麓の谷合にあります。今は洞川温泉などというものもありますが、山上ヶ岳登山の古くからの根拠地でした。前日、泉光院は吉野、金峯山寺から奥駈道を南下して、「女人結界」の碑の所から一旦洞川へ下って、鳳閣寺や龍泉寺へ詣納經しましたし、平四郎は初めてここへ来たのですから「天の川」、つまり今でいう天河大辨財天社へも行ったようです。
龍泉寺

左が龍泉寺。
修行をする人はこのお寺の境内にある池で水垢離をして、役行者が祀ったという八大龍王に山中修行の無事を祈禱してから入峯(にゅうぶ)するのがしきたりです。


天河大辨天社鳥居サラスヴァティー1

右は天河大辨財天社の鳥居。右はヒンドゥー教のサラスヴァティの像。

辨天さまがインドではサラスヴァティーという女神であることは、「No.227江ノ島」の項で詳しく書いておきましたからそれも参照してみて下さい。
サラスヴァティー白黒
サラスヴァティ2

サラスヴァティーの像をいくつか入れておきました。
日本の辨天さまは琵琶を弾いておりますが、こっちの方は四手で、ヴィーナという楽器を弾いております。



江ノ島辨天様琵琶

江ノ島の辨天さまの像も再掲しておきました。






大峯山寺山上本堂内部

大峯山寺本堂

大峯山寺(左)とその内部(右)。
…當所は秘所故委細を記さず…ですからこの程度にしておきましょう。


大峯山寺戸開式

大峯山寺では5月3日に戸開式(右)を行い、9月22日に戸閉式を行います。この間だけ修験者の修行の場となります。
泉光院はこの山上ヶ岳登山は今度が37回目。大峯奥駈修行は、この前熊野三山へ行っているのでそれを含めて今度で18回目だと言っているようです。
大峰山戸開式山伏法螺吹
これだけ何度もここへ来ているので、泉光院は「大先達」という地位になっているのです。
戸開式の時、山伏の法螺吹きです。

泉光院は大峯山寺まで来たのでここで下山して、奈良・京都・大阪へと歩を進め、いよいよ帰国となります。

スポンサーサイト
13:11  |  街道周遊  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

コメント:を投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメント:を表示  (非公開コメント:投稿可能)
 

▲PageTop

*Trackback

この記事のトラックバック URL

→http://azasosori.blog.fc2.com/tb.php/522-6fe01402

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック:

▲PageTop

 | BLOGTOP |