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2018.05.24 (Thu)

泉光院の足跡 308 善財童子

十日 晴天。安倍文殊へ詣納經す。夫より八木村國分寺へ詣納經。夫より三輪明神へ詣納經す。當社は和州一の宮也。印しの杉古へのは枯れて今新木也。拝殿西向、御殿は花表に扉計り一山御神體也。夫より大峯先達中の坊と云ふに見舞す。晝過ぎ金屋へ歸り休息す。又近所に地藏堂あり呼ばれ行く、種々馳走あり。
阿倍文殊堂騎獅文殊菩薩像
文殊院は大化改新の時左大臣になった阿部倉梯麻呂が阿倍氏一族の氏寺として建てたお寺で、創建当時は法隆寺式の大きなお寺だったようだ。
左は日本三文殊の一、快慶作の獅子に乗った大きな文殊菩薩。高さが7mもある。
ほかの二つは京都天橋立の切戸の文殊と、奥州山形亀岡の文殊。両方とも泉光院は先にお詣りを済ませています。ここでお詣りをしたので三文殊みんな済ませました。
文殊は普賢と一緒に釋迦如來の脇侍となっていることが多いのだが、この写真のように獅子に乗ったのは五台山文殊と言って、はるばるシルクロードの流砂を越えて中国五台山までやってくる姿をあらわしたものらしいです。この写真の左下にいる小さい像は「善財童子」。合掌をして、斜め右を振り返る仕草をするあどけない表情の童子です。
この文殊菩薩騎獅像は、善財童子を先導とし、優塡(うてん)王に獅子の手綱を引かせ、最勝老人と仏陀波利(ブッダパリ)を従えています。文殊菩薩四侍者像ともいいます。

善財童子のことを少々。
阿倍文殊堂善財童子
左が阿倍文殊堂の善財童子の像です。
yorick善財童子PC
そして右はワタクシの持っている善財童子像。

彼は文殊菩薩の勧めによって求道の旅に出て、53人の知識人に出会って教えを請うのだが、最後にまた文殊の元へ戻って、文殊の限りない知恵を得ることが出来た時の喜びの瞬間を形にしたものだそうです。

ワタクシはブッダの教えを信仰してはいるのですが、佛像などという物を持つ趣味はないけれども、この善財童子像だけは持っているのです。

金澤合唱團の指揮者は金澤市枡形(金沢駅から徒歩8分程の場所)の西福寺の住職であってとても素晴らしいバリトンの声を持っていた。だから彼がお経を唱えるとその美声に(善男はともかく)多くの善女たちは胸がキュンとなったという。それはさておいて、その住職が亡くなる前にこの善財童子像を何体か拵えてその一つをワタクシにも贈って下さいました。
金澤合唱團男声
右は金澤合唱團の男声。
右端がワタクシたちが半ば尊敬の念を持って「権現サン」と呼んでいた指揮者でもある西福寺の住職。(ワタクシは右から6番目で、5番目がこのブログにも時々登場する横山サン)。
そんなわけで善財童子は数ある佛様たちの中では一番ワタクシにとって親しみのある佛様です。

善財童子の求道の旅は『華厳經』というお経の最後の章に書いてあります。
善財道寺西大寺
彼が訪ねて教えを請うた人々は、菩薩、男女の神々、修行僧・尼、仙人や婆羅門、國王、商人や資産家、ものを造る技術者、少年少女、一番下の階層である隷民など老若男女貴賤を問わず次々と訪ねて行くのです。そして最後に普賢菩薩の教えを受けて究極の境地に到達する、というのがこのお経の説く所です。最後が文殊菩薩だと解説してある本もありました。
右は奈良西大寺の善財童子頭部。

東大インド哲学の中村元がNHKのラジオ講座で話した中から一部を要約しておきます。

彼が24番目の人として尼さんを訪ねたとき、尼さんは次に会うべき人を教えます。
「善男子よ、この南方に嶮難という国土あり、城を寶莊嚴と名づく。一女人あり、婆須密多と名づく。汝、彼に詣でて問へ、『如何が菩薩は菩薩の行を学び、菩薩の道を修するや』と。」…
こんな調子では読みにくいのでうんと圧縮して概要を書きましょう。

ここから南方にある宝で飾られた町に、ヴァスミトラーという名前の女性がいるので、その方に会ってボサツとしてなすべきことを学び実践するにはどうすればいいのかを聞きなさい、と尼さんに言われたので、丁寧に敬礼してそちらへ向かいます。
ヴァスミトラーは立派な椅子に腰掛けて、「顔貌端嚴」顔立ちは立派で、「妙相成就」見事な姿でいらっしゃいました。この世界に比べるものがいないほど素敵で、言葉は艶やかで、文学技芸に秀でていて、不思議な知恵と力をそなえています。善財童子は礼儀をつくし、「貴い人よ… と呼びかけます、…悟りを求めているのだけれどもどうしたらいいかまだわからない、…」
yorick善財童子頭部

左はワタクシの持っている善財童子像の頭部です。
西福寺の権現サンに頂いたものです。カワイイ顔をしていますね。

するとヴァスミトラーは答えて申します。
「善男子よ、われ既に離欲実際清浄の法門を成就せり。もし天われを見れば天女となり、もし人われを見ればわれは人女となり、… 形体殊妙に、光明の色像も殊勝にしてたぐいなし。…」 あでやかで光り輝いているその姿もたぐいなく美しい、と自分でそう言っているのだから間違いありません。所がこの人は実は遊女なんです。そして、「…もし欲望にとりつかれている人が私の所へ来たならば、その人のために教えを説いて、執着がないという精神統一を得させよう。もし私を見ることがあるならば歓喜を得させてあげよう。…」とだんだん話が具体的になってきます。「…もし私の手をとった者にはすべての佛さまの国土に至りうるという精神統一を得るようにしてあげましょう。もし私にキスしたり、私を抱いたりする人はみな欲を離れて究極の法門を得ることが出来るようにしてあげましょう。…」とヴァスミトラーは言うのです。

さまざまな人生体験をして、煩悩や欲望を通り抜けて、酸いも甘いもかみ分けた人には、やがて解脱の境地が開かれているということを示唆しているのかも知れません。
ボロブドール遺跡レリーフ
ジャワ・ボロブドール遺跡の外周には釋迦の生涯がレリーフになっているのだが、その中には善財童子求道の旅のレリーフも入っているのだそうです。
右のがそうなのかどうか判りませんが、美女と童子らしいのを一枚捜しあてたのでそれを載せておきましょう。
古代ギリシャやローマ、そしてインドにはヴァスミトラーのような素敵な遊女がいたようです。

この華厳経というお経はもともとはインドのどこかで作られ、シルクロードを通って中国、朝鮮、日本に伝わってきました。聖武天皇の時代、奈良東大寺にビルシャナ佛(毘盧遮那佛)が造られますが、この大佛は華厳経の表現する佛さまです。泉光院が東大寺へ行ったときにこの佛さまのことも書くことにしましょう。

文殊菩薩で思い出すのは、森鴎外の小説『寒山拾得 かんざんじっとく』です。
この禅問答のような、正解のないようなお話が高校の時の国語の教科書に載っていて、「拾得が実は普賢で、寒山が文殊なのだよ。」というのを、教師がいったいどんなふうにこのお話しを締めくくったのかいま思い出そうとしてもさっぱり思い出せないのだが、この小説の一番最後、[實はババアも文殊なのだが、まだ誰も拝みに来ないのだよ。]というのが記憶の底に残っております。

東海道五十三次の53という宿場の数も、この善財童子が訪ねた知識人の数に合わせたのだと、世界遺産研究の会の講座の時に聞いたことがあります。でもなぜそうしたのか、その理由までは教えてはくれなかったので、いまでも疑問のままです。

大和國分寺焼失前2003
右のお寺は大和八木にある浄土宗の國分寺というお寺で、泉光院は、…八木村國分寺へ詣納經…しました。
大和國分寺標石
標石にはたしかに「大和國分寺」と彫ってあるので、そうなのかも知れないとは思いますが、聖武天皇が建てさせたという國分寺のリストにはこのお寺は入っていないので、ワタクシの疑問の一つです。塀の向こうに見えている本堂は、十数年前に火災で焼失してしまったそうです。 これは焼失前の写真。

『善財童子求道の旅』という本がありました。ヴァスミトラーに逢ったときの様子を載せておきます。その本から少しの引用。

獅子奮迅比丘尼から、…「善男子よ、ここより南のドルガ、別名嶮難國のラトナヴェーハ、寶荘厳という意味の都城に婆須蜜多、ヴァスミトラーという名の遊女が住んでおられます。その方にも聞いてごらんなさい。」…と教えられてやって来たのが左の絵。
善財童子26婆須蜜多女最高遊女

ヴァスミトラーの住居はとても立派で、香りの良い水を湛えた堀がめぐっていて、赤や白、黄や青の蓮華が咲きそろっている。豪華な敷物で飾られた室内には多くの侍女や立派な男たちに囲まれてヴァスミトラーは(上の絵、建物の正面に)坐っている。彼女の肌は金色に輝き、瞳は碧緑、まさに臈たけたという美しさです。玉を転がすような声、どんな楽器でも弾きこなせる技芸のたしかさ、何一つとっても人を魅了する素晴らしさです。善財童子は(建物の前、段の下にいて)彼女の魅力に圧倒されます。ヴァスミトラーはいいます。
…善財童子よ、よく来ましたね。私は離欲の究極を究めたという菩薩の解脱を会得しているのです。それで私の所へやってくるどんな人々、どんな神々、どんな鬼神、阿修羅、緊那羅であれ、私を求めてやってくるすべての衆生たちの願いにも応じて姿を現し、その衆生の気に入る背丈・肌色・姿形になります。もし天人が私を求めているのであれば私は天女に、人間の男なら人女に、鬼神なら鬼女になります。ある者は私を見つめるだけで、ある者は私を抱きしめるだけで、ある者は私にキスするだけで、ある者は私と同衾するだけで、その者は欲望を離れた状態になるのですよ。」…
善財童子はよくわかりません。
…「私には意味がわかりません。あなたを抱けばもっと欲情にとらわれるのではありませんか?」…
…「そうではありません。私はすべての衆生が欲望を離れることができるように、言葉で、そして身体で、法を説くのです。そうすると衆生はそれぞれ素晴らしい菩薩の三昧の世界、いわば忘我の境地に入り、離欲の究極に達するのです。」…
善財童子はまだ信じられないといった面持ちで、
…「あなたはどのような善行を積まれてその菩薩の解脱の境地を体得されたのでしょうか。」…
…「そうねぇ。はるか彼方の記憶をたどって申しましょう。かって、過去世にアティウッチャガーミンという佛が出現しました。その佛は衆生を哀れんで慈愛を示すためにスムターという王都に入られました。そのとき天上からは宝石の華がキラキラと舞い下り、妙なる音楽が響きました。私はそのときある長者の妻でスマティと申しましたが、その佛のお示しになった奇跡に駆り立てられて走り出し、佛に一枚の宝石のお金を差し上げました。佛の傍らには文殊菩薩が侍者として仕えておりましたが。その文殊菩薩が私をこの上ない悟りに向けて発心させて下さったのです。善財サン、こうして私は離欲の究極を究めた菩薩行を体得出来たのです。しかし私は他の菩薩方の功徳については存じません。ここより南に善度城という都城があり、そこに鞞瑟胝羅(ビシュチラ)という居士が佛の塔廟を供養しておられます。その方にお聞きになったら如何でしょうか。」…
と次の訪問先を教えてくれたのでした。

善財童子はこのようにして次々と53人の知識人に教えを請う旅を続けるのでした。
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 |  2018.05.30(水) 23:10 |   |  [コメント:編集]

■求道の旅

ちから姫サマ、コメント有難うございます。
ワタクシも命終えるこの頃になってようやく求道の旅に出かけたいと思うようになりました。
泉光院の足跡の合間に、善財童子の求道の旅のことも挿入して見たいと思います。
判らぬ事だらけではございますが、ちから姫サマのご教示も頂きながら書いていきたいと思います。よろしくお願い致します。
ヨリック |  2018.05.26(土) 19:59 |  URL |  [コメント:編集]

■五十三善知識

作家の井上ひさしさんも「新・東海道五十三次」に書いていました。

「われわれにとって東海道とは仏道である。
五十三人の善知識人には老人あり、病者あり、遊女あり。
この五十三善知識が東海道五十三次にとりいれられた。
ゆえに東海道とは仏の教えを求める道、すなわち求道である」と。

私はこのくだりを読んだとき、ものすごく打たれました。
雨宮清子(ちから姫) |  2018.05.26(土) 15:23 |  URL |  [コメント:編集]

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